1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

【 命 】
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お空にいる天使達のお部屋

1
将くん(しょうくん) / 将くんママ
私の息子(将くん)は、平成5年7月5日に優ちゃんと一緒に双子としてパパとママのところに産まれてきました。1歳半の時に起こった阪神大震災で、たまたま帰っていたママの実家が全壊し、その家の下敷きになり亡くなりました。でも、亡くなった顔はただ眠っているようでした。結婚7年半でやっとできた念願の子供達、双子の育児の大変さを感じないぐらい、とっても幸せな日々を送っていました。生きていれば今年、ぴかぴかの一年生♪優ちゃんの一緒に小学校に通っていることを祈っています。これからも優ちゃんとともにいろんなことを見ていって欲しいとおもいます。天国で会える日までたくさんのお友達と遊んで待っていてね。
みんな、将くんをよろしくね。
2
優斗くん(ゆうとくん) / 優ちゃんママ
平成10年10月2日、元気なうぶ声をあげて誕生した優斗くん。 優斗は、生後5ヶ月の時に、気管支炎で入院しました。 それ以来お熱が下がらなくなってしまい、 いろいろな検査をした結果、汎下垂体機能不全ではないかと 疑われました。 でも、あまりにも優斗の病態が複雑で、主治医の先生は 診断をつけることが出来ませんでした。 優斗と同じ病態の子供はいないだろうといわれるほど 希少な難病で、天使になった優斗。 9ヶ月と20日間、精一杯生きてくれてありがとう。 女の子のようなお顔をしたかわいい男の子、優斗。 がんばりやさんで優しい優斗を、どうぞよろしくおねがいします。

