選ばれし者


 ホムラ様のご神体の置かれている広間では、意識を取り戻したリンがチコ婆と二人で何やら話し込んでいた。
 先に社の中に入って行ったはずのヨキ達は、隣室に控えているのか姿が見えなかった。
 少し離れたところには、年寄り衆達が深刻な顔をして並んで座っている。

「すみません、遅くなりました」

 ユウヒがそう言って広間に入っていくと、場の空気が目に見えて変わった。
 年寄り衆の顔がいっそう険しくなり、何かをしきりに囁き合っている。
 それとは対照的に、チコ婆はとても穏やかな表情でユウヒを迎え入れた。

「もう大丈夫かい、ユウヒ? スマル、ありがとう。あんたもこっちへ…」

 廊下に立って、そのまま引き返そうとしていたスマルは、チコ婆に呼び止められ、戸惑いながらも広間に入った。

 広間の中は行灯のあかりでずいぶん明るくなっていたが、ゆらりと長く伸びる影に、ユウヒの足が思わず止まった。
 それに気付いたスマルが、後ろからユウヒに追いついて肩に手をおいた。
「大丈夫だから。ほら、行けって……」
 小さい頃から一緒のスマルは、ユウヒが暗闇よりも、光に照らされて出来た影の方が苦手だという事をよく知っていた。

 スマルの声に安心したようにユウヒは足を進めて、チコ婆の側までやってきた。
 ちょうど向かい合うように腰を下ろすと、その横にリンが来て同じように腰を下ろした。
 スマルは当事者ではないので気が引けたのだが、チコ婆に促されてユウヒのすぐ後ろに控えることになった。

「今日は、お疲れさんだったね。スマルも、よぅ来てくれた、ありがとう」
 ほんの少し前までとは別人であるかのように、何とも柔らかな表情で穏やかに話すチコ婆に、スマルはどうしようもない違和感を感じていた。
 一方、ユウヒとリンはというと、本当に疲れ果てた様子ではあったが、やっといつもの見慣れた祖母に戻った事に心から安堵している風だった。
 肩の力が抜けて緊張が和らいだことが、後ろに座っているスマルにはよくわかった。

「ユウヒ。リン。いきなりあんな事になって、驚いただろう? すまなかったね」
 頭を小さく下げて詫びるチコ婆は、舞手の娘達を前に頭を下げた時とは違い、年寄り衆の威厳などという面倒なものを一切合財脱ぎ捨てた祖母の姿でしかなかった。
 ユウヒとリンは顔を見合わせて笑みを浮かべた。

「チコ婆様」

 最初に声をかけたのはリンの方だった。
「さっきチコ婆様に話を聞くまでは、夢なんじゃないかって思ってた。意識はあるんだけど、自分が自分じゃないみたいで…体も勝手に動くし……」
 ユウヒもリンの話を興味深そうに聞いている。

「姉さんの舞の稽古は、私も見てはいたけど、さすがに真似はできないでしょう。それがきれいに鏡映しになって、もう驚いたよりも舞ってて気持ちが良かったっていうのが正直なところなんだよね、私」

「…まったく、そんな事を思っていたのかい!」
 チコ婆は思わず呆れたように高い声で言い、声を出して笑った。
「リン。たいした子だよ、あんたも」
 そう言われて、リンもつられて笑っている。
「だって、姉さんがあんなに稽古していた終の舞を、私は稽古なしに舞ったわけだから。本当に不思議な気分。でも気持ちが良かったよ」
「そうかそうか……」
 頼もしい孫の言葉に、チコ婆の顔がほころぶ。

 一緒になって笑っているリンとチコ婆を前に、今ひとつすっきりしないでいたのがユウヒだった。
 そしてスマルもまた、ユウヒ達姉妹の後ろに控えて、チコ婆が何を考えているのか量りかねていた。
 あの時、チコ婆が自分に言って聞かせたあの話は、全部嘘だったのかと言いたくなるような二人の様子に、スマルは心底戸惑っていた。

 そんなユウヒやスマルをよそに、リンとチコ婆の話は続いている。

「鏡映しか…あの紫色の霧の中でも、ずっとそうだったんだね?」
「そうだよ、ずっとそうだった」
 リンが答えると、チコ婆が大きく一呼吸置いて話し始めた。
「あれはね、鏡映しの舞っていう、ホムラ様が降りてきた娘の舞う舞なんだよ。どんな舞になるかは、その時にならないとわからないんだ」
 チコ婆がいったん言葉を切り、ユウヒの方に視線を移した。

 ユウヒは膝の上に置いた手を強く握り締めて俯いていた。

「どうした、ユウヒ」
 チコ婆が声をかけると、ユウヒはゆっくりと顔を上げ、静かに話し始めた。

「その時にならないとわからない、というのは…誰と対を成すからわからないから、だよね? チコ婆様」

 ユウヒの声は静かで重たかった。