フコイダン 仕入 11.衝動

衝動


 ユウヒの口から思わず声が漏れた。

「え…?」

 お茶を飲んでいる振りをしながら、視線やその表情を隠して話すユウヒに、ヒヅルはそのまま話し続けた。

「せっかく観に行こうとおっしゃって下さっていたのに…主役をやっている看板役者が捕まったとあっては、もう公演は無理でしょうね」
「ひょっとして、下の騒ぎはそれだって言いたいの? ヒヅル?」
「…はい。恐らくそうだと思います」

 下を向いて言うヒヅルの言葉を聞いたユウヒは、いきなり立ち上がると茶器を卓の上に無造作に置き、そのまま窓際に歩み寄り格子になっている窓を開けた。

 吹き上げてくる風が髪を激しくなびかせる。
 ユウヒはそれを手で押さえながら眼下の様子に目を凝らした。

「つい先ほど連れて来られたようです」

 茶器を片付けに立ち上がったヒヅルの声が背後から聞こえてきた。
 自分の方を気にしながら片付けをしているヒヅルの気配を感じながらも、ユウヒは不自然なくらいに外の様子を凝視していた。

「すごい人だかりだね。女官達は全部見物人ってとこか…刑軍と、あぁ、シュウも出張ってるね。それに…」

 突然言葉に詰まったユウヒの方を、何事かとヒヅルが振り返る。
 ユウヒはある一点を見つめたまま固まっていた。

「あの…ユウヒ様? どうかなされましたか? ユウヒ…」

「…シオ……」

 ユウヒのつぶやきはヒヅルにまで届かなかったが、その様子が明らかにおかしい事に不安になったヒヅルが歩み寄ってきた。

「いかがなさいました? ユウヒ様?」
「なんであの子がっ! ちっくしょう…そういう事か!!」

 窓から乗り出していた体をすっと引っ込めたユウヒが、蒼褪めた顔で壁に駆け寄り、手慣れた手つきで腰布を解いて、そこにあった剣をすばやく固定する。

「ユウヒ様?」

 戸惑った表情でおろおろとヒヅルが話しかけてくるが、ユウヒはそれに返事をしようともせず険しい表情のままで何かをぶつぶつとつぶやいていた。
 普段とはまるで違う表情、言葉遣いのユウヒにヒヅルはどうしていいのかわからない。
 帯剣を済ませ、スッと顔を上げたユウヒの表情はどこか怒っているようにも見えた。

 怖い…――。

 そうヒヅルは感じていた。
 それでも声をかけずにはいられない、心配と不安でヒヅルは胸がいっぱいだった。

「あの…」

「ヒヅル」

 背筋をしゃんと伸ばし、まっすぐに見据えるユウヒの視線にヒヅルは動きを止められた。

「…はい」

 脅えたように返事をするヒヅルに、ユウヒは一言、静かに言った。

「お前はここにいなさい」

 ヒヅルを気遣う笑みも、優しい言葉もユウヒにはなかった。
 だがなぜか、だからこそヒヅルは、ユウヒの言葉に従うわけにはいかないと思った。
 理由などない、ただ心が主に従う事を拒んだ。

「い…嫌です」

「ヒヅル!」

 ユウヒが声を荒げるが、ヒヅルからは逆に脅えた様子が消えていた。

「来るなという理由はお聞きしません。ですが、ここであなたを一人で行かせるわけにはまいりません」

 言い返すでもなく、ただ自分をまっすぐに見つめているユウヒの顔が、次第にヒヅルには泣きそうな顔に見えてきた。
 ヒヅルは袖の中で手を強く握り締め、身震いを抑えながら言った。

「一緒にまいります」

 ユウヒの睨むような視線からも、ヒヅルはその目を逸らそうとしない。
 それを見たユウヒは諦めたように踵を返してヒヅルに背を向け言った。

「じゃ…約束して。下で何が起こっても私には近寄らないで。できる?」
「絶対に、ですか?」

 ヒヅルが問い返す。
 ユウヒは振り返ることなく言葉を継いだ。

「絶対に、だよ」
「…わかりました。約束します」

 ヒヅルがそう言うとユウヒは振り返り、哀しそうな笑みを浮かべて言った。

「ごめんね、ヒヅル…」
「ユウヒ様?」

 ヒヅルの問いかけに返事はなく、ユウヒは勢いよく部屋を飛び出して行った。

 廊下を走り、階段を駆け下りる音が響いてくる。
 開け放たれた扉を呆然と見つめていたヒヅルは、ハッとすると、大慌てで部屋を飛び出した。

 胸騒ぎというのはこういう事を言うのだと、ヒヅルは思いながらユウヒのあとを追った。
 足にまとわりつく装束の裾が疎ましい。
 何度も転びそうになりながらも、ヒヅルはただ必死にユウヒの背中を追い続けた。

「あぁ、サク様もスマル様もいないというのに…」

 絶対に近寄るなと言った主の言葉がなぜか重い。
 ヒヅルは裾を踏まないように装束を少し持ち上げると、階段をひたすら駆け下りた。

 塔から出て、やっと主の背を見つけた時、ヒヅルは言葉を失い、野次馬の女官達の間を縫ってゆっくりと前に進んで行った。

 そこには罪人を連れていこうとしている一行の前に立ちはだかるユウヒの姿があった。

「…ユウヒ様」

 そう小さくつぶやいて、ヒヅルは人だかりの一番前で立ち尽くした。