刀鍛冶


「どういうつもりですか、チコ婆様」

 スマルはトーマが奥の座敷に入った事を横目でちらりと確認すると、チコ婆のすぐ近くまで寄って来て小声で話しかけた。
 しかし怒ったような顔で問いただすスマルにも、チコ婆は臆する様子すらない。
 答える気配さえも見せず、ただ静かにスマルの言葉に耳を傾けている。

「郷を出ろと言ったり、剣を鍛え直したり…いったいチコ婆様は、これ以上何をあいつに背負わせようとしてるんですか?」
 顔色一つ変えずにいるチコ婆の様子が、スマルは腹立たしくて仕方がなかった。

 そうは言っても声を荒げて問い詰めることもできず、スマルはさっきまでトーマが座っていた場所に腰を下ろし、チコ婆から目を逸らして黙り込んでしまった。

「…時の、流れというものはな、スマル」

「…なんですか、それ?」

 チコ婆がまた、スマルが思ってもいない話を唐突に始めた。
 スマルは苛立ちを隠そうともせずにチコ婆の方を睨み付けた。

「いいから聞け、スマル。時の流れというものはな、ある時突然、ゆっくりと動き出すんだ。最初は誰も気が付かないほどにゆっくりと、でもそれはどんどん大きなうねりとなって、周りを巻き込みながらどんどん速さを増していくんだ」
 スマルはチコ婆の言いたい事を測りかねていたが、それでも黙ったまま、堰を切って出てきたようなチコ婆のその言葉に耳を傾けていた。

「そうなったらもうその流れは誰にも止められないのさ。そりゃね、いつかは止まる、時がくればね。でもその時まではただひたすら、大きなうねりとなって流れ続けていくんだよ」

「…尻を叩かれた、悍馬みたいですね」
 スマルが思わず口を挟むと、チコ婆はスマルの方を見てにっこりと笑った。
「あぁ、そうだな。お前はうまい事を言う。そうだ、走り出した悍馬みたいなもんだ」
 スマルは押し黙って、チコ婆の言葉の意味を考えた。
 チコ婆の視線を感じながら、しばらく考え込んだスマルは、意を決したように思ったままを口に出して言ってみた。

「あいつに…ユウヒに、その馬を止めさせようっていう事なんですか?」
 チコ婆はそれに首を振って答えた。
「馬はもう少しずつ走り出してるんだよ、スマル。言っただろう? 時がくれば馬は止まるんだよ」
 スマルは黙ってチコ婆の次の言葉を待った。

「あの子に委ねたのはね、その馬の尻を引っぱたくかどうか、って事だ。もっと言うなら、その馬の手綱を取って突っ走るかどうかって事も、かな? 全部決めてやった方がいいのかねぇ。私にも、よくわからんのだよ、スマル。ただね、どっちに転んでも流れにのまれるしかないなら…」

 チコ婆は一瞬言葉に詰まったが、すぐに次の言葉がこぼれるように出てきた。

「それしか道がないって言うならね。ただ流されるより、自分の意思で流れに飛び込んで欲しいって、そう思っちまうのは…孫に甘すぎるかねぇ、私は……」

 スマルは返す言葉が見つからなかった。
 そんなスマルを見て、チコ婆は嬉しそうに笑みを浮かべた。

「あの子達は幸せだね。こんなに心配してくれる友達がいるんだから」
「いや、別に俺はそんな…」
 チコ婆は、いきなり褒められ照れて困り果てているスマルを、幸せそうに見つめていた。

 だがその笑顔をまたすっと奥に閉じ込めて、チコ婆は神妙な顔つきに戻ると、袂からもう1通の書付を取り出してスマルの方に差し出した。

「受け取れ、スマル。中身はお前なら見てもかまわん。あの日言ったすべてがそこに書いてある」