19のツボ 日系人2
旅する冒険ライダー 坪井伸吾のページです

 

 

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『移民ではなく棄民だ。日本に捨てられたのだ。』と言う移民一世は多い。一世の多くは移民ではなくブラジルに出稼ぎに来たという感覚だったという。それから時間は流れ日系社会ができていった。しかし南米移民はブラジルだけではない。ペルーやアルゼンチン、パラグアイにだっている。そしてその人達はその国状をモロに受けてきた。以前のブラジル日系移民に続いて今回はアルゼンチン移民のお話です。


南米大陸再南端の町、チリのプンタレナスからアルゼンチンの首都ブエノスアイレスまでは、ほとんどが大西洋に沿って北上する36時間のバスの旅だ。マゼラン海峡にほど近いリオ、ガジェーゴスでアラスカから走ってきたバイク売った僕は目的を失って、ただそのバスに揺られていた。おもしろい事に当時、ブエノス行きの切符は物価の高いアルゼンチンのリオ・ガジェで買うより300キロも遠いチリのプンタレナスで買う方が安かったのだ。

慣れないバスの長旅で体が痛くなった僕はとりあえず、ブエノスでは一番安いと言われる宿にむかった。宿に落ち着いてから3日目の夜、コツコツとドアをノックする音がした。開けると中年のヒョロリとした日本人が立っていた。身なりの小ぎれいさからするとバックパッカーではなくて日系人みたいだ。とりあえず中に入ってもらうとその人はいきなり『この部屋には人が入ってこないですか?』と言った。

意味がよく分からないので戸惑っていると『なんか私の部屋は留守の間に毎日誰かが入っているみたいなんです。』と言う。『えっ!この宿、泥棒がいるんですか。それオーナーにいいました?』『イヤ泥棒じゃないんです。ヤツらは煙突とか網戸の隙間から入ってくるんです』『エッ?網戸・・・。あのー、ヤツらって虫かなんかですか。?』『イヤ、人間ですよ。そういう組織があるんです』『・・・・』話しているうちに冷や汗が出てきた。これは!・・どうもエラい人のようだ。答え方を間違えると危ないかもしれない。しかしどうしよう?。僕はびびりながらも、もう少し様子をみる事にした。『組織って何ですか?』『よく分からないんです。でもヤツらの組織は国際的で日本にもヤツらはいるんです。』『なんで狙われてるんです?』『私はヤツらの実験材料なんです。』

奇妙な問答をしていくうちにこの人(Kさん)の被害妄想はマジメすぎて、ラテンのこの国に適応しきれないところから来ている気がしてきた。それなら日本に住んだらいいのにと思って、日本に出稼ぎに来ていた頃の話を聞いてみると日本に居た時、大阪のドヤ街で日雇いやっていたKさんにとって日本は天国みたいな所だったらしい。その理由は一日働いたら一週間、ゴハンが食えるからだと言う。確かにドヤにいたらそれは可能かもしれない。しかし問題なのは日本の彼の親戚にとって彼のラテン的な幸せは、単なるナマケ者の言い訳にしか聞こえない事だ。結局、居場所を無くしてしまったKさんの、謎の組織の話を聞いているうちに彼の寂しさが少しは分かった。

翌日、Kさんは『家に遊びに来て下さい。』と僕の部屋にまたやってきた。僕はまだこの人を信用したわけではなかったが、生花で生業を立てている典型的なアルゼンチン日系移民の生活にふれられるいい機会だったので、ブエノスから50キロ離れた彼の家にいってみた。Kさんは日系の村にひとりで暮らしていた。ほとんどの人は日本に出稼ぎに行ってしまったらしい。閑散としてしまった集落に、幸運にもまだ日本の食材を扱う雑貨屋があったので僕は普段は外食しかしてないというKさんに、親子丼と肉じゃがを作る事にした。

やがてKさんは35年前に家族でパラグアイに移民してきた事や、その当時馬で学校に通っていたと事、などを話ながら押し入れからいろんな資料を出して見せてくれた。それはまさに驚くべきもので、移民家系だった彼のおじいさんがアメリカ横断鉄道の人夫として働いている写真やその当時の労働契約書、韓国や台湾までも日本の領土だった頃の地図など、本来ならそれらは博物館にあるべき品物の数々だった。時々、会話の中で妄想が大暴走を起こすが、それを除けばこの人には随分いろんな事を教えてもらった。僕は孤独なこの人の話し相手になればいいのにと思い、同世代の日系人の知人を紹介したのだが、あまりにも二人の価値観は違いすぎ残念ながらうまくいかなかった。

 

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