[PR] 母の日 9.刀鍛冶

刀鍛冶


 祭の日から3日が経っていた。

 郷の外から来ていた見物客も、そのほとんどがすでに郷を出た。
 祭のために一時的に帰郷していた者達も少しずつ郷を発ち始め、ホムラの郷はまたいつもの佇まいに戻りつつあった。

 郷の西のはずれには、鍛冶屋が軒を並べる一角がある。
 舞の準備でたくさんの剣が持ち込まれ、ここしばらくは大いに活気付いていたこの界隈も、祭の終わりとともに元の落ち着きを取り戻し、人気のない静かな通りには刀を打つ槌の音だけが鳴り響いていた。

 鍛冶屋通りの一番奥まったところにあるトーマの店は、鍛冶屋の中でも刀剣や槍などを専門に扱っている刀鍛冶だ。
 幼い頃からトーマの仕事を見るのが好きだったスマルは、数年前からトーマのもとで修行をしながら働いていた。

 その日の昼過ぎ、トーマの店に一対の剣が持ちこまれた。
 持ち込んできたのは他でもない、年寄り衆でユウヒの祖母、チコ婆だった。
「チコ婆が直々に足を運ぶとは、これまた珍しい。いったいどういう風の吹き回しだか…」
 そう言って笑いながら、トーマは自ら店頭に出て珍客を店の中に招き入れた。
 この店の主トーマとチコ婆は、刀鍛冶として独り立ちして店を構える前からの旧知の仲である。

「で、今日はどういった?」
 いつになく神妙な顔つきのチコ婆にトーマが声をかけた。
「この剣に、これから言う細工を施してもらいたい」
「あぁ、いいですよ。他ならぬあなたの頼みだ。引き受けましょう」
 舞に使う剣がここに持ち込まれることは珍しいことではない。
 トーマも、チコ婆の頼みとあって、二つ返事で仕事を請け負った。

「ありがとう。早速だけど、これを見てもらいたい」
 そう言って、チコ婆は1通の書付を主に渡した。
「では、拝見させてもらいます」
 トーマはそう言うと、恭しくその書付を取り、中身に目を通し始めた。

 仕事の依頼内容を記したその書付に、トーマは最初すらすらと流すように目を通していた。
 だが読み進むうち、トーマの顔色はどんどん変わっていった。
 怪訝そうな表情に変わる様を見て、奥に控えていたスマルが声をかけてきた。

「トーマさん、どうしました?」

「いや…あぁ、スマル。お前もこっちに来なさい」
 トーマに呼ばれ、スマルも奥から顔を出した。
 その場のただならぬ雰囲気に、スマルは神妙な顔つきで歩み寄ると、トーマのすぐ後ろに椅子を持ってきて腰を下ろした。

「こんにちは、チコ婆様」
 チコは静かに頷くと、少し悲しげな笑みを浮かべてスマルに言った。
「おぉ、スマル。あれ以来だな」
「はい…」

 ――あれ以来

 その言葉に、三日前の祭の日に聞いたチコ婆の言葉がスマルの中に嫌が上にも蘇ってきた。

「あの…ユウヒとリンは?」
 スマルが心配そうに尋ねると、その表情を嬉しそうな笑みに変えて穏やかに答えた。
「あぁ、元気だよ。リンは、そりゃ急がしそうにあれこれやってるね。ユウヒも…あの子にしちゃ珍しく言いつけを守ってるよ」
「そうですか…」
 スマルは少し顔を歪めて笑うと、安心したようにため息を一つついた。

 もっといろいろと聞きたい事はあるのだが、トーマの手前、口に出せない事の方が多い。
 結局、当たり障りのないような、他愛のない世間話をする以外にないスマルだった。

「あぁ、チコ婆。あの、ちょっと…」

 二人の会話にトーマが割って入った。

「これは…何かの間違いでは?」
 トーマの話に、スマルが不思議そうな顔して、チコ婆に視線を移してその顔を覗き込んだ。
 黙ったままのチコ婆に、トーマがもう一度問いかける。

「本当に、この書付の通りに剣を鍛え直してもよろしいんで?」
 真剣な眼差しのトーマに、スマルもその視線をたどってチコ婆を見つめた。
 チコ婆は目を瞑ったままだったが、それでもはっきりとした口調で答えた。

「あぁ。かまわない」
 トーマが思わず息を呑む。

 そして一呼吸おくと、念を押すようにもう一度チコ婆に尋ねた。

「つまり…ユウヒの剣を実戦でも使える剣に作り変えろ、という事でいいんだね?」

「な…っ、実戦だって!?」
 スマルが驚いてチコ婆を食い入るように見つめた。
 刀鍛冶の二人は、チコ婆の返事を待った。

「……あぁ、そういう事だ」

「いったいなんのために!?」
 スマルが思わずチコ婆に聞いた。

「あいつの剣は舞いのための剣だ。なぜそんな事をする必要があるんです?」
「その必要があるからだ」
 チコ婆は厳しい声できっぱりと言い切った。

「できるか、トーマ…」
「可能かどうかという話であれば、もちろん可能だよ。可能だが…」
 問い返そうとするトーマの声をさえぎってチコ婆が答える。
「ならば頼む。込み入った事情がある、なぜかという問いには答えられん」
 有無を言わせないチコ婆の口調に、トーマもさすがに言葉を呑んだ。

 言葉のないまま、思惑を探ろうとしているかのようにトーマはチコ婆から目を逸らさないでいた。
 チコ婆もまた、黙ったままでトーマの方をじっと見つめていた。
 スマルはというと、居心地の悪さを感じながらも、その場を離れることもできずに座っていた。

 長い沈黙をやぶったのは、トーマのため息だった。

「…わかった。さっきやるって一度は言ったしね。この仕事、引き受けるよ……」

 そう言うと、トーマは立ち上がって奥の座敷に上がり、独り静かに煙草を吹かし始めた。