33のツボ 病気

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『旅行中に病気しなかったの?』とよく聞かれる。激下痢や腹痛、頭痛、原因不明のダルさ、こんなのは病気のうちに入らない。一度、パプア、ニューギニアで熱病になり『その症状は内臓をバクテリアにやられている』と言われたこともある。でも、それは僕の中では病気としては記憶されていない。僕は別に超人的な体力があるわけじゃない。わりと簡単に体調を崩してしまう方だ。でも回復力だけは自分でも凄いと思う。その自信があるから、寝込んでも大丈夫だと思えるし実際大概の場合は翌日には動けるようになっている。

しかし一度だけ旅行中の病気で人生について考えるほど精神的ショックを受けた事があった。その事件は南米、ペルーのチチカカ湖に浮かぶアマンタニーニ島で起こった。その日、僕はプーノーからアマンタニーニ行きの船に乗っていた。足元に広がる標高3800メートルのチチカカ湖は、高所特有の濃い空の色を映して青く、穏やかな湖面にはキラキラと光が反射していた。島に着くと何やら奇妙な叫び声が聞こえた。幸運にも今日は祭の日らしく、港の傍の公園では十二単衣のように重ね着した島の女性達が踊っている。なるほど、ここはペルーなんだとぼんやりしていると村人がミニツアーに組み込まれた民家に案内してくれた。

夕食後、日が暮れると明りのない島では何もする事がない。気温は急激に落ち、土の壁にはめ込まれたドアの隙間から入ってくる風は冷たかった。頼りないロウソクの明りでしばらく本を読むが、やがてあまりの暗さに嫌気がさし、ドアを開けると恐ろしいほどの星空が広がっていた。七時頃、暇なので横になる。それからどのくらい時間がたったのだろう、激しい目の痛みで気がつくと、涙がボロボロこぼれて目が開けられない。なんだ、これは!突然の出来事にパニックになった。どうする?どうしたらいい?
 
かろうじて自分を押さえながら考えていると、ふと一酸化炭素中毒という言葉が頭に浮かんだ。もしかしたら密室でロウソクをつけていたから酸欠状態になったのでは?そうかもしれない。だとしたら新鮮な空気が必要だ。そう思って慌てて起き上がったらバランスを崩した。僕には方角が全く分からず、しかも壁を伝っていってもこの狭い部屋のドアになぜかたどりつけない。

必死で壁を触っていると指先に木の感触が伝わり、次の瞬間、冷たい夜風を感じた。これで大丈夫のはずだ。僕はほっとして入り口に腰掛け痛みが引くのを待った。闇の中で夜風はひどく冷たかった。やがて体温を奪われていくと共に不安は加速度的に増してくる。なぜ一酸化炭素中毒だと思ったんだろう?本当にそうなのか?もう二度と目が見えないんじゃないか?そう思うと震えが止まらなくなる。

手すりを伝って階段を降りる。昼間、何気なく上がってきた階段が今にも崩れそうな気がする。階下のおじさんの部屋の戸を叩き、たどたどしいスペイン語で説明するとしばらく沈黙があった。おじさんが困っている様子が目に見えるようだった。おじさんを起こしてもどうしようもないことは分かっていた。それでも一人ではいられなかったのだ。「朝まで待ってくれ」そう言うとおじさんは手を引いて一緒に階段を上がってくれた。節くれだった大きな手が暖かかった。

もうこれ以上どうしようもなかった。ベットの上で痛みを堪えながらこれからについて考えた。目が見えなければ…、もうバイクには乗れない。ここからどうして帰る?帰ってからどうする?…沈黙してると時間が無限に感じてくる。腕時計を耳に押しつけてみた。コチコチと時を刻む音が「これは夢じゃない」と囁いていた。眠れなかった。今眠るともう取り返しがつかない気がした。

ふと気付くと光が差している。何時の間にか寝ていたのだ。ん?朝か。朝?・光?…光が分かる…。強引に指でまぶたを上げてみた。刺すような痛みが走ったが、一瞬プールの中で目を開けたような映像が見えた。完全に失明した訳ではなかったのだ。まだ可能性はある。そう思うと助かった気がした。やがて時間と共に視力は少しずつ回復し、3日後にはバイクに乗れるまでになった。

一体原因は何だったのか?チリで会った登山家によるとチチカカ湖の湖面に乱反射した光が、紫外線による雪盲を引き起こしたのではないか、ということだった。ただ一時的にせよ失明を経験した僕は、盲目の人の恐怖が少しは理解できるようになった。

 

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