グルメ 終.悠久の月

悠久の月


 スマルは騎獣達の繋いである厩舎の方に向かっていた。
 その後を追ってユウヒが厩舎を訪ねると、最近新しく入ったらしい厩番の少年が何事かとひょっこり顔を出した。
 めんどくさそうに顔を上げた少年だったが、ユウヒの顔を見るなりみるみる蒼褪め膝を折った。
 どうやらユウヒが何者であるかはわかっているらしい。
 ユウヒは笑いながら立ち上がらせ、スマルを呼んでくれるようにと頼んだ。

 少年は頭が取れそうな勢いでぶんぶんと何度も頷くと、ドタバタと逃げるようにして奥へ引っ込み、すぐにスマルを連れて戻ってきた。
 そして何やら用事を思い出したとかで、そのまま何処かへ姿を消してしまった。
 いきなり二人きりにされ、ユウヒは何とも気まずい空気の中、スマルの顔を見た。

「露台で城下の夜景見てたら、なんか……見かけたもんだから」
「あぁ、そっか」

 そう言って肩にかけていた手拭で汗を拭う。
 つい先ほどまでどこかに出かけていたのか、雑に束ねた髪を結いなおしながらスマルはユウヒに話かけた。

「そっちは? いろいろ無事、済んだのか?」
「おかげさんで。まぁ言ってもまだまだこれからだけど」
「そっか。まぁ何事もねぇんだったら良かったよ」

 スマル安心したように小さく笑ってそう言うと、大きく一つ伸びをした。
 ユウヒがその全てをじっと見つめている事に気付き、スマルは居心地悪そうに言った。

「何よ? ちょっと、じろじろ見んな」
「え? あぁ、ごめん…………」

 そう言って大げさに目を逸らすユウヒに、スマルは首を傾げた。

「そういやお前、一人で大丈夫なのか? シュウさんやサクヤはどうした?」

 少し前屈みになって、わざわざ目を逸らしたユウヒを逆にスマルがのぞき込む。
 ユウヒは少し驚いたように目を瞠り、それから少し笑って口を開いた。

「さっきまでは二人とも一緒にいたよ。シュウがあんたを見つけたの。そんで……露台から直接ここに来た」
「直接?」
「うん……黄龍に担がれて」

 それには思わずスマルも噴出す。

「そりゃまぁ、お気の毒にな」

 ユウヒがとも、黄龍がとも言わずにスマルは小さく声を出して笑った。
 だがその笑い声が止むと、二人の間に気まずさにも似た沈黙がまた漂い始めた。
 その沈黙の正体が何なのか、ユウヒにもわかっている。
 別れの時が近づいている。
 そしてそれを口にしたのはスマルの方だった。

「そっちも落ち着いてきたみたいだし……俺はそろそろ出た方が良さそうだな」

 まるで何でもない事のように、スマルはさらりと切り出した。
 そろそろ出るというのは言うまでもなく『ルゥーンに向けて出発する』ということである。
 ユウヒはサクとのやりとりを思い出した。
 それが自分の表情をどう変化させたのかはわからなかったが、自分を見るスマルの顔が曇った事で、ユウヒは自分がどうやら思い詰めたような表情をしているらしいことを自覚した。

「どうかした?」

 スマルのその言葉にユウヒは思わず噴出してしまった。

「お……お前はホント、ホントに私の心配ばっかりだな、スマル」
「そりゃだってお前……仕方ねぇだろ。お前、知らん間にすぐいろいろ一人で抱え込むし、そのくせ人を頼るのがすげぇ下手だし」
「え、そうかな。そうでもないでしょ」
「そうでもあるんだよ、馬鹿女。そうやって自分の事にはてんで無頓着っていうか何ていうか。だから余計に心配なんだろうが」
「馬鹿女って言うな! ジンか、あんたは!? でも……そんな心配するほど?」
「そうだよ。危なっかしいったらねぇよ」

