グルメ 終.悠久の月

悠久の月


 ライジ・クジャの町が橙色に浮かび上がっている。
 王、蒼月が即位したその日から、王都はそれを祝う祭のような日々が続いていた。
 何かの熱に浮かされたように、町は連日多くの人々でごった返している。
 昼間の賑わいもさることながら、日が暮れ始める頃から違った様相を見せる町は、夜にはまたさらにその熱気を増していく。
 それまでは夜でもなお暗闇から出て来ようとはしなかった者達、人間よりも遥かに昔からこの土地の住人だった者達が遠慮がちながら姿を見せるようになったからだ。

 人間とその者達の間にある溝は消えない傷痕のようなもので、誰もが懸念していた通りに一朝一夕にどうこうなるものではなかったが、新しい王の即位は共に歩いていける道を模索する良いきっかけとなった。
 双方の間にはお互いに対して好意的な者であってもまだ戸惑いや躊躇いがあるのは否めない事実で、擦れ違う時も、何かのきっかけで係わり合う時でも距離を計りかねているその様子はある意味滑稽ではある。
 それでも其々が変わろうと、新たな一歩を踏み出し前に進もうとしているのだ。
 分かり合えぬ部分はそのまま抱えて、多少のぎくしゃくも後々には笑い話になるであろう事を信じて、この国の民達は同じ方向を目指しているのである。

 ほんの数年前まで、いったい誰がこのような町の風景を想像できたであろうか。
 若干の緊張感を抱えてはいるが、それさえも一つの刺激であるかのように、新しい時代の幕開けを祝う人々の熱はライジ・クジャを一層賑わせているようだった。

 そんな城下の様子を、少し冷たくなり始めた風に吹かれながらユウヒは見つめていた。
 大きくせり出した露台には、ユウヒの他にも二つの人影があった。

「おい、あんまり乗り出すなよ。危ないって……見てられない」

 その声の主はおろした髪を後ろで一つに束ねた男だ。
 ユウヒよりも少し後方に立って腕を組んでいる。

「サクヤは高い所がダメだもんね。大丈夫だよ、落ちそうになるまで乗り出したりしないって」

 少し後ろを振り返るようにして、ユウヒが苦笑混じりにこぼした。

「こっちに来たらいいのに。明るい昼間に比べれば、下だってあんまり見えないよ」

 そう続けると、また先ほどの男、サクが口を開いた。

「嘘を言うな。中庭だって篝火を焚いている。回廊だって灯は落としてないはずだ」
「それはそうだけど……」
「ぼんやり浮かび上がって見えて余計に駄目だ。絶対そうだよ」
「まぁ、いいけどね」
「あんまりいじめてやるな。こういうのは理屈じゃなく怖いんだからどうしようもねぇんだよ」

 そう割って入ったのは、ユウヒと並ぶようにして露台に寄りかかっている背の高い男だった。
 こんな時間でも腰に剣を帯びているその男は、この国の王直属の軍、禁軍の将軍である。

「そういうもの? なんかもったいない感じだけどなぁ、本当にきれいなのに。そこじゃあんまり見えないでしょ?」
「ここで十分だ」
「そう?」
「あぁ、十分だ」

 そう言って、サクヤはユウヒから目を逸らして城下を見やった。

「やっと一段落ってところですかね。シュウさんの方はどうです?」

 いきなり話を振られてシュウがふいっと顔を上げる。

「ん? あぁ……そうだな」

 シュウは何の気なしに聞いていた二人の会話を反芻し、少し考え込んでからまた口を開いた。

「こっちはまだまだだな、と言うよりむしろこれから……だな」
「そうなんですか?」

 ユウヒが口を挿むと、シュウは頷いてゆっくりと向きを変えて組んだ腕を露台の手すりに載せる。

「なんせ今まで想像すらしなかった戦力がいきなりどっと志願してきたわけだからな。必要なら軍の編成から見直す事になるだろうと思ってるよ。っつーか、そうなるだろうな」

 そう言ってシュウは風に靡く長い髪をかき上げる。
 城下から伝わってくる熱を感じているかのように意味ありげな笑みを口許に浮かべて、シュウはゆっくりと話し始めた。

「今にして思えば、随分長いこと迷走してたんだな。今の状態の方がこの国にとって自然な形なんだろうが、これが普通だと思えるようになるまではきっとまだまだ時間がかかる」
「でしょうね」

 そうサクが割って入る。

「でも軍の方はそうやって志願してきてくれる分、まだとっかかりやすいじゃないですか。そういう意味ではこっちはまだまだ、全然駄目ですね。どうやってそういった人材を取り入れていったものか、見当もつかないですよ」
「それはそうだろう。こっちと違って実際に国を動かしていく中枢に新しい風を吹き込もうっていうんだ。風通しをよくしようって簡単に言ったって、早々ほいほいと……なぁ?」
「えぇ。官吏の登用試験がありますから、まぁそれ受けてくれたらいいんですけど……その、人間以外の種族? 民族、っていうんですかね。いったいどの程度の能力を持っているのか。いや、そもそも同じものさしで測れるものなのかどうかでさえまだわからない」
「そう言われてみりゃ確かにそうだ。こりゃ前途多難だな。宰相、朔の本領発揮ってところか?」
「そんな簡単なもんじゃないですよ、まったく……泣きたいくらいです」

 茶化すように言ったシュウに、サクが情けない声を出して応える。
 それでもユウヒはサクに向かって力強く言った。

「そんな事言ったって、どうにか道筋は見えてるんでしょう?」
「へ?」

 間の抜けた声でサクが聞き返す。
 ユウヒはふっと小さく笑みを漏らして、サクの方に視線を流して言った。

「ショウエイもいるし、ロダ達長老院の人達の知恵だって借りられる。どうにかなるって……思ってるんでしょ?」

 いやに確信を持ったユウヒの言い方に、サクはばつが悪そうに髪をいじりながら口を開いた。

「まぁ、ね。思っちゃいるけど……まだだいたいこんな方向かなってくらいでさ。具体的にはどうにも……」
「それでもすげぇな、サク。お前、なんで今まで下働きみたいな地位に甘んじてたんだ?」
「ここでそれを言いますか、シュウさん。何ていうか……先頭きってどうこうっていう性質じゃないんですよ。それでもあっちこっちに使われてましたけど」
「いいのいいの。サクヤはこっから本領発揮で頑張ってくれれば。頼りにしてるよ」
「二人とも好き勝手言ってくれるよ……」

 少し後方で肩を落とすサクを見て、シュウとユウヒは顔を見合わせて笑った。
 そして続けてユウヒがまた口を開く。

「ヒヅではね、薬師とか医術師みたいにイルの人達が代々皇族の方達の側にいるみたい。公子の龍静殿が教えてくれた」
「へぇ〜。なるほどな」

 シュウがそう言って小さく口笛を吹く。

「そういうのを参考にしていくのもいいよね。これからだもん、うちは。試してみる価値があるもんはどんどん取り入れていったらいい」
「簡単に言うな、簡単に!」

 ユウヒの言葉にサクが慌ててそう返した。
 するとその時、ユウヒの横でシュウが何かに気付いたようで露台から少し乗り出して眼下に目を凝らした。