月の消えた夜


「黄龍と言ったか?」

 サクがスマルに問い返した。
 スマルが不思議そうにサクを見返すと、その視線に応えるように今度はサクが口を開いた。

「俺は文献や何かで得た知識しかないから何とも言えないんだが…この国の守護神というと四神、だよな? 黄龍っていうと…確かに王旗に描かれている龍が黄龍じゃないかって説は聞いたことがあるけれど、それも仮説であって本当なのかどうか定かではなかったはずだ。それがなぜ黄龍なんだ?」
「あぁ、そうか。そうだよな…」

 スマルが頷くと、サクが慌ててスマルに声をかけた。

「一人で納得するなよ、スマル。ちゃんと説明してくれ」
「そ、そうか、そりゃ悪かったな。そうだな…まず王旗からいくか。王旗の四隅にある陰陽の印、あれは四神を表してるってのは知ってるよな。で、四神に囲まれた中央にある大きな円、これは満月、つまり蒼月でこの国の王だ。だが蒼月が王として立つよりもさらに昔は、四神の中央には黄龍とその力を宿した生まれ変わりと言われる黄帝がいたんだそうだ」
「黄帝? 聞いたことがないな」

 訝しげに首を傾げるサクにスマルが頷く。

「蒼月以前、この国の王は黄帝だったんだそうだ。黄龍と黄帝は、その圧倒的な力を持って国を治めていたそうなんだが…強すぎる光はより濃く深い闇を生む。詳しくは聞いちゃいないが、そんなこんなで四神達は黄龍と決別、黄は封印されたらしい」
「封印? でもさっきお前、黄龍の力を借りているって言ったじゃないか。どういう事だ?」

 サクの問いにスマルは肩をすくめて溜息混じりに言った。

「そこまでは…だが俺の使ってる力は黄龍のもんだってのは間違いないし、土使いが存在することで黄龍がいなくても五行が成り立ってるのも事実だ」
「そうか。なぁ、スマル。黄龍はどこに封印されてんだ? …あれ? 黄龍? 黄龍…黄龍……」

 サクはスマルに質問をしておきながら、何か独り言をつぶやきながら俯いてしまった。
 そして次の瞬間、顔を勢いよく上げると一気に話し始めた。

「あっ! いや…いい、思い出した。そうか、黄龍か! 忘れていたよ、大昔に四神と共にこの国を守護してたっていうあの黄龍だな。子どもの頃に何かで読んだ事がある。絵巻物の類以外では目にする事がなかったから、ただの作り話だろうと勝手に思い込んですっかり忘れてしまっていた。そうか、あの話が本当だったとすると…白主がびびってるルゥーンの切り札の黄龍ってのも、嘘だって突っぱねてばかりもいられないって事になるな」
「あ、あぁ…まぁ。あれ…」

 サクの言葉を聞いたスマルは、ユウヒから聞いた話を思い出した。

「白主って、白州の…ですか? でもその辺りは曖昧な話ばかりと俺は聞いてるけど…」
「あぁ、俺も今までは白主が怖がりすぎてるんだって馬鹿にしてた。でもそれが本当なら…」
「本当なら?」

 スマルが問い返すと、サクはそれまでとは打って変わって自信に満ち溢れた表情をして、その瞳には力と勢いが感じられた。
 その様子を見たスマルは寂しげに小さく笑みを浮かべた。
 それに気付いたのかどうか、サクはスマルの方を見ると静かに言った。

「スマル。ユウヒは本当に俺ならわかると思って全てを託したんだと思うか?」

 その問いはスマルの中に大きな影を落としたが、スマルは眉一つ動かさず答えた。

「そうだと、思いますよ…」

 スマルが答えると、サクはまた新しい煙草に火を点け、しきりに髪の毛を弄りながら難しい顔で何かを考え始めた。
 そんなサクを前に、スマルは頬杖をついたまま目を閉じ、焦る気持ちを必死に抑えていた。
 サクはいったい何を考えているのか、ユウヒはサクに何を期待して行動を起こしたのか、気にはなったが口には出せなかった。

「よし…わかった」

 突然サクはそう言って立ち上がった。
 何事かとスマルが目を開けると、サクがまっすぐにスマルの事を見つめていた。

「いろいろ教えてくれてありがとう。今夜はもうお互い寝た方がいい。明日から忙しくなるよ」
「あ、あぁ…話はもういいのか?」
「あぁ。もう充分だ」
「そうか…」

 サクの言葉にスマルが気のない返事をすると、サクは卓の向こう側からスマルの方へと歩み寄ってきて、その肩にぽんと手を置いた。

「ホムラ様も不在だしユウヒがあれでは剣舞の稽古も無理、お前はする事ないよね? 明日から俺の部屋に来てくれ。手伝って欲しいんだ」
「え? 俺が? 別にいいけど…」
「ありがとう、助かるよ。じゃ、また明日」

 サクはそう言ってまたスマルの肩をぽんと叩くと、そのまま部屋を出て行った。
 一人残されたスマルは重苦しい気持ちを腹の底に隠したまま、大きく息を吐いた。

「あーあ、小せぇ男だなぁ、俺…」

 そうつぶやいて天井を見上げると、視界の隅に女官を呼ぶための紐が目に入った。

 朝はあれほど元気に笑顔を振りまいていたのが、嘘のように泣き腫らし、目を真っ赤にしてヒヅルは部屋から出て行った。
 今顔を合わせても気落ちしているヒヅルに言ってやれる事など何もないが、この部屋の戸締りを誰かに頼まなくてはスマルは自分の部屋に戻ることができない。
 スマルは紐をゆっくりと引いて、その女官を呼んだ。
 もう日付も変わったであろう時間だと言うのに、ヒヅルはすぐに飛んできた。

「失礼します!」

 スマルの返事すら待たずに扉を開けたヒヅルは、部屋を出て行った時よりは幾分落ち着いたようだったが、どうやら詰所に戻ってからも泣いていたらしく、瞼が若干腫れているようだった。

「あ…」

 顔を上げ、スマルと目があった途端、その表情に落胆の色が浮かぶ。
 自分を呼びつけたのがその部屋の主ではないかという淡い期待が破られたからだろう。
 スマルは申し訳無さそうに苦笑して、口を開いた。

「あいつはいないよ。期待させちゃったか。その…悪かったな」
「…いえ。お気になさらず…私が勝手に……ですから」

 落胆しきったヒヅルに、スマルはどう声をかけたものかと困り果ててしまった。
 立ち尽くすスマルの横を通り過ぎ、ヒヅルは卓の上に出しっぱなしになっていた茶器の片付けを無言で始めた。
 スマルはその様子を見ながら、思ったままを口にした。

「あいつをどうするかはサクさんが決定する事になったらしい。だから心配すんな…どういう結果であれ、悪いようにはしないはずだから」
「…スマル様は、心配ではないのですか?」

 顔を向けようともせずにヒヅルはスマルに言った。
 重ねられた湯呑み茶碗の音だけがカチャカチャと響く部屋の中に、その問いに答えるスマルの声が低く響いた。

「心配なら、もう郷を出た時からずっとし通しだからな。今回はサクが動くし、あいつもそれを見越しての行動だろうし…まぁ、それほどでもないかな」

 茶器もすでに片付けられ、濡れた布巾で丁寧に拭かれた卓の方へ歩いていくと、スマルは椅子をヒヅルの方に向けてから腰を下ろした。
 するとヒヅルがまるで怒っているかのような表情に変わり、スマルに向かって口を開いた。

「なぜですか? どうしてそんなに平静でいられるのですか? スマル様はユウヒ様の事を好いていらっしゃるのでしょう?」