 ユウヒはサクから頼まれていたスマルへの伝言をあらためて思い出し、そして気付いた。

「スマル。今言った話、サクヤに言ったことある?」
「は? 何がだよ」
「だからその……一人で抱え込むとか何とか、危なっかしいとかそういう?」

 その言葉にスマルは少し考え込むような素振りを見せた。
 その様子を見てユウヒは小さく笑って言った。

「言ったんだね。とぼけたって私にはわかるよ」
「何だよそれ。っつーか言ったかもしんねぇけど、そういう風に言ったかどうかは覚えてねぇ……」
「サクヤからの伝言だ」

 スマルの言葉を遮ってユウヒは言った。

「スマルに伝えてくれって。『わかった』って。『わかった。大丈夫だから安心して行ってこい』だって」

 むきになって言い返していたスマルがふっと真顔になってユウヒを見つめた。
 ユウヒは泣きそうな顔で笑っていた。

「ユウヒ……」
「まったく。過保護だね、あんたは」
「……惚れた女の心配をして何が悪い」
「わ……悪くはないけど……惚れた女を他の男に頼んで旅立つっていうのも、どうなのよ」
「おま……っ、お前なぁ。そういう言い方すんなよ」
「ごめん……茶化してるつもりはないのよ、これでも」

 ユウヒはスマルに歩み寄り、すっと顔を上げた。

「な、なんだよ」

 まっすぐに見つめられ、思わず怯んで一歩下がろうとしたスマルの腕をユウヒが掴んだ。
 その手は少しだけ震えていたが、スマルは気付かない振りをした。

「あんたも知っての通り、私は自分の事を話すのが苦手。だから上手く話せるかはわからないけど……聞いて欲しい」

 そう言って、スマルの腕を掴んでいるユウヒの手に力が籠もる。

「……わかった」

 スマルは小さく息を吐いて頷いた。
 それとは対照的にユウヒは大きく深呼吸をし、ゆっくりと息を吐ききってから口を開いた。

「私は……私もスマルの事、好きだよ。大好きだ。でも……スマルが私を想ってくれてるそれとは、やっぱり何度考えても……違う、と思う。その…………ごめん」

 ユウヒがスマルの腕を離した。
 スマルはまだユウヒの熱の残る腕を逆側の手で掴んで、そしてゆっくりを首を横に振った。

「そんなもん、言われなくても知ってる。謝んな」
「そっか……でもさ、ごめっ……いや、その……うん」

 ユウヒが下ろした手をぎゅっと握って俯いた。

「さっき、スマル私の事危なっかしいって言ったよね……あれ、あんたのせいでもあるのよ」
「……? どういう意味だ!?」

 問い返したスマルを、顔を上げたユウヒの双眸が捉えた。

「後ろに倒れてもあんたがいる。何かあってもあんたが引っ張り上げてくれる。そう思うから、私も無茶できるっていうか……最近はそれにサクヤもいて……スマルとはまた違うんだけど、でも……その、さっきの伝言。あれはそういう事なんでしょ?」
「……まぁ、そうだな」
「その、うまく言えないんだけど……」
「いいよ。ゆっくり、思ったまんま言ってみな」

 スマルはそう言って穏やかに笑みを浮かべた。
 ユウヒは急に気恥ずかしくなって、思わずスマルから視線を逸らした。
 混乱しているかのように思考がユウヒの頭の中で空回りをしている。
 だがスマルは言葉通り、ユウヒがまた話しだすのをじっと待ってくれていた。
 ユウヒはまた深呼吸をしてから口を開いた。

「気持ち知ってて、でも私がこんなんってひどいかなっとも思ったりしたんだけど、ね。でも昔からもうずっとそうだから、はっきり伝えられたからって……自分じゃもういきなりどうこうできなくって」
「あぁ。それで構わねぇよ。俺はそれで……」
「でも大事なんだよ、すごく。他の奴らとあんたは違う。親友で……だけど兄貴みたいでもあり弟みたいな存在でもあり、絶対に負けたくない相手もあって……それに……恋人のようでもあって」
「……うん」
「ずるい言い方だとは思う。それを伝えるのもどうかなとは思ったんだけど、何の返事もしないままで……そんなんでルゥーンに行かせるのはどうかなって。いや、ただ私が自分の気の済むようにしたいだけなのかなとも思うんだけど」
「いや、そうでもねぇだろ」

 ユウヒの目から、静かに涙が零れ落ちた。
 だからと言って別にこの状況に感極まったわけでも何でもない。
 ユウヒは自分の考えを吐き出すことが苦手で、それを無理にしようとする時はいつも涙が勝手に沸き出てくるのだ。
 その涙をざっと袖口で拭って、ユウヒはそのまま話を続けた。

「サクヤに言われた。人の一生なんて長いようで短いもんだって。あっという間に歳をとっちゃうって。そんなんわかっている事だけど、でもあらためて言われてすごくドキッとした。私は……私はスマルにとんでもなくひどい事をしようとしてるんじゃないかなって、そう思ったら本当に……ドキッとしたんだよ」