三月に『アマゾン漂流日記』という本を出した。椎名さんが週刊文春で取り上げてくれた事もあり順調に売れている。でも一冊目の本なのになぜバイクの事じゃないの?と周囲から何回か聞かれた。そう、僕はライダーなんだけど基本的には面白かったら何でもありなのだ。僕はバイクと同じくらい釣りが好きだし、読書も好きだ。何より知らない事を経験するのが大好きなのだ。
そう言った意味で知識ゼロからスタートしたアマゾン川イカダ下りは密度が濃くて最高に面白かった。走りに命をかけている人は別としてツーリングが好きな人はきっとこの寄り道の楽しさを分かってくれると思う。
例えば日本一標高が高い道をバイクで走ったとする。見た事ない高山植物の写真を撮りながら下界と違う空気を味わう。そこから植物やカメラへの興味が沸き、さらに高所を走ったらどうなるのかと思わないだろうか?僕はバイクに乗りながらもそんな風に考えてどんどん脱線していくのだ。
機械が苦手な僕は最初はカメラも安ければいいと思っていた。ところがアメリカなんか走ると標準レンズでは広さを全く表現出来ないし、アフリカでは望遠がないと野生動物は点のようにしか撮れない。こうしてバイクで走ってるだけでカメラの勉強もする。さっきの話に戻して高所に行くとどうなるか?というと南米ボリビアで五千三百メートルまでバイクで上がったら人間もバイクも高山病になった。
特に上がりの道では空気が薄いせいでエンジンが全く回らずセカンド以上のギアでは止まってしまう。止まらないように全開にすると今度はジャリ道のヘヤピンが曲がれずガケから落ちそうになる。そうなるとアクセル全開でブレーキを掛けながらクラッチで微調整しなければならない。しかも人間自体が高山病なのでバイクを倒しでもしようもなら、起こすだけの体力がないって具合だ。
高山病がどんなものかって?まぁよっぽど重症でないと死に至る病ではないので一度なってみればいい、とにかくダルい。で、その時は山小屋に他の二人と止まったのだが夜になると何もかも凍って水も手に入らない。それなら表で雪を取ってきて溶かしたらいいのだが、思考力が低下するとそんな事も考えつかない。しかも酸素不足になると悪夢を見る。僕の場合はムンクの叫びみたいな世界で、借金取りに地の果てまで追いかけられるという最低の夢だった。
とまぁこんな話をするとそれの何が楽しいんだと言われるが、それでも未知の体験は面白い。それにこの時は六千メートル級の山に囲まれていたので朝焼けは文句なしに素晴らしかった。いかが、ツーリングにこんな寄り道があってもいいと思わない?
そしてそれ以上の寄り道がアマゾン川だ。ここまでくると寄り道といえるかどうかは分からないけど、ノリとしてはそんな感じだった。この時はもうひとつの趣味である釣りの占めるウェイトも大きかった。アマゾン川で釣れた魚を食べながらひたすら流れていく。これも面白そうでしょう?。どんな魚がいるかというと熱帯魚を扱ってる店にあるようなアロワナとか派手な小魚とかグロテスクなナマズとかなんだけど、それだけじゃなくて川なのに海の魚もいる。
例えばイルカとかカレイとかエイなんてのもいる。まぁそれは川を下っていくうちに知っていくんだけど、釣り好きがこんな物見ようものならアマゾンの生態系やなぜ海の魚が川に住むようになったのか?とか他の国の川や池にもこんな風に海に魚がいるのだろうかまで考えてしまう。川沿いで日系移民と出会えばその苦労の歴史についてもっと知りたいと思って勉強するし、食い物が手に入らなければ調達方法も考えるし、人間て何日ぐらい御飯食べなくても大丈夫なんだろうと真剣にもなる。
他にどんな事態が起こりうるか、そしてそれをどう解決するかシミュレーションするだけでも楽しめる。こんな風にバイク、旅行、釣りの組み合わせで僕の趣味はいくらでも広がっていく。ツーリングの途中にちょっと寄り道してみたら。そこには全く違う世界があるかもよ。 |