いびき 10.出発の日

出発の日


「ユウヒ様はどうされますか?」

 ヒヅルが訊くと、ユウヒは辺りを見渡してから静かに行った。

「ここにいても邪魔になっちゃうだけだね。部屋に戻ろう」
「はい」

 ヒヅルがちょこんと拝礼したのを合図に、ユウヒは自室のある塔に向かって歩き出した。

 このところ、ふと気が付くと常に何かを考え続けている自分にユウヒは気付いていた。
 一時に様々な事が起きて、知らなくてはならない事、考えなくてはならない事が一気に増えた。
 それに対して自分の出来ることは余りにも少ない事もユウヒはわかっていた。

 だからこそ、考えずにはいられなかった。

 部屋に戻った後も、長椅子に体を預けたユウヒは目を瞑ったまま、ずっと考え事をしていた。
 いったいどれほどの時間そうしていたのか、ふと気付くとヒヅルが部屋の中で昼食の用意をしているところだった。

「あれ…ヒヅル?」
「お気付きになられましたか? 何か考えていらっしゃるようなので、お声をかけませんでした」
「…私、寝てた?」

 床に足を下ろして、頭を軽く振ったユウヒは立ち上がって卓へと移動した。
 椅子に座り、まだぼんやりする頭を握った手でぽんぽんと叩く。
 その様子を見たヒヅルが、お茶を一杯ユウヒの前に差し出した。

「どうぞ。ユウヒ様、寝ていらっしゃったんですか? 何かこう…眉間に皺を寄せて随分難しい顔をしてらっしゃいましたよ」
「え、そう?」
「はい」

 そう返事をしたヒヅルは、またいつもの花のような笑顔を向けていた。

「もうお昼なのか…じゃ、やっぱり寝てたのかな? 考え事して目を瞑ってたらいつの間にか眠っていたのかも」
「そうですか…お疲れなのかもしれないですね」

 ユウヒはヒヅルの言葉に力なく笑うと、お茶を静かに口にした。
 お茶の香りと程よく覚ましてある温かなそのぬくもりが、ユウヒの心もほぐしていくようだった。

「じゃ、これ。いただきます」
「はい、どうぞ。召し上がって下さいませ」

 ユウヒはヒヅルに向かい側へ座るように促すと、食事をとり始めた。
 最初は恐縮し、頑として同席を拒んだヒヅルだったが、ユウヒの人となりを理解した今は、二人だけの時に限っては主に促されるままに同席をして他愛もない話をしながらお茶を口にするようになった。
 そんないつもの光景の中に、外からはまだ緊張感の入り混じった喧騒が聞こえてきている。
 耳に入ってくるそれに、聞くともなしに耳を傾けながら、ユウヒはヒヅルに話しかけた。

「何だか今日は慌しいね…」
「そうですね」

 ヒヅルはお茶の入った茶器を両手で握りしめて相槌を打った。
 ユウヒは満足そうに用意された食事に舌鼓を打っている。
 そんなユウヒを見つめながらお茶で喉を潤すと、ヒヅルは窓の方に視線を移した。

「賑やかだよね。やっぱりホムラ様が郷に帰るとなると、大そうな騒ぎになっちゃうんだねぇ」

 ヒヅルの視線に気付いたユウヒがそう言うと、ヒヅルはハッとしたようにユウヒに視線を戻してばつが悪そうに言った。

「いえ、あの…起こした方がよろしかったでしょうか? ホムラ様の御一行はもう既にホムラ郷へと発たれた後で…その、もう城には…」

 申し訳無さそうに言うヒヅルの言葉に、ユウヒは思わず口の中の物を音とたててごくりと呑み込んだ。

「へ? あぁ、それはかまわないけど…え? もう出発しちゃったんだったら、さっきから聞こえてくるこの妙な…何? この騒ぎって、何なのかな」
「あぁ、その…」
「知ってるの?」

 ユウヒがそう訊ねると、ヒヅルは何とも困った様子で、茶器を手の平の上でくるくると回したり落ち着きがなくなった。
 わけもわからずユウヒはとりあえず食事を再開するが、その意識は外の喧騒へと向けられていた。

「あの、お食事中にお伝えするのも…ユウヒ様のお食事はお済みになりましたらお教えしようかと」
「いいよ、構わない。言って」

 それでもなお言いよどむヒヅルの態度を見て、ユウヒは食事中では話づらいような内容なのかと、大急ぎで残りの食事をたいらげると、ヒヅルにお茶のお替りを頼んで長椅子に移動した。
 ヒヅルは新しく淹れたお茶を手にユウヒの側まで来ると、ユウヒにそれを手渡し、向かい側の椅子に座った。

「あの…前にお話しました、旅の一座の話。憶えていらっしゃいますか?」

 突然切り出したヒヅルに、ユウヒはお茶を飲もうとしていた顔を一瞬ヒヅルに向けて言った。

「そりゃ、昨日の今日だもん。憶えてるよ。あの一座がどうかしたの?」

 ユウヒが問い返すとヒヅルの顔が不意に曇った。

「それが…何やら前々から目をつけられていたとかで。えぇ、詳しくは良く存じませんけれど、その公演の内容と言うんでしょうか。王への礼に欠くとか何とか…それでどうやら城の刑軍はあの一座が都に入ってくるのをずっと待っていたようなんです」
「へぇ、刑軍が…穏やかじゃないね。それで?」

 ユウヒが探るような視線を茶器で隠して先を促すと、ヒヅルはふぅっと一息吐いてから言った。

「昨日の夜に何か動きがあったとか。それでその…首謀者、と言うんですか? どうやら捕まったようなのです」

 ユウヒの胸が、どくんと大きく脈を打った。