「ソウゲツ?」
「あぁそうだ。ヒヅ文字で「蒼い月」と書いて「ソウゲツ」だ」
チコ婆は言葉を発する度に頭の中で考えがまとまってくるのか、次第に冷静さを取り戻しつつあるようだった。
「リンがホムラの名をもらったように、ユウヒにもその名が与えられたんだよ」
チコ婆が孫に言って聞かせる口調で言った。
そしてふっと視線をスマルに移した。
スマルがその視線に気付いた時、一瞬だがチコ婆は微笑んだように見えた。
「私は…私には無理だ。お前にそんな……私はやっぱり、孫に甘いただの婆さんだよ」
そんな意味のよくわからない独り言を口走ると、チコ婆はまた思いも寄らない事を言った。
「ユウヒ、お前はその名を抱えて、郷を出なさい」
「え?」
「…なっ!?」
突然の言葉に、ユウヒも驚いていたがそれ以上にその後ろにいたスマルが驚いていた。
「何を言ってんだ、チコ婆様!? そんな事……だってユウヒはこの……っ」
「スマル!!!」
チコ婆は、スマルを一瞬で黙らせた。
スマルを釘付けにしているチコ婆の目は、これ以上一切の発言を許さないと語っていた。
「わかっておる! ただ私はっ!!」
身を乗り出してスマルを見据えていたチコ婆は、ゆっくりと一呼吸おいて、また腰を下ろして話を始めた。
「私はバカな婆さんなんだよ。こんな事態になっても、孫に自分の運命を選ぶ、切り開く、掴み取る機会を作ってやりたいなんて事、本気で思ってるんだよ」
今ひとつ話の見えないユウヒとリンが、顔を見合わせ、お互いに頭を振っていた。
「バカな婆さんのワガママを聞いてくれるかい、ユウヒ」
静かに問いかけるチコ婆に、ユウヒは戸惑いながらも頷くことで意思表示をした。
チコ婆はまた大切な孫を見つめる祖母の目で、口調で、ユウヒに向かって話を始めた。
「この祭でユウヒ、お前はホムラによって自分の運命の歯車を思ってもない方に大きく動かされた。今はまだよくわからないかもしれないけど、そうなんだよ。でもね、私はお前にすべてを納得した上で、自分の歩むべき道を自分で決めて歩いていって欲しいんだよ。わかるかな、ユウヒ。だから、そのために私は今日ここで言うべきだった、言えと言われていた真実をあえてお前には伝えないでおこうと思う」
「チコ婆様…」
何を言っているのか要領を得なかったが、チコ婆の自分に対する愛情だけは痛いほどに伝わってきたユウヒは、何も問い返す気になれないでいた。
「いいかい。蒼月の名は、その時が来るまでは誰にも言うんじゃないよ。そして郷を出ろ、ユウヒ。運命の奔流などに流されるのではなく、お前自身の手で、掴み取っていって欲しいんだ。そのためにもここにいてはいけない。郷を出るんだ」
チコ婆はそこまで言うと、吹っ切れたようにすっきりした顔で、目の前の三人の顔を順に眺めていた。
スマルはチコ婆の言葉に心底驚いていた。
だがやはり頭は冴え渡り冷静で、事態がどのように落ち着くのか、ただ黙って見守っていた。
「言いたい事はまだまだあるんだけど…」
ユウヒが口を開いた。
「チコ婆様の気持ちはわかったよ。腑に落ちない点は多いけど、わかった。郷を出るよ」
「姉さん……」
リンが不安そうな顔をして、隣のユウヒの事を見つめていた。
それに気付いたユウヒはリンに向かって苦笑して、そして勤めて元気な声でリンを気遣った。
「大丈夫だよ。なるようになるさ…」
もうこれ以上は何も聞き出せないと腹を括ったのか、ユウヒの声には力がこもり、その目はまっすぐにリンを見つめていた。
そんなユウヒの様子は、何らかの運命を姉に背負わせてしまい、少なからずそれを気にしているリンを元気付けていた。
リンが微笑み返してきたのを確認したユウヒは、安心したように笑みを浮かべ、そして今度はチコ婆の方に向き直った。
「今日もらったもう一つの名前は、その時が来たと私が判断できた時までは他言しない。約束するよ。他には、どうすればいい?」
問われたチコ婆がそれに返す。
「すべてを話したという事になっておる。だからこの場で話した事もすべて他言無用じゃ」
「はい」
ユウヒの返事は、強く、力がこもっていた。
「それとな、ユウヒ。沙汰があるまで、家かどこかに、こもってちゃぁもらえないかい? 誰かに会って話せば必ずボロが出る」
「あぁ、いいよ」
即答だった。
チコ婆は、頼もしく成長した孫の姿に満足げに、でもどこか寂しそうに笑みを浮かべた。
「すまないね、ありがとう。私の話は、これでおしまいだ。長々と悪かったね、三人とも」
三人ともそんな事は気にしていないと首を振り、そしてその場に立ち上がった。
出入り口の方へと歩き出した三人の背中に、チコ婆は思い出したように声をかけた。
「スマル! ちょっといいかい?」
スマルが足を止めて振り返った。
「なんですか?」
チコ婆を目が合い、スマルは思いついたようにチコ婆にたずねた。
「それより…なんで俺にはすべてを話したんです?」
もっともな疑問だったが、チコ婆はあっさりと事も無げに答えた。
「ユウヒ一人で背負いこむには、あまりにでかいと思ったのさ。すべてにあの子が気付くまで、気付いた時、あの子を支えてやって欲しいんだ、スマル」
スマルは納得したように頷き、チコ婆はそれを見て満足そうに笑みを浮かべた。
「でだ、スマル。お前に、頼みたいことがある」
「…俺に?」
不思議そうに聞き返すスマルに、チコ婆が不敵に笑った。
「あぁ、そうだ。正確には、お前と、お前んとこのトーマに、だがね」
その頼みごとの内容が明らかになるのは、それから三日後の事だった。