「ひどい事?」
「……ひどくない?」
ユウヒの吐く息が震えている。
スマルは極力何でもない風を装ってユウヒに言った。
「ひどくはねぇよ。お前の役に立てるのは嬉しいし、それが俺にしかできないって事もすごく嬉しく思ってる。だいたい、お前を好きなのは俺の勝手だろ」
「……ひどく、ないかな」
「ねぇっつってんだろ。それに人の一生って……あぁ、そうか。そっかそっか……」
突然スマルはひどくばつが悪そうに両手で頭を掻き毟った。
呆気にとられてそれを見つめるユウヒに、スマルは申し訳なさそうに言った。
「その……言ってなかったか。俺、あっという間には……歳、とらねぇから」
目に見えてユウヒの肩の力が抜けた。
「……は?」
「なんだよ、その間抜け面。いや、そのぉ……なんだ。黄龍との取引っていうのか? 器が必要なくなって、でもお前の力になりたくて……さ。あいつに身体貸す代わりに。あの、ほら。俺はヒリュウの事もわかるだろ?」
「……えっと、何? なんか全然話が見えない」
「つまりだ。俺にもお前と同じくらいに時間があるって言いてぇんだよ。ヒリュウは最期に玄武に『俺の全てをこの国の未来のために』って頼んだんだ。お前だって『覚えて』んだろ?」
「うん。まぁ、覚えてるかな」
「だろ? 今この国の未来はお前が背負ってる。そんなお前を一人になんて俺にはできないって思った。こっから先、お前は周りの人間をどんどん失っていく。それでもお前は踏ん張るだろ? 何度も何度も、大好きな人間達を見送りながら、一人でたぶん……そのつもりだろ?」
「そ、そんな事は……いや、うん。そんなちゃんと考えた事はなかったけど、でもそのつもりだったよ」
ユウヒが言うと、スマルは大きく溜息を吐いた。
「そんなもん、寂しがりのお前が耐えられるわけねぇだろーが」
「寂しがりって! そう? そうかねぇ」
「いや、そう言うとかっこいいけど……そうじゃない。俺がな、耐えらんねぇんだよ。そんな場所にお前を一人にしておくってのが、俺にはどうしてもできねぇってそう思った。だから……」
「……だから?」
「ヒリュウの全部を俺が引き受けることにした。ヒリュウが華耶のために捧げたかった時間全部、まるごと俺がもらったんだよ」
「馬鹿っ! お前っ、家族は? 兄弟達は!?」
「あいつらには誰かがいる。俺はいなくなるかもしれないけど、それは申し訳ないけれど……一人じゃねぇ。でも、お前は違う」
「だからって……」
「おい!」
ユウヒの肩をスマルの右手が掴んだ。
「思い上がんなよ? 俺は確かにお前が好きだ。でもそうじゃなかったとしても俺はたぶんそうしてる」
「でも……っ」
「なら! ならさ、お前……考えてみろよ」
「何を?」
「逆ならどうだ? 俺とお前が逆で……俺を助ける力がお前にはあって、そしたらお前はどうする?」
強張っていたユウヒの身体から力が抜ける。
それを感じ取っていたスマルの右手にユウヒの右手が添えられた。
「うん……同じ事、するね。きっと」
「だろ?」
そう言ってスマルはにやりと笑うと、右手をくるりと返してユウヒの腕を掴み、そのままユウヒを自分の方へと引き寄せた。
ユウヒはされるがままに、スマルはそんなユウヒの身体をぎゅっと強く抱き締めた。
「夜明け前にはルゥーンに向けて出発する。必要なもんはヨシュナ陛下が用意してくれるっていうから、必要最低限の身の回りのもんしか持っていかねぇ。どれくらいあっちにいる事になるかはわかんねぇけど、あの国がもう大丈夫だって思えるくらいになってきたら、俺は必ずお前んとこに戻ってくる。だからさ、その……」
スマルが躊躇った最後の一言は、ユウヒが代わりに口にした。
「……待つよ」
ユウヒがスマルの背中に腕を回すと、スマルの心臓が一瞬だけ跳ね上がった。
スマルの腕の中で思わず笑みを浮かべ、ユウヒはそのまま話を続けた。
「正直、私の気持ちがどうこうってのは保証出来ないところなんだけど……でも、待ってる。だから絶対に帰っておいでよ?」
ユウヒを抱き締めるスマルの腕にまた力が籠もる。
「そこはお前……嘘でもいいから気の利いた事の一つでも言っとけよ」
「真剣に想ってくれてる人間相手に、いい加減な事は言えないでしょ」
ゆっくりと二人が離れる。
「優しいようで、ひでぇよな、お前」
「やっぱひどいんじゃん。ごめんね、こんなで」
「さっきのとこれとは違うだろ。まったくお前は」
顔を見合わせ、二人は思わず噴出した。
「もう……泣いてねぇな?」
「うん。泣いてたら、あんた出発できないし」
「まぁ、そりゃそうか」
「そうだよ。それともやっぱりやめてって、引き止めた方が良かった?」
「やめてくれよ、シャレになんねぇ。そんなんされたら俺、行けるわけがねぇ」
そして改めてお互いに向き合い、少しの沈黙の後にスマルの方が口を開いた。
「大丈夫か? お前、王様だぞ?」
「うまいことやろうとは思ってないから大丈夫。でも背負ってるもんは理解してるつもりだし、ちょっとずつでも前に進んで……あんたが戻ってくる頃にはさ、ちったぁマシな王様になってるつもりだよ」
「何だかすげぇ時間かかりそうな言い様だな、お前。でもまぁ……俺の方だってそうか。そんな簡単にどうにかなるもんでもないだろうしな……ってかもうお前帰れ!」
「は? 何よ、いきなり」
戸惑ったユウヒの言葉に、スマルは困ったような顔をしてぼそぼそと言った。
「何か行きたくなくなってくる。ってか離れがたいっつーか……な、察しろ」
返す言葉の見つからないユウヒの顔が歪んだ。
「困った顔すんな。好きな女と離れたくないのは当たり前だろ? そういう意味だよ」
スマルが穏やかにそう言うと、ユウヒは意を決したようにぐいっとスマルの方に顔を上げて、だがすぐにまた泣きそうな笑顔になって小さく言った。
「ルゥーンを頼むよ、スマル」
「おぅ、まかしとけって言いたいところだけど、黄龍や四神頼みだからな、こっちは」
そう言ってスマルはユウヒの頭にポンと手を置き、そのままぐしゃぐしゃと荒っぽく撫でた。
「ま、大丈夫だろ。俺も、お前も……な?」
「……うん」
「じゃ、俺は騎獣の調子をみてから部屋に戻るよ。まだ準備も残ってるし。あーそうだ。見送りとか無しな、無し」
「わかった。じゃ、私行くね」
「あぁ。声かけてくれてどうもな。話せて良かったよ」
「こっちこそ。えっと、その……道中気を付けて。ヨシュナによろしく」
「……あぁ」
そう言ってスマルはユウヒに背を向け、ユウヒもそのまま踵を返し、城の塔の方へと歩き出した。
実はその姿をスマルがずっと見送っていたのだが、ユウヒがスマルの方を振り返ることはなかった。
そうして夜明け前、誰に見送られることもなく、スマルはルゥーンへ向けて旅立って行った。
翌朝、厩舎から一頭の騎獣がいなくなり、城のどこにもスマルの姿はなくなっていた。