城へ


「あともう少しでございますよ、ユウヒ様」

 背後に立った女が髪に櫛をかけ、その後慣れた手つきで髪を上げ、結い始める。
 正面に立っている女は化粧の準備をし、もう一人がその二人の補助を勤めている。
 ユウヒはもうされるがままになり、ただもう早く終わってくれることだけを祈っていた。
 後ろに引っ張られる感覚がおさまって、髪が結い終わり、唇に紅を注し、紙で軽く抑えたところで女達が満足げにユウヒから離れる。

「まぁ…」

 女達の口から感嘆の声が漏れた。
 ユウヒが不思議そうに首を傾げると、自分達の仕事ぶりにうっとりとした女達が口々にユウヒに向かって声をかける。

「立ち上がってくださいませ」
「こちらへ。ささ、鏡の前に立って、ご自身でご覧になって下さいませ」
 また手を曳いて、ユウヒを鏡の前に立たせると、背後にすっと下がってユウヒを見守る。
 いったい何ごとかと呆れたように女達を一瞥すると、ユウヒは目の前の鏡を見た。

「へぇ…」

 ユウヒが驚きの声を口にすると、女達はますます高揚して黄色い声を上げる。

「素敵でございますよ、ユウヒ様」
「どこぞの国の王と言ってもよろしいほどに、品格に溢れ、堂々としていらっしゃいます」
「とてもよくお似合いですよ、ユウヒ様」
 女達の自画自賛染みた声に苦笑しながら、ユウヒもまんざらでもない笑みを浮かべていた。

 ――本当に王様なんだけどね、しかもこの国の…。

 ユウヒはそんな事をふと思ったが、すぐ自嘲するように小さく笑った。
 そんなユウヒの様子を不思議に思いながらも、女達の視線はユウヒに釘付けになっていた。

「本当によくお似合いです…ホムラ様から伺ってはおりましたけれど」
「えぇえぇ、これだけの装束をお召しになってもなお、その着衣に負けることなくご自身が輝いていらっしゃる」
「なかなかこうはいかないものです。さすがはホムラ様の姉上といったところでございましょうか」

 聞いている方が恥ずかしくなってくるような褒め言葉の嵐に、ユウヒの顔が朱に染まる。

「も、もういいよ。わかったから…ありがとう」

 ユウヒに言われて、女達も顔を見合わせて赤くなる。
 そしてまた最初の時とおなじように床に座り、額が擦れるほどに平伏してユウヒに言った。

「ユウヒ様、何か無礼がありましたようなら、失礼をいたしました」
「他に何もないようでしたら、私共の役目はこれで終わりでございます」
「いかがですか? 何かございましたら遠慮なく…」
 三人はそう言って、顔だけを少しあげる。
 ユウヒは少しだけ考え込み、ふと思い付いて三人の目の前にしゃがみ込んだ。

「えっと、顔を上げてもらえますか? いや、その…立って下さい」

 そう言ってユウヒが立ち上がると、三人の女は不思議そうに顔を見合わせながら立ち上がってユウヒの方を見た。

「あの、いろいろありがとう。こんなに良くしてもらったのは初めてだよ。その…ちょっと恥ずかしかったもんで、いろいろ言っちゃったけど、あの…ごめんね」
 ユウヒがぺこっと頭を下げて照れくさそうに笑うと、女達はどう返していいものかわからず困ったように俯いてしまった。
「あとさ、私は確かに新王様の友人でホムラ様の姉かもしれないけど…様とか付けなくていいよ、ユウヒで。シムザはともかく、ホムラ様っつったって私にとっちゃあの子はリンでしかないし、お姉様って柄でもないもん。周りに人がいる時は仕方がないかもしれないけど、私達だけの時はユウヒって呼んでくれると嬉しいな」

 戸惑った顔でユウヒを見つめる女が口を開いた。

「そうは仰られましても、ユウヒ様…」
「ユウヒ」
「ですが…」
「ユウヒ」
「ではあの、せめてユウヒさんと……」
「………ユウヒ」
 頑として聴かないユウヒに、女達の方がついに折れた。

