「ヒヅル」
「…はい。あの、申し訳ございません。私…その…」
確かにヒヅルの立場を考えると、ここに居並ぶ面々は普段であればヒヅル程度の女官が席を共にしていいような人物ではない。
「気にするな。ヒヅル、禁軍将軍がお呼びだよ、一緒に剣舞を見ようって…」
「いえ、そんなっ! 滅相もない!!」
「はいはい、わかったから。おいで〜」
嫌がるヒヅルの腕を掴んでユウヒはシュウの隣まで歩いて行った。
「将軍。お隣にこの子、いいですか? 私達は今日、この子に見せるために舞うんです」
ユウヒの言葉に恐縮してか、掴まれた腕を振りほどいたヒヅルはその場に平伏している。
シュウとユウヒは顔を見合わせて溜息を吐くと、ユウヒはヒヅルの傍らに腰を下ろして言った。
「ヒヅル。大丈夫だから…顔を上げて。将軍は、シュウさんなら大丈夫だから」
「ですが…」
平伏したままでいるヒヅルの声がもぞもぞと聞こえてくる。
ユウヒの横にシュウが並んだ。
「ヒヅルと言ったか。お前が見たかったんだろう? 早くこっちへ来い…」
将軍に直接声をかけられヒヅルはさらに萎縮してしまったようだった。
シュウはユウヒとスマルに剣舞の準備をするように声をかけると、ヒヅルの体をぐいっと起こし、剣舞がよく見えるところまで引っ張っていった。
「大丈夫だと言っているだろう、まったく…ほら、命令だ。俺の隣に座ってあいつらの剣舞を見ろ。命令なら従うしかないんだからな」
困ったような顔でぶつぶつというシュウの傍らで、ヒヅルが申し訳無さそうに正座をして固まっている。
その様子を見て思わず笑いそうになるユウヒだったが、剣舞を前に集中しなくては怪我をしてしまいかねない。
ユウヒとスマルは向かい合って立つとそのまま俯いて目を瞑り、意識をひたすら集中させた。
二人につられるように周りにいる人達も静まりかえっていく。
鳥のさえずりが聞こえてくる。
程よい緊張感が辺りに漂い始め、ユウヒとスマルは目を静かに開けた。
「よし」
スマルが声をかけ、ユウヒが返事をする。
「うん」
それを合図に少し離れた場所に背中合わせに立つ。
一呼吸置いた後、二人の剣舞が始まった。
感嘆の溜息があちこちから漏れ聞こえてくる。
そんな中ヒヅルは、ただただ二人の舞に釘付けになっていた。
スマルの舞う男舞とユウヒの女舞。
この二つを組み合わせて一つの舞いにしていくのは、二人が思っていたより随分と難しかった。
直線的な動きの男舞に対し、女舞はまるで円を描くかのような曲線的で柔らかい動きをする。
これはどうしても男に比べて力で劣る女が、自分よりも力のある男と互角に戦う事ができるのかという知恵から生まれたものだと考えられた。
ホムラの剣舞は「舞」と名前が付いているとはいえ、ただ舞踊のために作られたものではない。
その舞の全ての所作が、ホムラ郷に伝わる独特の剣術の型の組み合わせとなっていた。
どちらかというと攻撃に偏っている男舞に対して、女舞の方はどの型も常に防御と攻撃が対となっている。
つまり相手からの攻撃を最初の動作で受け流し、次の動きで一撃を相手に与える動きになっているということだ。
ユウヒがそれに気が付いたのは郷を出て守護の森に独りで入った時だ。
襲ってきた妖達とユウヒが初めて剣を抜いて対峙した時、恐怖に慄きながらも迷う事なく自然に身体が動いた。
その動きこそが、幼い頃からユウヒが慣れ親しんだホムラの剣舞だったのだ。
ずっと長いこと剣舞をやってきたユウヒだったが、その動きが剣術の型となっていることにはその時初めて気が付いた。
そしてその事は、剣舞を見ている禁軍の兵士達も気が付いたようだった。
二人の舞いを比較して、いろいろと意見を述べるような声があちこちから聞こえてくる。
シュウも同じ理由で二人の舞いを興味深げに見ていたが、明らかに自分とは違う目で二人を見つめる視線がすぐ横にある事に気が付いた。
「どうだ、二人の剣舞は」
「…素晴しいです。本当に、素敵です」
穏やかなシュウの声に、ヒヅルは先ほどまでの恐縮もすっかり忘れて答えていた。
二人の剣舞が終わると、拍手や歓声と共にまた喧騒が戻ってきた。
またいつもの慌しい朝の風景がかえってくる。
その場にいた者達も皆自分の持ち場へと移動を始めた。
剣を鞘に納めながらユウヒとスマルがヒヅルの方に近付いてくる。
胸の前で合わせた手をしっかりと握り締めたヒヅルは、座り込んだままで動こうとしない。
すっかりくつろいで座っているシュウの横で、ヒヅルはなんとも異様に見えた。
「ヒヅル! どうだった?」
近くまで来たユウヒが声をかけると、その時初めてヒヅルは何かに打たれたかのようにビクッと身を震わせて顔を上げた。
「はい、あの…素晴しかったです。本当にありがとうございます!」
とても喜んでいるヒヅルの様子に、ユウヒとスマルは嬉しそうに顔を見合わせて笑った。
「ありがとね、スマル」
「おう。じゃ、俺準備があるから行くわ。シュウさん、失礼します」
手を軽く上げて応えたシュウに礼をしてスマルが歩き始めると、ヒヅルはその背中に深々と頭を下げた。
そしてそのままいつまでも頭を上げようとしないヒヅルを見て、シュウとユウヒは顔を見合わせて思わず微笑んだ。