神の宿る祭


 櫓の迎え火点火を無事に終えた年寄り衆達が、神妙な面持ちで社の敷地内に入ってきた。

 皆が舞台中央のすぐ前に用意された年寄り衆のための桟敷席に留まる中、そのまま奥に向かって歩いていく影が一つだけあった。
 年寄り衆の中でも強い発言力を持つ者の一人、チコ婆である。

 夕方に急遽集められた年寄り衆の寄り合いも、このチコ婆の提案によるものだった。
 チコ婆は郷に伝わる古い書物などの管理もしており、あらゆる知識に精通していた。
 よって、他の年寄り衆が知らないような、もっと言えば、王がなくなった年に行われる神宿りの儀の本当の意味についてもよく知っていた。
 これから起こるであろう事態について思いを馳せると、チコ婆は心が締め付けられるように苦しかった。年寄り衆の一人としてではなく祖母として、自分の孫達の事が気がかりでならなかった。

 年寄り衆には真実を伝えた。そして自分の娘ヨキと、その夫イチにも真実を告げた。
 だが何よりも知らせるべきであろう当事者、舞を奉納する娘達には肝心な部分を伏せた形でしか伝えていなかった。娘達に直接話をしたのはチコ婆の娘のヨキであったが、一部分を伏せた形で伝えるようにとの指示を出したのはチコ婆だ。

 チコ婆は胸騒ぎがしてならなかった。
 気が急いているのか、どうしても足早になってしまう。
 舞を奉納する娘達と、その指導をしてきたヨキらの前にようやく辿り着いた時、チコ婆は息が少し上がり、肩がわずかに上下していた。
「みんな、待たせてすまなかったね」
 はぁっと息を吐いて呼吸を整えると、チコ婆は娘達に向かって声をかけた。

 その場に集まっていた娘達はチコ婆の声に一斉に振り返ると、片膝をついてその場で一礼し、そのまま次のチコ婆の言葉を待った。
「そんな丁寧に礼なんてする必要はないよ。みんな立って、私の周りに集まっておくれ」
 チコ婆はスッと歩み出て、ヨキの隣りに並んだ。
 娘達はチコ婆やヨキら舞の指導者三人を取り囲むように集まった。
 その娘達一人一人の顔を見回すと、チコ婆はゆっくりと頷いて話を始めた。
「みんな、今日までよく頑張ってくれたね」
 そう言うと、チコ婆は娘達に向かって、深く深く、頭を下げた。

「な…ちょ、ちょっと、チコ婆様?」
 最年長のニイナが側に駆け寄ってチコ婆の肩に手を置いた。
「やめて下さい。そんな、私達は今までの年と同じように、舞の稽古をしてきただけですよ?」
「そうですよ、チコ婆様。頭を上げて下さい」
 アサキも同じように駆け寄って、チコ婆の体をゆっくりと起こした。
 顔を上げたチコ婆は、怒ったような、泣いているような、そんな複雑な面持ちで黙ってその場にいる者達を見つめていた。
 周りにいる人達の手前、身内であるユウヒとリンは、何となく駆け寄り難く、その場でただ立ちすくんでいた。

 組んでいた腕をスッと下ろしてユウヒが言った。
「チコ婆様。そんな顔をしないで下さい。私達なら大丈夫ですから」
 ユウヒの言葉にニイナとアサキが黙って頷き、チコ婆をまっすぐに見つめた。
 リンもまた頷いて、笑みを浮かべて口を開いた。
「そうだよ、チコ婆様。だからそんな顔をしないで」
 その場にいる娘達は全員、黙って頷いてチコ婆の方を見つめていた。
 チコ婆はやっとその苦しげな表情を解いて力なく穏やかな笑みを浮かべると、娘達に向かって静かに話し始めた。
「さすがはホムラの娘達だね。今のあんた達の顔見て、私は心底安心できたよ」
 いつも通りの、穏やかだが力の宿ったチコ婆の声に、娘達は皆黙って耳を傾けていた。
「みんな覚悟は決めてくれたようだね。それじゃ私から一つ、みんなに頼みがある」

 娘達の間にピンと緊張した空気が流れた。
 それを確認して、チコ婆はまたゆっくりと言葉を続けた。
「今日の舞の奉納なんだがね、何が起こっても、決して舞を止めないで欲しいんだよ」

 娘達の、特に若い娘達の表情がサッと曇った。
 ニイナ、アサキ、ユウヒの年長者3人の顔にも、緊張が浮かんでいた。
「まぁ、何が起こるかわからんから、こんな言い方しかできないんだがな…何が起こっても、最後まで舞を止めることなく舞い続けて欲しいんだよ。できるかな?」

 チコ婆が娘達を見渡した。目を逸らすものもいれば、勢いにのまれて固まってしまう娘もいた。
 そんな中、チコ婆に寄り添うように立っていたニイナとアサキが顔を見合わせて頷き、チコ婆に話しかけた。
「何が起こるか、本当にわからないんですか?」

「………」
 チコ婆は無言だった。

 それがいったい何を意味しているのか、気にはなったが、ニイナとアサキはもう一度顔を見合わせて頷くとチコ婆に言った。

「…わかりました、チコ婆様」
「最後まで舞を続けますよ、チコ婆様」
 それに続けてユウヒも言った。
「大丈夫だよ。みんな最後までやれるから。そのためにずっと、舞の稽古も頑張ってきたんだし」
 チコ婆はユウヒを見ると、また怒ったような、それでいて少し悲しそうな、そんな複雑な表情を一瞬見せて、そしてゆっくりと頷いた。
「あぁ、ありがとう。任せたよ、みんな」
「はいっ!」
 娘達の力のこもった返事が、社の外にまで響き渡った。

 その声を待っていたかのように、舞台のすぐ横に設けられたひな壇の方から、横笛の音が鳴り響いてきた。