祭儀に向けて


 郷じゅうの家々を廻り篝火を灯してきた男達が、一人、また一人と広場に戻ってきていた。
 皆、いつもと同じように手にした松明を大きく回して鉄の筒の中に投げ入れる。
 そのたびに獣脂の臭いが鼻につき、そのにおいが広場をどんどん覆いつくし始めていた。

 ずっと掲げていた松明から解放され、男達はそれぞれ手を組んで伸びをしたり、体を左右にひねったりして体をほぐしている。

 そこへまた、身の丈よりも長い杖を持った郷の長老が現れた。

 スマルが口笛を使って合図をすると、その場にた皆が長老の周りにゆっくりと歩み寄ってきた。
 今日こそは何か聞かせてもらえるのではないかと、誰もが期待のまなざしで長老の方を黙って見つめていた。

 篝火の灯りを背に受けて、長老はまたその場にいる者達の顔をぐるりと眺めた。
 全員が広場に戻ってきているのを確かめ、座るように指示すると、男達は長老の側に、円を描く様にまるくなって座った。
 その様子を確認した長老は、ゆっくりと話を始めた。

「篝火の点灯、ごくろうさん。毎晩の事じゃ。きっと疲れていることだろう…ありがとう」
 長老はそう言って頭を軽く下げた。
 郷の長老のそのような態度に、逆に恐縮して動揺するものも少なくなかった。

 そんな男達を笑みを浮かべて見ていた長老だったが、その表情はまた一瞬で真剣な重たいものに戻ってしまった。
 長老はふぅっと大きく息を吐くと珍しくその場に座り込み、そして意を決したように口を開いた。
「さて、まずは何から話をすれば良いのか…」
 男達は皆、固唾を飲んで長老の言葉を待った。
「まず…先日の早馬の話から、しなくてはならんだろうな」
 長老は言葉を慎重に選ぶようにして、ゆっくりと話をした。

「前にも言ったとおり、あれは宮からの使いを乗せた早馬でな。取り急ぎ知らせたい事があると、宮のとある人物の判断で遣わされた者だったんじゃよ」
 広場は異様な緊張感が張り詰めて、誰もが次の言葉を急かすかのように、長老から目を離そうとはしなかった。
 男達の勢いに比べて長老の声はどこまでも平坦で、ただ淡々と口から流れ出していた。

「あの使いの用件はたった一つ。重要な報せを伝える事だけじゃった…王が、この国の王が亡くなられたという事実を伝える、そのためだけに遣わされた早馬だったんじゃ」

 王の崩御を知らせる早馬だったという長老の言葉を耳にして、あたりは騒然とした。
 顔を見合わせた者達は皆、困惑の表情を浮かべている。

「なぜそのような報せがこのホムラに来るのですか!?」

 そのうちの一人が長老に訊ねたのをきっかけに、口々に疑問の声が上がった。

「早馬を遣わせてまで、この郷に伝えなければならないのはなぜなんですか!?」
「こんな山奥の郷にそれを報せて、いったい何になるっていうんです!?」
「王の崩御に、このホムラがいったいどう関係しているっていうんですか!?」

「長老!!」
「長老様!!」

 どうにも収拾がつかなくなりそうになった時、大きな声でそれを制する者があった。

「いいからお前ら、静かにしろっ!」

 若者達を取りまとめているスマルだった。
 スマルは皆が口を閉じ、落ち着きを取り戻したのを確認すると、長老に向かって言った。
「すみません。でもこいつらのいう事もわかりますよね? 王の死を報せる使いの者が、なぜこのホムラの郷に早馬を飛ばしてまで遣わされるんですか?」
 スマルは一息に言うと、長老の言葉を黙ってじっと待った。

 長老はやんわりと、しかし少しだけ寂しそうに笑った。
 それを見たスマルは、なぜかとてつもなく不安な思いにかられ、背中に何か冷たいものが走ったような、妙な気分になった。
 そんなスマルに気付いたのか、長老はさっきとは違う優しい笑いを浮かべると、スマルを見つめてコクリと頷き、また言葉を続けた。
「毎年、祭では舞が奉納されておるのは知っているな? あの祭、正式には『神宿りの儀』という…文字通り、神が宿ると言われておる」

 場の空気が少し変わったが、長老は構わず話を続けた。
「いつも行っておる祭はな、まぁ形式だけのものと言っていい。ただ王の亡くなられた年の祭だけは、特別な意味を持つんじゃよ。つまり…舞を奉納する誰かの上に、ホムラ様が降りてこられるんじゃ」

 そこまで言うと、長老は杖をトンとついてゆっくりと立ち上がった。

 周りの男達は皆、返す言葉が見つからず、ただ長老の所作をじぃ〜っと見守っていた。
「古くからずっと伝わってきた、この国の理なんだそうだ。知らん者がほとんどじゃ、私も知らなんだ。おそらく宮でも、知っている人間は少ないんじゃろう…いや、早馬を差し向けた、その人物しか知らんのかもしれん」
 長老の顔に、また寂しげな笑みが浮かんだ。

「心配は不要じゃと、チコ婆から伝え聞いておる。だからいらぬ心配はせんで、皆はいつも通りに祭の準備に精を出して欲しい」

「…は、はい!」
 戸惑ったような間があって、続いて男達がバラバラと返事をした。

 長老は頷くと、くるりと向きを変えて歩き出した。
 残された男達は、ただ呆然とその後姿を見送っていたが、思い出したように立ち上がり、周辺を片付けたり、松明の火が完全に消えたか確認したりし始めた。

「この国の…理?」
 考え込むようにボソリとつぶやいたスマルだったが、物思いにふけるのはとりあえず後に回して、そこにいる男達に声をかけた。
「みんな聞いてくれ! 明日は朝から、大櫓を組む作業に入ることになっている! 今日のところはもう帰って、明日に備えてくれ、お疲れさん!!」

 スマルの言葉にそれぞれがしかかりの作業を手早く終わらせると、その後ユウヒ達と合流する者達のみをその場に残し、あとの者は一人、また一人と家へと帰って行った。