チコ婆の顔から先ほどまでの穏やかな笑みがすーっと消え、祭の間ずっとそうだったように、また苦しそうな、泣きそうな複雑な表情が浮かんでいた。
ユウヒはかまわず言葉を続けた。
「鏡映しの舞は、誰かもう一人舞手がいないと成り立たない。対を成す誰かが必要なんでしょう? チコ婆様は私が一番知りたいところをまだ隠してる。もう聞いてもいいはず、違うの?」
ユウヒの声が広間に反響した。
チコ婆は俯き、リンは戸惑った様子で声を荒げた姉の顔を見つめていた。
スマルはただ黙ったままで、3人の様子を見守っていた。
ユウヒは意を決したように、チコ婆に送ったまっすぐな視線を動かそうとはしなかった。
「もう教えてくれてもいいでしょう?」
チコ婆はまだ顔を上げなかった。そのチコ婆にユウヒの視線が突き刺さる。
「チコ婆様!」
ユウヒはそう言うと、チコ婆の方を見つめたままで黙って返答を待った。
リンは不安そうな顔をしてユウヒとチコ婆を見ているが、何か声をかけるでもなく様子を伺っているようだった。
「神宿りの儀は…」
チコ婆がついに口を開いた。
「次代のホムラ様を選ぶ祭。終の舞の時に、降りてこられて娘に宿る…」
「終の舞の時…必ず終の舞の時だって言ってるんだね、チコ婆様」
聞き返すユウヒにチコ婆は神妙な顔で頷いた。
「終わりという意味の終の舞であると共に、一対の舞という意味での対の舞、両方の意味を持った舞なんだよ、終の舞ってのはね…」
その顔は笑顔でも、泣きそうな顔でもなく、年寄り衆の一人、チコ婆の厳しい顔だった。
「私が終の舞の舞手だったから、リンが選ばれたの? そうじゃないよね?」
ユウヒの問いにチコ婆が頷く。
「あぁ、違う。ホムラ様は終の舞の舞手の鏡映しになるとは限らん。そこは決まってない」
「そうか…次の舞の舞手がリンになったのも皆が選んだんだからそこに誰かの意思は介入してないし…うん、わかった」
ユウヒはひとまず小さな疑問を一つだけ解決して落ち着いたのか、またいつもの口調に戻っていた。
「でも、まだわからない事は多いんだよ。チコ婆様、ここで聞いてもいい?」
チコ婆の眉がピクリと動いたのをユウヒは見逃さなかった。
釘を刺される前にと、ユウヒはチコ婆の返事を待たずに言葉を継いだ。
「神宿りの儀は次代のホムラ様を選ぶ、そう言ったよね? でもそれだけ? ホムラ様はなんで降りてくるの? ホムラ様はなんで、リンはどうして私と対で舞ったの?」
ユウヒの言葉に、後ろにいたスマルは思わず下を向いて目を瞑っていた。
その理由をスマルはすでにチコ婆から聞かされていた。そして同時に他言無用と固く口止めもされていた。
チコ婆は、ユウヒにすべてを伝えてしまうのだろうか? そんな重要な話をする場に居合わせることになってしまったという事実。スマルは鳥肌が立った。
ところがチコ婆の口から出た次の言葉は、想像したどれとも違うものだった。
「ユン!」
チコ婆は唐突に、少し離れたところに控えている年寄り衆達の方へ呼びかけた。
年寄り衆が俄かにざわめき、名前を呼ばれた長老が返事をした。
「どうした、チコ」
「ちょっと…はずしてもらえるかい? ユンだけじゃない、年寄り衆全員だ」
手筈とは違うチコ婆の行動に、動揺した年寄り衆の面々が小声で何かを話し合っているが、長老はそのまましばらくチコ婆の事をじっと見つめ、そしてゆっくりとその場で立ち上がった。
「……わかった。いいだろう。皆、聞いたとおりだ。ここはチコに任せて我々は出るぞ」
「しかし…」
反論が出るのも無理はなかったが、長老はその一切に耳を貸さずにゆっくりと歩き出した。
その他の年寄り衆が慌しく広間から出て行き、それを出入り口のところで見届けた長老は、最後にチコ婆に向かって声をかけた。
「チコ、頼んだぞ」
チコ婆は黙って頷き、長老はそのまま広間を出て扉を閉めた。
広間の中は、チコ婆とユウヒ、リン、それにスマルの四人だけになった。
「さて、どうしたものか…」
チコ婆が言葉を捜しているのを、三人は黙って見つめていた。