シール 1.城へ

城へ


 何もかも洗い流すかのように降り続いた雨が止んだ。
 ようやく顔を出した日の光を浴びて、町が息を吹き返す。
 久しぶりに広がる青い空の下、ライジ・クジャの町に喧騒が戻ってきた。

 民の間で「城」と呼ばれているこの国の王宮は、この町のほぼ中央に位置している。
 王宮の敷地をぐるりを囲む城壁には、この国の王旗がはためいていた。
 正式に王が即位すると、王宮の中にある三つの塔それぞれに王旗が上がる。
 それがまだないという事は、王の存在がまだ公ではない事を示す。
 つまり近々、王の即位式が執り行われるという事になる。

 王宮の中はライジ・クジャの町以上に慌しかった。
 その中を、一台の牛車がゆっくりと進んでいた。
 2つの大きな黒塗りの車輪には、金箔の細工が施されており、その装飾に日の光が反射してちかちかと規則的に光を放っている。

 その様子を、塔の上から見つめる二つの影があった。

「お…到着したみたいだね」
「はい」
 牛車に揺られて王宮に来た客人を迎えるためにと着慣れぬ正装をさせられたサクが、同じく窮屈そうに正装したその襟の留め金だけをはずしてしまっているスマルに話しかける。

 二人のいる塔の下まで来た牛車がその動きと止めると、待ち構えていた女中や役人達がその周りにどっと集まってきた。
 ただの王お抱えの舞い手を迎えるにしては度が過ぎるその待遇は、その者が新王の友人であり、現在のホムラ様の実姉であるからに他ならない。

「おやおや。俺達にこんな恰好させただけでは飽き足らず…こりゃすごい歓迎だな。何人出張ってるんだ?」
 感心しているというよりも、明らかに馬鹿にしたように冷ややかな口調のサクに、スマルも苦笑でもって応える。
「シム…新王らしいんじゃないっすかね? で、どうするんです? 王の間とやらにはいつ?」
 スマルがサクに訊ねる。
 サクは眼下の光景に目をやったままで返事をした。

「外から来た者、増してや少し前まで見世物小屋に出入りしていた人間を王宮に招き入れるんだ。身体を清める禊だの何だのって、しばらくはユウヒも振り回されるはずだから…まだここでゆっくりしていてもいいだろう。時間になったら誰か呼びに来るだろうし…来ないなら来ないで、面倒な謁見だかの場に出なくてすむかもしれない。願ったり叶ったりじゃないか?」

 冗談とも本気ともつかぬサクの言葉に、スマルは同感だとつぶやいて笑った。

「お? ほら、出てきますよ」

 サクに言われ、スマルが身を乗り出して下をのぞき込むと、牛車からユウヒが顔を出した。
 頭が痛むのか、その手で時折こめかみを押さえるような仕草をしている。
 スマルはユウヒが普段なかなか眠れないのだと言っていた、四神達の言葉を思い出した。

 ――眠れなかった、のか?

 ホムラ様であるリンの護衛という立場もあり、スマルはユウヒよりも一日早く王宮に戻っていた。
 一昨晩は呆れるほどあっさりと眠ってしまったユウヒだったが、昨晩はそうはいかなかったのかもしれないとスマルは思った。
 厭きれるほどの出迎えを前にたじろぐユウヒの様子を、スマルは愉快そうに眺めている。

「サクさん、なんか面白いっすよ? こっち来て見てみたら…」

 少し退いた位置に立つサクにスマルが声をかけると、サクはサッと手を上げて拒んだ。

「いや、俺はここで…」

 やや引き攣ったような笑みを浮かべるサクを不思議に思いながら、スマルは再度声をかける。

「そうっすか? いい退屈しのぎになりそうなんだけど…」
「別にいいですよ、そんな…うん…」

 不自然に遠慮し続けるサクは、近付いて覗いてみることすらしようとしない。
 スマルは迎えに出た女中達に振り回されているユウヒを見つめながら、ふと思い当たることがあってサクの方を向いた。

「…高いの…だめ、とか?」

 そのスマルの言葉に、サクは諦めたようにがっくりと項垂れる。

「やっぱりわかっちゃいますよね…そうです。どうも高い所は昔から苦手で…」
「なるほど、それで…あ、だったら執務室にいたら良かったんじゃないっすか?」

 サクが普段使っている執務室は、三つの塔とはまた別の棟の三層造りの最上階層にある。
 そんな恐い思いをしてまで塔の上にいるサクを、スマルは不思議に思った。
 サクはばつの悪そうな顔をして渋々答える。

「あんな所にいたら、今日はずっと出突っ張りになりますよ。普段の仕事ならまだしも客人の接待でしょう? いくらその客がユウヒでも、面倒くさいのはごめんですよ」
「そういう事っすか。じゃ、サクさん見れない分、俺が見ておくんで」
 スマルはそう言って笑うと、ぐいっとさらに身を乗り出して下を覗き込んだ。

「ぅわぁ…ちょっ、ちょっと…」

 力のないサクの声にスマルが振り返る。

「はい? どうしました?」
「あの…やめてくんない? 落ちそうで見てられないんだよ。乗り出すのはちょっと…」

 情けない表情で頼み込むサクに、スマルは声を出して笑った。