出発の日


「ユウヒ。お前は一緒に郷に帰らなくていいのか? 家族全員揃うだろうに…」

 シュウが立ち上がりながらそう言うと、ユウヒは首を振って答えた。

「いや、いいんです。私がいない方が城の事とか思い出さずにのんびりできるってもんでしょう」
「そうか? まぁホムラ様はそうかもしれんが…お前だってこっちに来てからはけっこう毎日忙しくしてるんだろう? 郷に帰ればのんびりする時間も取れただろうに…」

 自分を心配してくれるシュウの言葉に、ユウヒは頭を軽く下げて感謝を表し、また口を開いた。

「なんて言うか…ずっと気を張ってないと折れちゃいそうで」
「…なんだ? 何かあったのか?」

 問い返されてユウヒはハッと我に返った。

 ――何を言ってるんだ、私は。

 ユウヒは勤めて明るくシュウに言った。

「私みたいな能天気なのは、こう緊張を一回解いてしまうと…こうだめだっていうか、そういうことですよ」
「そうなのか? まぁ、詮索はしないが…何かあったら話ぐらいは聞くからな」
「はい…ありがとうございます」

 本当に自分を思って言ってくれたシュウの言葉が心に突き刺さった。
 シュウはユウヒを心配そうに見ていたが、その視線が慌しく動き回る禁軍の方へと移った。
 ユウヒも同様に同じ方向に目をやると、ホムラ郷へと向かうための準備が着々と進んでいた。

「あの…」

 ユウヒが思わずシュウに話しかけた。

「ん? なんだ?」

 視線をユウヒに戻したシュウが返事をすると、ユウヒもその視線に応えてまた口を開いた。

「将軍は…いいんですか? 準備とか…」
「あぁ、王はここにいるしな…俺は城に残る。お前の妹はうちの副将軍二人が責任もってホムラ郷まで送り届けるから、安心しろ」
「え? あ、はい」

 少し驚いたようなユウヒの顔を見て、シュウは不思議そうに言った。

「どうした?」
「いえ…その、リンがホムラ様になってから、あの子の事をそんな風に言ってくれる人、周りにほとんどいなくなっちゃったから」
「禁軍将軍なんてやってるような人間が、意外だったってことか」
「…はい」

 ユウヒが申し訳なさそうに頷くと、少しだけ間を置いて返事が返ってきた。

「お前は妹の心配をしてるんじゃないのか? ホムラ様だから心配してるわけじゃないだろう」

 そう言ってシュウはユウヒの背をぽんと叩き、禁軍の兵士達のいる方へと歩き出した。

「どんな肩書きがあろうと、家族にとっちゃ家族以外の何者でもねぇよ。お前と話してるのにホムラ様がどうこうって言う方がどうかしてる…だろ? じゃ、俺もそろそろあっち顔出すわ」

 何の気なしに言われた言葉だったが、ユウヒはなぜかとても嬉しかった。
 ユウヒは、立ち去るシュウの背中に向かって頭を下げていた。

「素敵な方ですねぇ」

 唐突に聞こえてきたその言葉にユウヒが振り返ると、後ろでずっと控えていたヒヅルがシュウの方を見てつぶやいていた。
 思わずユウヒは我に返りヒヅルの方に向き直ると声をかけた。

「ごめんね。何だかずっと待たせてしまって」
「いえ、お気になさらないで下さい。私などではとても顔を見る事すら許されないような方とお話ができて、何だか夢のようなんです」
「え? 将軍?」
「はい。ユウヒ様といると、何だか楽しい事がたくさんで嬉しいです」
「そっか」

 ユウヒが微笑みかけると、ヒヅルも満面の笑顔でそれに応えた。
 中庭の様子はずいぶん慌しいものに変わっていた。
 念のために武装もした禁軍の兵士達が、それぞれに自分の馬やそれに備え付けられた馬具の点検を行っている。
 合流した将軍シュウは副将軍のトウセイ、サジの三人で何かを真剣に話していた。

「あ…ユウヒ様、ほら」

 ヒヅルに言われて振り返ると、すっかり身支度を整えたスマルが、舞の時とは違う剣を帯剣してユウヒ達の方に向かって近付いてきていた。

「へぇ…」

 感心したようにユウヒがこぼすと、ヒヅルが横から嬉しそうに言った。

「惚れ直してしまいますね、ユウヒ様」
「は?」

 今朝の大騒ぎをすっかり忘れていたユウヒは、ヒヅルの言葉にがっくりと肩を落とした。

「どうした?」

 何も知らずに声をかけてきたスマルにも、ユウヒの視線で何となく事態は伝わったようで、苦笑しながらユウヒの肩をぽんぽんと無言で叩いた。
 ユウヒは顔を上げるとスマルに声をかけた。

「様になってるじゃないか。郷でも大騒ぎじゃないの?」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。それよりお前、ヨキさん達に伝言とかあるなら伝えておくぞ?」

 スマルに言われてユウヒは少し考えたが、今は何か伝えられるような事はありそうにない。
 言いたい事は口に出して言えるようなものではなく、もし伝えたとしても心配をかけてしまうような事ばかりが頭に浮かんだ。

「あ、あぁ…うん。元気でやってるって言っておいて」
「それだけかよ? まぁ、いいけどさ。じゃ、俺、禁軍の人達と話しねぇとだから、行くわ。明日には戻るから」
「明日? もっとゆっくりして来たらいいのに…」

 驚いたように言ったユウヒの言葉に、スマルが振り返って返事をした。

「あっちに行ったらキトもいるし、警戒しすぎるのもかえってリンの居場所を教えてるようなもんになる。俺は明日の朝にはホムラを出てこっちに戻るつもりだよ」
「そうか…」
「それに、お前一人にしておいて、何かしでかされてもたまんねぇしな。じゃあな」

 スマルはそう言ってシュウの方へと歩いて行った。