選ばれし者


 夜の社は、濃い霧に包まれていた。

 舞台の上もだいぶ煙ってきてはいたが、その中央部分にかかった霧だけは明らかに他の場所とは異質だった。
 まるで中で何が起こっているかを覆い隠そうとしているかのように、濃く、そしてなぜか紫ががった色をしていた。

 郷の外から来た見物客は、それが何かの演出なのだろうと思ってひどく興奮した様子で歓声を上げていたが、郷の者達は違った。
 何が起こっているのかは見えなくても、ホムラ様が降臨したのだとわかっているからだ。

 歓声と戸惑いの声で騒然とする中で、スマルは立ち上がる事もできずに舞台中央の紫色の霧をじっと見つめていた。

 あの霧の中にリンとユウヒがいる。

 最後にはっきりと見えた時には、リンがユウヒに向かって剣をまっすぐに伸ばして立っていた。
 その後、二人はまったくの左右対称の動きで、まるで一対になって一つの舞を舞っているかのようだった。

「そ、そんなの聞いてねぇぞ、俺は…」
 スマルは悔しそうにボソッとつぶやいた。
 二人の姿が見えないことも、何が起こっているのかはっきりしないことも、何もかもがもどかしくて腹立たしかった。無意識に拳に力が入り、その手が口許に動いた。
 もう片方の拳は膝の上で震えていた。

「……スマル」

 ふいに名前を呼ばれて、スマルはビクッと体を小さく震わせて声のした方に顔を向けた。

「スマル。ちょっと一緒に来てくれるかい?」
 そこには力なく笑うチコ婆が立っていた。

「あ、チコ婆様…あのっ……」
「スマル! 気持ちはわかるが…話はあとでな。ここではちぃと、人が多すぎる」
「あぁ…」
 スマルはハッとしたように目を見開き、それからばつが悪そうに頭を掻いた。
「はい、わかりました」
 チコ婆にぴしゃりと釘を刺され、スマルは黙ったままチコ婆のあとをついていった。

 途中、不安そうな顔をした郷の人々から何度も呼び止められた。
 普段であれば、どんなに忙しい時でも立ち止まり、例えそれが取るに足らないようなつまらない話であろうと、愛想の良い笑顔を浮かべ、その耳を傾けるチコ婆が、今日は立ち止まるどころかにこりともせず、終始黙ったままで目も合わさずにその場を通り過ぎた。

 チコ婆に無視されるその度に、その場に残された郷の人々は戸惑った様子で立ち尽くし、二人の背を目で追っていた。
「あの…チコ婆様?」
 スマルが声をかけると、チコ婆は小さく振り返り
「まだだ」
 とだけ言うと、そのまま足早に社の敷地内に足を進めた。

 スマルはため息をついて、黙ってその後を追った。