「あのさ、スマル。いろいろ気を使ってくれてる事、本当に嬉しく思ってるよ。ありがとう。でも…私ね、だいたいもう想像はついてるんだよ、自分が何者なのかって……」
スマルは顔を上げて、店の扉の向こうの、見えるはずのないユウヒの姿をじっと見つめた。
ユウヒの言葉が、スマルの中にずんずん押し寄せて沈んでいく。
「わかってるから。だからスマルがそうやって…私を思いやってくれるのは素直に嬉しいと思うよ。でもね、だからこそ、逃げるわけには行かないんだよ、私」
どんな顔をしているのだろうか、また泣いたりしていないだろうか、スマルはユウヒの声を全身で聞いていた。
「だからね、スマル。それ、渡してくれないかな? それないと鞘の細工、動かないんだろ? 嘘ついてまで持って帰ったとこ悪いんだけど、私にはそれが必要なんだよ」
「……知ってたのか?」
スマルはハッとして、思わず声を漏らしていた。
「知ってたよ。あの鞘はその箱との二重のからくりになってるんだろ? それにさ、お前がまだ仕上がってないような物、人に渡すわけないじゃない」
やっぱりばれていたか…と、スマルは苦笑した。
そして手のひらの箱をぎゅっと握り締めると、店の扉を静かに開けた。
「ほら…今さっき、仕上がったから……」
そう言って、ユウヒに向かって放り投げた。
ユウヒはそれを受け取ると、満足そうな笑みを浮かべて、荷袋の中にしまいこんだ。
「やっぱり、嘘が下手だよ、スマル」
「…うるせぇ……」
拗ねたような態度のスマルに向かって、ユウヒは笑顔で話しかけた。
「ありがとう、スマル。あんたみたいのがいてくれるから、私もどうにか立ってられる」
不思議そうに顔を上げたスマルの目に、自分の運命と真正面から向き合おうと決意した、晴れやかなユウヒの顔が飛び込んできた。
「お前……」
言葉を失うスマルに、ユウヒがさらに言葉を継いだ。
「私が何者であっても、スマルはそのままでいて欲しい。ほら、これみたいに…」
ユウヒはそう言って、いつものように腰に提げた剣の、その柄につながった濃紺の紐の先にある輪に指を入れて振って見せた。
「スマルがいるから、私は妙なところにすっ飛ばされずに私でいられる。飛び出しても、あんたが紐を引いてくれるから、私はここに戻って来ることができるんだよ。それはこの先も変わらないと思うから」
「…お前、それ褒めすぎだろう?」
スマルが照れくさそうに笑って頭を掻くと、ユウヒが声を上げて笑った。
だがその笑いをスッと押し込めて急に真顔になると、スマルをまっすぐに見据えて言った。
「今伝えておかないと言う機会なんてないだろ? それに…私、守護の森に行く事にしたから」
「えっ!?」
「ちょっとね、自分にその資格があるのか試してみたいっていうか…」
絶句するスマルに、ユウヒはあっけらかんとして話を続ける。
その言葉をさえぎって、スマルがユウヒに言った。
「お前、死ぬなよ?」
ユウヒが目を丸くしてスマルを見た。
スマルが繰り返す。
「死ぬなよ?」
「…もちろん。死ぬつもりなんてさらさらないよ。そんな事のために郷を出るんじゃないもん」
「絶対だぞ?」
「しつこいっ! 本当に大丈夫だから…って、根拠はないんだけどさ。でも、大丈夫だよ」
ユウヒに怯えたような様子はまったく見えず、それが本心から出た言葉なのだということはスマルにもよくわかった。
そしてその言葉はとても力強く自信に満ちていて、妖で溢れかえる守護の森に行くというのに一点の迷いもない。
スマルは返す言葉を失ったが、なぜかユウヒの言葉を信じてしまっていた。
いや、信じたいと思う気持ちが、疑うことをさせなかったのかもしれない。
「……わかった」
スマルは深く頷き、右手を差し出した。
「じゃあな、ユウヒ。気をつけて行ってこいよ」
「ありがとう、スマル。あの…リンを、頼んだよ?」
「わかった。そっちはまかしとけ、心配すんな」
「うん。それじゃ…行ってくる!」
「おぅ!」
差し出された右手をユウヒは両手でしっかりと握って、トーマの店をあとにした。
スマルはすぐに店の中に入り、扉を静かにトンと閉めた。
スマルから箱を受け取ったユウヒは、大急ぎで皆の待つ南門に戻った。
心なしか見送りの人が少し増え、皆ユウヒが戻ってくるのを今か今かと待ちわびていた。
戻ってきたユウヒに気付いたアサキが大きく手を振り、ユウヒもそれに手を振って応えた。
南門前の広場に着くと、ユウヒはあっという間に見送りの人々に囲まれてしまった。
「ユウヒ!」
そう言って駆け寄ってきたアサキは、そのままユウヒに抱きついて泣き始めた。
「あんた、守護の森に行くんだって? 何を考えてんだよ、全く…」
「ごめんね、アサキ。いっつも心配ばっかりかけちゃってさ」
「ホントだよ、バカユウヒ」
アサキの言葉が心に染み渡っていく。
ユウヒもアサキを抱きしめて、その肩に顔を埋めた。
「ごめんね、アサキ。ありがとう」
「うん……」
その後、何人もと抱き合い、何人もと握手をして、それぞれと別れを惜しんだ。
そして最後に自分の家族、リン、ヨキとイチ、チコ婆と言葉を交わした。
「スマルは、もういいのかい?」
心配そうに聞くチコ婆に、ユウヒは笑顔で答えた。
「うん。もう大丈夫。ありがとね、チコ婆様」
そう言って、ユウヒはもう一度チコ婆を抱きしめた。
「じゃ、行ってくるからね…」
「あぁ、行っておいで……」
名残惜しそうに離れたチコ婆に、ユウヒは明るい笑顔で答えた。
そしてクイッと顔をあげると、見送りに来た人全部に深々と頭を下げた。
「みんな、どうもありがとう。それじゃ私、行ってきます!」
顔を上げたユウヒは、迷いなど一切ない、明るい笑みを浮かべていた。
涙を浮かべて心配そうに自分を見つめる面々の顔をユウヒは愛おしそうに見渡すと、そのままクルッと向きを変え、南門に向かって歩き出した。
その背には別れを惜しむ見送りの人々の視線が注がれていたのだが、ユウヒは振り向こうとする様子すら見せなかった。
南門をくぐると、初夏の風が爽やかに吹き渡り、遠くへ遠くへと流れていった。
ユウヒの心はその澄み渡る風のように清々しく、大きく広がる青空のように晴れやかだった。
この日、ユウヒは運命への第一歩を、自らの意志で力強く踏み出した。
< 第1章 ホムラの祭 〜完〜 >