6のツボ 危険
旅する冒険ライダー 坪井伸吾のページです

 

 

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バイクで海外を走る場合、フィールドをどこに選ぶかで危険度はかなり変わってくる。例えば去年走ったケニヤからエチオピアに抜けるルートではエチオピア内戦の残党が武装強盗になって出没していた。


この為この区間を単独で走る許可は出ず、前と後に武装兵士を積んだ輸送トラック集団に紛れて一緒に走るしかない。しかしトラックがボロいのでたった250キロの間に次々と壊れていき何度も一人で走るはめになった。道の両側はブッシュで、狙撃兵がいれば何のガードもないバイクなどひとたまりもない。しかももし強盗が出たら、味方の兵士では太刀打ちできない武器を敵は持っているというオマケ付きだった。ともかく道は一本しかない先に進みたいなら行くしかないのだ。

ちょっと極端な例を出したが言いたい事は海外ではこの状況でも選択余地が残されているという事だ。ここで進むを選ぶなら、それなりの覚悟と判断を自分で引き受けなければならない。なんか当たり前だけど日本ではそんな選択を迫られる事にそうは出会わない。なぜならこの国ではちょっとでも危ない要素があればすぐに法律で禁止されてしまうからだ。だからルールさえ守っていたら危険を回避できるように出来ている。

しかしその立派すぎるルールのおかげで誰もがルールを守ることのみを重視し、その中身に疑問を持たなくなってしまった。確かに日本で普通に生活しているだけならそれで何の問題もないのかもしれない。しかし日本のルールは所詮日本という島国だけのルールに過ぎないし、そこから生じる常識もまた同じ事だ。にもかかわらず海外でも自分で考える事を放棄して日本の常識ですべて解決しようとするのはすごく失礼だしまた危険だ。

なんか経済大国日本の力を自分の力と勘違いしている人が多い気がする。ルールが違う世界に行くならそのルールに従い利用するのがてっとり早い危険の回避方法だと僕は思う。そしてその世界に埋没する事ができるなら、そこからなぜそんな発想が出てくるのか?そんなルールが出来るのかの糸口が見えてくる。そうなれば何が危ないかも分かると思う。

ともかくまずは常識と呼ばれる物を疑ってみて欲しい。ここ数年、海外渡航者数は毎年記録を更新している。みんな海外に何を求めているのだろう?自由かな?でも自由って何だ規制から逃れることか?もしそうならバイク乗りにとって究極の自由は砂漠にある。そこでは何キロで走ってもどこを走ってもかまわない。しかし実際走ってみると分かるが自分で道を作るような走りは途方もなく危険で堪え難いくらい恐ろしいものだ。

僕は今回アフリカで身にしみて思い知らされた。そこには人間の決めたルールはないかわりにもっと厳しい甘えも助けもない自然のルールが支配していた。結局自由は危険と双子なのだ。そして旅する者はその事実を知るべきだ。知った上で自分で判断すればいい。オーストラリア北部のタナミ砂漠に通じる道の入り口に鉄の扉がある。その扉には頑丈な鎖が巻かれているのだが、なぜか錠は掛けられていない。そして扉の横には赤い字で「警告、(ここから先に進む者は)生き延びる術を持て」と書かれている。この鎖を解き進む者には生きる自由と同時に死ぬ自由も与えられるわけだ。何と分かりやすく気持ちのいい標識だろう。

これこそ日本のように何でもかんでも禁止するのではなく、個人に考え判断する余地を残し本人の意思を尊重した大人の社会の発想ではないだろうか?そして皆がこういう発想が出来るならつまらない責任の押しつけ合いも正義ズラして人の自由を奪う事も減ると思うのは僕だけだろうか?

 

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