29のツボ オーバーザトラブル4

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アテネのYHの気持ちの良い朝。ウトウトしていると、いきなり激しくドアが開き隣室のカナダ人ライダーが入ってきた。朝っぱらからうるさいなと思ってると彼はそのままズカズカと枕元まで来て『玄関先に止めたあった。お前のバイクがない』とピシリと言った。

慌てて階段を降りて外に出ると本当に僕のバイクがない。あわわゎと口をパクパクしている僕に彼は気の毒そうな顔をして『どうも夜中のうちにやられたらしい。泥棒は隣の俺のバイクも取ろうとしたらしいけどUロック壊せなかったみたいで、悔し紛れにエンジンの所に腐ったリンゴを擦りつけてたよ』と言う。『そ、そうか』と僕が情けない返事をすると困ったような顔をした彼はポンと肩を叩いて、黙って部屋へと戻った。

僕がアテネに来たのには理由があった。ローマでの仕事探しに失敗した時にアテネなら安い航空券があると聞き、もしここでも仕事がなかったらバイク売って日本に帰ろうと思って来たのだ。しかし実際にこの町を歩いてみて、仕事探しはもう諦めていた。それで今まで極貧だった僕は『バイク売ったらいいや』とつい景気よくお金を使ってしまったのだ。そのバイクが無くなった。その時僕の全財産は7万円弱しかなかった。

 どうしたらいいんだろう?。しばらくバイクのあった場所を見ていたが、ぼんやりしてても事態はかわらない。とぼとぼと警察に行くと警官はいきなり『もし我々が犯人を捕まえたら、お前はどうして欲しいんだ。裁判にするか?それとも犯人を牢屋にぶち込みたいのか?』と熱く聞いてきた。そんな事、僕が決められるの?。見た感じ彼等は親切そうだが、ただ見つけてくれるのを待つより次の手を打っておく必要がありそうだった。 盗難証明書を作ってくれと頼むと警官は『分かった。収入印紙を表の喫茶店で買ってこい』と言う。なんで喫茶店なんだ?と頭の中が?マークだけになりながら行ってみると、印紙は本当に喫茶店で売っていた。どういう国なんだ、ここは?。ともかく盗難証明書さえあれば旅行保険の申請はできる。問題はバイクが果たして携行品として通用するかどうかだ。わずかな可能性にかけて保険会社に行くと、やはりバイクは保険の対象外だった。

 もうノンビリしている暇などない。こうなると残された道はいかに安く日本までの航空券を手に入れるかだ。さっそく調査を開始するとエジプト航空が日本まで片道5万円の切符を出していたし、面白いところではシベリア鉄道もある。しかし、さらに調べるとYHでエジプト航空の切符を買った日本人は予約がとれず、2週間待たされている事も分かった。飛行機も電車も格安なものは、はなはだ怪しいのだ。 滞在費がない以上、値段のみでの判断は危険だった。

いろいろ考えた末にアエロフロートの切符を予約し、念のために先に旅行代理店に代金を払うと、残金は1万円を切った。切符がいつ取れるか分からない今、できる事はもう節約しかないだろう。そこでその日から食事を一日一食に決めた。朝10時にYHが閉まるので、ブラブラとシンダグマ広場まで散歩して60円ほどのシシカバブを食べて後はひたすら眠る。3日ほどそうしてると歯茎が腫れて虫歯が復活した。さらに医者に行くお金がないからとノーシンを飲んで痛みをごまかしてると今度は胃をやられ動けなくなる。

ついてない時はこんなものだ。 航空券はいつまでたってもとれなかった。ジリジリと文無しの恐怖が重圧となってくる。もうただ節約しているだけじゃ体力が持たない。そうだ!僕にはまだ金目のものがあるじゃないか。テント、キャンピングガス、カメラ・・これらが売れたらなんとかなるんじゃないか?思い切ってYHに張り紙を出すと、その晩ドイツ人がテントを買ってくれた。やったぁー!これでまともなメシが食えるぞ。 一瞬このままうまく行けば東京から京都までの交通費も稼げるかと甘い夢を見たのだが、僕の持ち物はよほどひどいらしく、それ以降値段を下げても貧乏旅行者達も買ってくれない。でも、まだアテネには庶民の味方、質屋がある。そう思って質屋を何件か回ってから、ふと旅行代理店に顔を出すと幸運にも切符の予約は取れていた。

大学5年の秋はこんな風に過ぎていったのだった。

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