旅立ち


 スマルの姿が見えなくなったのを確認して、ふと横に目をやると、リンが自分に向かって手を振っていた。
 疲れているのか顔色は悪いが、日の光に照らされた笑顔は、明るく、そしてとても綺麗だった。

「リン! ちょっといい?」
 そう声をかけると、リンは嬉しそうに頷いて離れの中に入ってきた。

「ちょうどお客様が切れたところだったの。シムザも帰っちゃったし…」
 はずむような声で話すリンに、ユウヒの顔にも笑みが浮かぶ。
「そうか。何だか毎日忙しそうだね、疲れてるんじゃないの?」
「正直ちょっと疲れたけど…大丈夫だよ。まだまだこれからだと思うしね。で、何、姉さん?」
「うん…ちょっと……」
 ユウヒは部屋の中にリンを招き入れると、適当に座るように言ってから障子を閉め、自分はリンと向かい合うように座った。

 リンは昔から、何かにつけて姉のユウヒを助けたい、力になってあげたいと思う気持ちが強い妹だった。
 今回も、いきなりの事でいったい何をユウヒが話そうとしているのかと、興味津々と言った様子だった。
「どうしたの?」
「うん…あ、決めたよ。明日、郷を発つことにしたから」
「明日?」
 姉の言葉に、リンは顔を曇らせた。

「そんな…明日だなんて、どうしてそんないきなり……」
「うん…剣が上がってきたんだよ。さっきスマルが持ってきた」
「それで? だからってそんな急に行かなくても…」
 リンの言葉も当然の事だとユウヒは思った。
「まぁ、そうなんだけどね。それはそうなんだけど…」
 自分の置かれている状況よりも、姉であるユウヒの事を心配しているリンに、ユウヒは自分の気持ちを正直に伝えた。

「このまま此処にいたら、何だかくじけちゃいそうでね、いろいろと」
「例えば?」
 リンがまっすぐに聞いてくる。
 ユウヒははぐらかさずにそれに答えた。
「一人で郷を出る事とか、得体の知れない何かを背負ってる事とかに対する…不安? 勢いで乗り越えないと、潰される気がしてさ」
「あ、そうか…」
 リンの表情がさらに曇った。

 自分に宿った神がした事とはいえ、自分の舞いによって姉が何者かに選ばれた事に対して、リンは責任のようなものを感じていたのだ。
 リンの表情からすぐにそれを見てとったユウヒは、リンの側に寄って手を取った。
 それから手をぎゅっと握ると、その手を見ながらユウヒは言った。

「あのね、リン。私を選んだ事に対して、妙な責任とか、感じてんじゃないよ?」
「姉さん…」
 申し訳なさそうに自分を見つめてくる妹に、ユウヒは優しく微笑みかけた。
「そんな顔しないの。選んだのはホムラ様なんだし、仮にリンだったとしても、あんたに選ばれたんだったら、私は何にも文句はないよ?」
「そうだけど…でも……」

「それより聞かせて、リン」

 ユウヒがリンを見つめると、リンも顔を上げて見つめ返してきた。

「リンは、なんでそんなに頑張れるの?」

 ユウヒの言葉に、リンは一瞬の迷いも見せずにすぐに口を開いた。
「前に姉さんと、社にお参りに行ったでしょ?」
 ユウヒは黙って頷き、リンの話を静かに聴いている。

 リンは言葉を続けた。
「あの時に何をお願いしたかって話したら、同じだったでしょう、私と姉さん」
「あぁ、そうだったね…」
「そうだよ。『私と、私の周りの人達と、そこから繋がって拡がっていくそのすべての人達が幸せでありますように』私は途方もない事だって笑われるかと思っていたの」
「私も、欲張りだって言われると思ってた」
 二人は顔を見合わせて笑った。

「もしかしたら、私がホムラ様になる事で、少しでもそれがかなえられるんだとしたら、私は頑張ってみようって、大変な運命でも、背負うだけの意味があるんじゃないかってそう思ったの」
 リンの力強い言葉に、ユウヒはゾクッと鳥肌が立った。
 自分の妹の決意は、運命を受け入れるだけの受け身ではなく、自ら進んでその道を歩んで行こうとするとても強いものだった。

「そうか…」
 ユウヒは立ち上がった。

「姉さん?」
「いや、何かね、元気が出たっていうか…そうだね、あんたすごいよ、リン」
「そんなことないよ。偉そうな事言って、実際はいっぱいいっぱい…」
 ユウヒは頭を振った。
「いやいや、立派なもんだよ。私も頑張らなくちゃって思ったし」
 そう言って、ユウヒは障子を開け放った。

「リン、ありがとう。やっぱり私は明日発つよ。これから皆に言って、準備を始めるから」
「…そっか。わかった。何か手伝えることがあったら言ってね」
「うん、頼りにしてるよ」

 二人は満足げな顔をしてお互いを見て笑いあうと、そのまま慌しく離れをあとにした。