3

哲也くん(てつやくん) / てっちゃんママ
私の息子..てっちゃん(哲也)は、 生まれたときはとても元気な男の子でした。 1歳の誕生日を迎える前に、いろんな病気がかさなり 3ヶ月の入院生活を送りました。 いったんは元気になり退院しましたが、 3ヶ月後、劇症肝炎にかかってしまい ママの肝臓の一部を移植しました。 でもその1ヶ月後、再発し今度はパパの肝臓を移植しました。 今度は強い拒絶反応を起こし、その治療のために 感染症を併発し、てっちゃんは天使になりました。 てっちゃんは本当によく頑張りました。 一生懸命生きようと頑張りました。 私もてっちゃんに負けないように、生きていきたい。 みなさん〜よろしくお願いします。
4
里菜ちゃん(りなちゃん) / 里菜ママ
里菜は34週0日で天国へ旅立ちました。 原因は胎盤が突然機能停止してしまった為と臍のうがひどくねじれていた為です。「事故にあったようなもので防ぎようのないもの」と説明されました。里菜は顔がパパにそっくりでした。でも鼻とおでこの形がママに似てました。亡くなる間際に2回「ポコ、ポコ」とお腹をけってくれました。「ママ。バイバイ」って言ってくれたのかもしれません。誕生日は99年10月25日。午前5時37分。1772gで誕生。 私の愛娘里菜は世界で一番かわいい赤ちゃんです。(もちろん親ばかです)どうぞよろしく。
5
詩織ちゃん(しおりちゃん) / さおママ
平成9年5月19日、双子の一人、妹の「詩織」が常位胎盤早期剥離により、お空へ旅立ちました。 2210グラム、ママにそっくりで、運良く助かったお姉ちゃんの 早織に口元がそっくりだった、かわいい女の子です。 いつもお空から、お姉ちゃんのことを守ってくれています。 そして、毎年夏になると、「かえるさん」になって、ママと早織の ところに現れます。 小さなかえるさんに姿を変えているけれど、黒目の大きなかわいい かえるさんなんですよ。 ずっと、ずっとお空で、お姉ちゃんと一緒に大きくなってる詩織を これからも、よろしくね。仲良くしてね。
6
翼くん(つばさくん) / つーmama
私の次男「翼」はH11年1月21日、パパとママの結婚記念日に元気に産声をあげて、この世にデビューしました。お兄ちゃんの大地の2歳の誕生日の日に「胆道閉鎖症」という難病と分かり、病気との戦いが始まりました。葛西法といわれ最初の手術をしましたが、よくならず、移殖するしか道がありませんでした。迷わず信州大において、8月31日に私からの生体肝部分移殖をして、生まれ変わったようにとっても元気になりました。退院後も順調だったのに、去年の暮れ、風邪をひき、これがEBウィルス感染でした。それから1ヶ月もしない1月19日、1歳のお誕生日の2日前、天使になってしまいました。 みなさん、よろしく。
7
遊月ちゃん(ゆづきちゃん) / ゆづきママ
ゆづきは妊娠5週目からおなかの中にいるのがわかり、それから家族みんなでゆづきに会えるのを楽しみにして過ごしました。どんなときも家族4人、でずっとずっと、おなかから出てきてお顔を見ることを楽しみにしていました。 出産予定日を10日ほどに控えた時点で、ゆづきの病気がわかりました。もういつ生まれてきてもおかしくないというときで、今日かな?明日かな?というときに・・・。 それからはとにかく「生まれてきてくれること」だけを心に毎日を過ごしましたが、予定日を3日過ぎた日におなかの中でお空の天使になってしまいました。 本当に、安らかな、笑っているかのような顔だった。2300グラムほどしかなかったけど、まんまるのお顔で、にっこり笑っているお地蔵さまみたいでした。おばあちゃんは「こんなにきれいな赤ちゃんは見たことない」と言いました。きれいすぎるくらいだって。 わたしは・・・きれいでなくてもよかったから、今ここにいてほしい・・・でもきっとあのときのようににっこり笑って、お空のお友達と遊んでいると思っています。
8
夢人くん(ゆうとくん) / 夢人のかぁちゃん
2000年のバレンタインデーに3574g52cmの男の子夢人(ゆうと)が生まれました。待って待ち望んだ赤ちゃんです。 予定日より9日遅れの検診日で、元気に動いていたのに生まれてきた夢人は羊水とウンチを飲んでいてすぐにNICUの先生にお世話になりました。先生も夢人もがんばってくれました。私たちは祈りました。 でも4日後の18日にお空へ逝ってしまいまた。赤ちゃんなのに泣かないでたった一人で、最高の笑顔を残して… 心配で心配の4日間でしたがお母さんになれた感激と夫婦で幸せいっぱいの時間でした。 ゆうと、お母さんのおなかにやってきてくれてありがとう。がんばった姿、勇気を見せてくれてありがとう。お父さんお母さんは幸せだったよ。これからは夢人の分までお父さんと幸せに生きていくから… だからゆうとたくさんのお友達と仲良く遊んでね。やさしい神様にいっぱい抱っこしてもらってね。
9
うさぴょん / うさぴょんのかぁちゃん
ミッフィ−になった「うさぴょん」夢人のお兄ちゃん?です。7週でお母さんのおなかの中からさよならしました。 1998年うさぎ年9月下着に血がついていたのに「妊娠したらこんな事もある」どうしてそう思ったんだろう。すぐに病院に行かなかったんだろう?出血が多くなってから病院へ行ったけどまだ赤ちゃんが小さすぎて3日後が見極めですって言われて、家で医学書を見て寝ている事しか出来なかった。でも2日後の私の誕生日にシタの方からぬるっとしたものが出てきた。ティシュにくるんで次の日に病院へ持っていった。おなかをさすりながら「もう一度一緒に帰ってこようね」って何度も何度も言ったけど、もうおなかの中には何もなかった…信じられないあんなに楽しみにしていた赤ちゃんなのにどうしてだろう。 そうだあの時雨の中を自転車で走ったのが、妊娠かもって思いながらジェットコースターにも乗った。重い荷物も持ってた。甲子園も行った。いっぱい心当たりがある。どうしよう…助けてあげる事どころか…。ごめんね、本当にごめんね。 ティッシュにくるんだのを調べてもらったら胎児だったていわれた。 手元には2枚の超音波の写真しかのこらなかった。だからミッフィーのぬいぐるみを買ってずっと忘れないように。 今は夢人のとなりに並んでる。だから夢人も寂しくないよね。 うさぴょんのことはどうしても小さくなっているけどお母さんもお父さんもおなかにやってきてくれた時すごくうれしかった、幸せいっぱいの2週間だったからね。忘れないから…       うさぴょんのかぁちゃん
10
あやちゃん / pupさん
あやも今年1年生。将くん、優ちゃんと同じですね。 あやは3歳8ヶ月まで何の心配もなく過ごしていました。 心雑音があることがわかりマルファン症候群とわかりました。 それでも日常生活には問題なく過ごしていたのですが、嘔吐を繰り返し脱水症状になり、快復していたのですが、様態が急変し、それから10日間精一杯がんばったのですが、、、 ちょうど4歳と1ヶ月でした。 震災の時は、奈良も目が覚めるくらいにはゆれました。 あやは怖かったようで泣いていました。 のんびりやのお姉ちゃんは、7時半頃の余震で初めて‘ゆれる’ことがわかったようでした。 震災の後には、転校してこられた方もいらっしゃいました。 5ねんがたち震災のことも世間的にはだんだんうすれてきているように思われますが、決して忘れてはいけないことだと思います。 これから、いろいろお話しさせてください。 よろしくお願いします。

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