26のツボ オーバーザトラブル3

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道路封鎖

ペルー国境通過の興奮も冷めぬ二日目、パンアメリカンハイウェイに突然渋滞が起こっていた。おかしいな、事故でもあったのかな?とパナマから一緒に走ってきた森本さんと話しながら車の脇を走り抜けていくと、渋滞のとぎれた所で倒れた大木がまともに道をふさいでいた。何だこりゃ?どうしたらこんなことなるんだ?。

まいったなぁと思い周囲を見渡すと、道路脇の砂漠に降りれば何とかそこを越えられそうだ。仕方無しに砂に埋もれながら走り辛うじて道に戻ると、そこから数百メートルも行かないうちにまた大木が道をふさいでいた。いったいなんなんだ。近くにいたおじさんに聞いてみると『ストだ』と言う。

しかし、信じられないことをする。パンアメリカンハイウェイといえば、日本の東名高速みたいなものだ。東名の真ん中に丸太を置いて通せんぼ。想像できるだろうか。しかも全く迂回路がないこの地区を封鎖するということは、ここでペルーを完全に北と南に分断するということだ。やっている本人達は、ことの重大さに気付いているのか、いないのか、すっかりお祭り騒ぎで、歩行者天国とかしたハイウェイ上には、屋台まで出ている。

道路封鎖はいくつかの村が共同でやっているらしく延々と続いていが障害物は村によって違った。それは材木であったり、クレーン車だったり、土嚢を積み上げた砦のようなものまである。それでもオフロードバイクの機動力をもってすれば、どこかに辛うじて抜けられるポイントはあった。不思議でもあり、ありがたくもあったのは、道路を封鎖しているはずの村人達は面白そうに見ているだけで特に行く手を塞いだりしないことだった。

なんとかなるなと思いかけた時、橋の封鎖という難所が現れた。越えるためには横の谷を越えるしかないが両岸とも小さい崖になっている。これは荷物を一度全部降ろし、いちかばちかアクセル全開で一気に越えるしかない。でも本当にいけるのか?川の様子を見に行っている間に、その辺の人間がどんどん集まってきたらしく、フト振り返ると、人でバイクが見えなくなっていた。

すっかり見せ物と化してしまった僕達が、派手な音をたてて崖を越えると観客達は大喜びだ。なんで僕がこんな苦労せんとあかんねんと思いつつも、余りにも無邪気な喜び方をする彼等にはなぜか腹が立たない。全く困ったヤツラだ。そして現れた最後の砦は土嚢の上に立ったこん棒を持ったおばちゃん達だった。

突然現れた僕らを気合いのはいった凄い形相で見下ろしている。これはマジでなぐられそうだ。ひるんだ僕らが逃げられる間合いを置いて様子を見ていると、近くにいたおじさんが『通してやれ』というような事を言った。その一言に両者の間で小競り合いが起こる。どうしよう?びびってると、おばさん達は怖い顔のまま振り上げられていたこん棒を下ろしてくれた。

最後の砦を越えると、その向こうにいた警察やえんえんと連なるバスの乗客達から、驚きの声が上がる。『一体、この先はどうなっているのか?』という警官の質問に、最前線を突破して英雄になりきった僕は『うーん、数十キロにわたって封鎖されているから、車じゃ無理でしょうね』などと偉そうに答え、渋滞しまくるバスの間をゆうゆうと走り抜けたのだった。

やがて、ガソスタの近くの喫茶店で一服してると、トラックの運ちゃんが同じ質問をしてきた。『一体、何時間待ってるんですか?』と聞くと、何と三日間だそうだ。おじさんは魚粉をコロンビアに届ける国際貨物便の運ちゃんで『いやー、本当にまいった』などと言いながら、なんか全然まいった様子もなく、ビールを飲んでいる。このすごい余裕。これもやはり国民性なんだろうか?

感心しながら外のガソスタでガソを入れようとすると拒否され危うくガス欠しそうになる。驚いたことにガソスタまでもがストに協力しているらしい。これほどのストとは一体何なんだろう?。ペルーは経済的に良くなったと今でこそ言えるが、その頃できたばかりだったフジモリ政権の急激な改革には反対も当然多かったのだろう。なんせ93年のデーターによると失業率85パーセントだもんね。

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