靄がだいぶ濃くなってきて、いつの間にか霧が辺りを包み込んでいた。
霧に反射した篝火が、舞台の上をよりいっそう幻想的な空間に見せていた。
腕をまっすぐに伸ばし、互いに剣先を向けて向かい合うユウヒとリン。
一瞬がとても長く感じられたその時、ユウヒの脳裏にチコ婆の言葉がよみがえってきた。
――何が起こっても、最後まで舞を止めることなく舞い続けて欲しい……
ユウヒはハッと我に返り、向かい側のリンを見つめた。
あいかわらずリンは虚ろで、光を宿さないその目は何も映してはいなかった。
ここで何かを言ったところで、リンがどうにかなるものでもなさそうだ…そう思ったユウヒは、意を決して舞いを続けることにした。
前に伸ばした腕をゆっくりと上に上げていく。
すると、目の前にいるリンも同じように剣を持った腕をゆっくりと上に上げた。
その腕の方にくるりと回転し、もう一回転する間に右手の剣を胸の高さまで上げて逆手に持ち替える。
どんどん濃くなっていく霧の中で、ユウヒは舞い続けた。
内心ひどく動揺してはいたが、舞は体が覚えている。体の動くに任せて舞うユウヒの手は、より強い力で剣を握り締め、踏み込む足はより力強く床を鳴らす。
その隣では、リンがまるで鏡に映したかのように、ユウヒと対称になるように終の舞を舞っていた。腕の角度、腰の高さ、顔の向き、どれをとってもきれいに対になっていた。
リンはユウヒの終の舞を見たことはあったが、舞ったことはなかったはずだ。
ましてや一挙手一投足、すべてを対称に完璧に舞うなど、ありえない事だった。
ユウヒははっきりと悟った…選ばれたのはリンだということを。
神が、ホムラ様が今、リンの許に降りてきているのだ。
そう思った途端、いきなりまた耳鳴りがひどくなり、それと同時にユウヒは肩から肘にかけて得体のしれない熱を感じた。
――ん? なんだろう…肩が重い、二の腕がやけに熱い……
不思議に思っていたユウヒは、視界の隅にとらえたリンの様子に背筋が凍りついた。
リンはまるで燃えているかのように、赤い炎のような何かに包まれて舞っていたのだ。
リンの装束に何も変化がないのを見て、それが本物の炎でない事はわかった。
だがその赤い炎は消えることなくリンを包み込んで、その炎の頂点が上へ上へと伸びている。
ユウヒは舞いを止めずにその先を目で追い、そして絶句した。
自分の方からも、同じような炎がリンの赤い炎に向かってどんどん伸びていたからだ。
熱を感じるのはあいかわらず両方の二の腕だけだったが、それでも気配でリンと同じように自分も炎のようなものに包まれていることがユウヒにはわかった。
ただリンのような赤い炎ではない。
自分を取り巻いているその炎の色は違っていた。
――青い、炎?
霧で煙っていて外からは見えないのか、すべてはホムラ様の見せている幻影に過ぎないのか、あたりは嘘のように静かだった。
慌てふためく様子も、驚きの声すらもいっさい聞こえてこない。
霧に囲まれた不思議な空間の中、二色の炎に包まれたユウヒとリンの二人だけが、ただ静かに終の舞を舞っていた。
頭上高くでぶつかった二つの炎は、混ざり合い、からまり合いながら何かを求めて伸び続けていた。そして赤い炎がユウヒに、青い炎がリンに届いた時には、その炎は完全に1つの塊となって、ユウヒとリンを囲むその空間を紫一色に染めていた。
聞こえてくるはずの笛や太鼓の音もない静かな世界で、ユウヒは静かに舞いを続ける。
リンはその隣で、ユウヒの動きをひとつもはずすことなく同じ舞を舞っていた。
まるで二人だけが、紫色の世界に閉じ込められたかのようだった。
「リン…」
その名前を声に出して呼んでみたが、返事どころか反応すら皆無だ。
今のリンにユウヒの声が届くことはなかった。
ユウヒはリンに呼びかけることをあきらめて、黙々と舞を続けた。
耳鳴りに混じって誰かの声を聞いたような気がしたが、しばらくすると耳鳴りもおさまり、そんな気配もすっかり消えてしまっていた。