「わかりました。あなたのような方は初めてです、ユウヒ」
「そう? 普通だよ。だってただの剣舞の舞い手にさ、そんな敬語すら申し訳ないってのに…ね、だからこれからは、さ」

 ユウヒがにっと歯を見せて笑うと、釣られて笑った女達が楽しそうに言った。

「ユウヒ。そういったお召し物の時は、歯を見せて笑うのはおやめ下さいませ」
「え…だめ?」
 ユウヒがひるんで聞き返すと、他の女達もそれに続いて口を開く。
「おやめ下さいませ。上品に微笑むのでございますよ、ユウヒ」
「えぇぇぇ? 無理だよ、そんなの」
「あと、腕が露わになるような腕組みもおやめ下さいませ」
「え? あぁ、はい…」
 ユウヒが慌てて腕を下ろし、困ったような顔で袖を直す。

「心配なさらずとも…ユウヒならきっと、大丈夫ですよ」
「そ、そう? 買被り過ぎでしょう…」

 ユウヒが恐縮してしまって言葉を失うと、三人は笑みを浮かべてユウヒに言った。

「嘘を申しているつもりはありません。ユウヒならば大丈夫だと、そう思うのです」
「…ありがとう」

 ユウヒはそう言って、三人に深々と頭を下げた。

「さ、お急ぎ下さいませ」
「ユウヒさえよろしければ、また私共に湯浴みのお世話をさせて下さいませ」
「ささ、あちらでお履物を…」

 顔を上げたユウヒは、促されるままに入ってきた扉から外に出た。
 そこには履物を脱がせてくれた女達が二人、床に平伏してユウヒの事を待っていた。

「お疲れ様でございました」
「お履物のご用意ができております」

 またこの扱いかとユウヒが苦笑すると、平伏した女達がそのままの体勢で顔を見合わせて頷き、ユウヒに声をかけてきた。

「あの…失礼だとは思いましたが…中でのやり取りが聞こえてまいりまして。その…」
 話しながらも平伏したままの女達が、自分達の言葉に対してどんな反応するのか、怖れているのがユウヒにも見てとれた。
 ユウヒはその女達に近付くと、またすぐ近くにしゃがみ込んで女達の肩にぽんと手を乗せた。
「聞いててくれたならありがたい。そういう事なんであなた達も私の事はユウヒと呼んで下さい」
 はじけたように顔をあげた二人が嬉しそうに顔を見合わせて笑った。
「あと、そういう顔で笑っててくれると嬉しいかな…作り笑いは何ていうか…」
 ユウヒが申し訳無さそうに言うと、二人は照れくさそうに笑って言った。

「はい、申し訳ございません」
「では…こちらへ、ユウヒ。お履物の用意ができております」
「うん」
 ユウヒの返事を聞いて立ち上がった二人が、ユウヒの先に立って歩く。
 そこには装束に合わせた履物がきれいに揃えて置かれていた。
 女達は両側からユウヒの手をとってにこっと笑って言った。
「どうぞ。支えておりますから、片足ずつ足をお入れになって下さいませ」
「うん、ありがとう」
 ユウヒが言われた通りにすると、二人は嬉しそうに笑った。
 すべての支度が整うと、先ほどの湯浴み着の女達も着替えて顔を覗かせた。
 また床に座ろうとする女達をユウヒが止めると、皆は顔を見合わせたものの、言われた通りに立ったままで満面の笑みをユウヒに向けた。

「それでは、いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃいませ」
「うん、ありがとう。みんな」

 頭を下げる女達に礼を言ってユウヒも頭を下げると、じゃぁと手を振ってその場を後にした。

 入ってきたのと同じ場所から外に出ると、天井絵に見惚れていたユウヒに声をかけてきた女中を先頭に三人の女中達が、先ほどとは違う装束を身に纏ってユウヒの事を待っていた。