1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

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【 パパ・ママの想い 】

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しょうくんへのてがみ 1995年6月12日

1995年10月28日(日)13:40
将くんへ

今日、明日 パパのおじいちゃんとおばあちゃんが来るので、少し部屋の整理をしようと思って、おもちゃ中を入れているケースを買いに行きました。そのケースが大きすぎて車に入らず、パパはいつものイライラでした。そして帰って来ても、何かイライラしているのを見て、ママも明日のためにお部屋を片付けたかったのに、優ちゃんは“ママ”と言ってそばから離れてくれないし、パパはそのまま寝ているし、イライラしてパパに“そんなにイライラするなら明日、お父さんとたちに来てもらうのをやめてもらって!”というと パパは泣き出してしまいました。パパにとってママは、どうも百害あって一利なしのようで、ママが何のために生きているのかということを考えると、生きているだけでパパのためによくない気がしました。わかっていても、これから先、今の状態を変えて将くんがいたときのようにはできません。すぐにでも将君の所に行きたいです。優ちゃんも一緒に。。。。それが なかなかできなくてつらいです。
こんなことなら、あの地震の時 ママも優ちゃんも一緒に死んでいればよかった、そしたらパパもママのイライラで嫌な思いもしないですんだのに。何のために生きていかなくちゃいけないのかな?ただ、優ちゃんを残して死んだら優ちゃんがかわいそうというのと、優ちゃんも一緒に将君の所に行くには、ママの手で優ちゃんを殺さないといけない、それがどうしてもできないので。でも、もう疲れちゃった。いろんなこと考えて生きているのに。将くんが死んでしまったのも、ママが楽しようと思って西宮に行ったからだし、将くんをあの場所に寝かせたのもママなの、将くんじゃなくてママが死ねばよかった。そしたら、優ちゃんも将くんも仲のいいきょうだいでいられたし、パパも“パパと息子”といういろんな夢も果たせたのにね。ママが死ねばよかった。何とかきっかけを作って将君の所に会いに行こうと思っています。ママが死んだら、将くんみたいにお花いっぱいのお葬式がいいな。祭壇も将くんと同じがいいな。そして、いつも周りに人がいて生活している中で過ごしたいからお墓にははいりたくないな。あんまり知らない土地でお友達にも来てもらえないからお墓は嫌だ。優ちゃんも一緒だったら、お骨を3人分を一つにしてほしいな。
お供えは、、私が二人と遊んだり食べたりできる子供中心のものがいいな。そして、みんなは、泣かないで。絶対に3人で楽しく幸せに過ごしているから。もし、寂しかったりして会いに来たかったら おいでよ。ちゃんと迎えに行くから。こんなこと書いていると、将くんに会って楽しい生活がでいる気がするので早く行きたくなる。将くん会いたいね。1995年10月29日(月)0:10

 

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