2003年12月 MD-11で行くクアラルンプール訪問記 |
12月28日 マラッカへ |
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▲ペトロナスツインタワーのてっぺん 前の日に、現地旅行社にオプショナルツアーがないか、確認。農業公園ツアーをリクエストしたが、定員不足ということで却下、代わりにマラッカに行かないか、と誘われる。 |
▲クアラルンプールのテレビ 朝、テレビをつけてみた。CCTV(中国の衛星テレビ)などが放映されている。地元のテレビでは、マレーシア人のほか華僑の人も出演。リトルチャイナ、という感じを受ける。 |
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▲マリオットホテルの朝食 一応朝食つき、ということで朝はパンなどを食べる。横では広東語を話す、すごい太ったおじさんの家族もいる。鼻くそをほじった手で、そのままパンを食べていた。こんなプールの景色のところでの朝食。給仕してくれる人はインド系の若いお兄さんたち。 |
▲今日はマラッカ観光 旅行社の広東系のラオ(劉)さん。日本語がかなりうまい。その人とハイエースに乗せられてマラッカ観光へ。家内と香川観音寺から来た親子(息子さんは中野在住とのこと)と4人で行く。 |
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▲得体の知れないトヨタ車 私は車にかなり詳しいが、この車種を知らない。マレーシア専用モデルかもしれない。タウンエース・ノアのできそこないという感じ。マツダのMPVにも姿が似ている。高速でよく走っていた。 |
▲いすゞのファーゴ マラッカの途中で本田の工場も見つけた。マレーシアは三菱が強い。プロトンという車がメジャー。三菱のミラも、ランクルも、エメロードも見た。面白かったのが、ファーゴのよくあるバンタイプ。前進しているのに、バックライトが点灯していた。こ、怖い。 |
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▲プトラジャヤナンバー 高速道路では、皆車間はぎちぎち。レーン変更もウインカーなど出さない!シンガポールナンバーも見分けが付くようになってきた。カッコいいのが真っ黒なプトラジャヤナンバー。とにかく見栄えがよい。 |
▲マラッカへ到着 マラッカへついて、観光。古くから栄えた商業港湾都市。クアラルンプールから2時間くらいで到着。 |
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▲高台に上るとマラッカ海峡が見える。 海賊がいることで有名。天気が良いので遠くまで見える。この地域、テレビはシンガポールのを見ているようで、全体的に多素子のアンテナを使用。そのため屋根の上には長ーいテレビアンテナが林立している。。 |
▲フランシスコ・ザビエルの像 日本にキリスト教を伝道した、フランシスコ・ザビエル。こんなところに彼の像があった。 |
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▲マラッカの通り お昼は、ニョニャ料理というものを食べる。中華料理とほぼ同じで食べ慣れた味。昔、マラッカに住み着いた中国商人とマレーシア人との融合文化で生まれたものだとのこと。なかなかうまかった。 |
▲広東系の寺院 このマラッカには中国の文化が息づいている。ここは中国のお寺。三国志にちなんだ方がまつられている。お祈りの仕方は、香港のような感じで、どぎつい色の線香などがたかれていた。 |
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▲教会 マラッカの洋風建築物。オランダ人などが通商に来ていた時の名残。輪タクも走っていて、ツアーに組み込まれているので乗る。輪タクのデザインや装備に凝っている人もいて、ラジオなどのアンプ用にバッテリーを搭載したものもあった。 |
▲ミニマレーシア マラッカからの帰り道、ミニマレーシアというマレーシア各地の民家を復元した場所に立ち寄った。全部でかなりの戸数があり、全部に入った。サラワク州とかのものもある。中には実際に少数民族が住まわれているものもあった。おもしろいのは、中国の江沢民が植樹した樹木もあった。 |
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▲ミニマレーシアの内部 ある民家の内部。中にはブランコがあった。1軒くらいとばしてもいいかなー、と思いましたがガイドのラオさんは全部回った。すごい! |
▲マレーシアのトイレ 暑いのでトイレの近い私もほとんど行かずに済んだ。トイレに入ると、こんなように右側に水の入ったバケツが置いてあった。ウォシュレットはあまり好きではないが、これがウオシュレットの原型なのではないかとすら思う。こちらの方が清潔だ。 |