10/29(土)

【一瞬だけの町】

バスステーション付近

朝早くに目は覚めた。コンパートメントは快適だったが、やはり熟睡するというまでには至らなかった。7時頃、速度を緩めた列車は、やがて静かにモンバサの町に到着した。駅周辺は、日本の小都市といった雰囲気だ。ナイロビと違って、朝からかなり暑い。タクシーやなんかの客引きが盛んに大声をかけてくるなか、真っ先に向かったのは、バスステーションだった。ここで、帰りの切符を手配しておかねばならない。それは、出発前にアモスさん達に教えられていたことだ。案外遠いそのステーションまで歩く途中、さっきタクシーに乗れば良かったかなと後悔した。通りすがりの人に一度道を尋ねた末、バスステーションに到着、無事チケットを入手した。さあ、次にやるべきは宿の確保。これもガイドブックで目星をいくつかつけていたので、そこを当たってみることにした。さっき道を尋ねた男が何か叫びながらついてくる。お礼は言ったはずなのだが、いつまでも離れず、「俺は金をもらう権利がある!」みたいなことをまくしたてているようだ。冗談じゃない、これくらいで金を払っていてはたまらない。「No,No」と振り払う。しかし、なかなか離れない。今度は立ち止まって少し強めに「Noって言ってるだろ!」と言い放つ。それでもまだついてきていたが、そのうちだんだん離れていった。

最初に目指したホテルは工事中だった。近くにあった別のホテルで部屋を見せてもらい、お湯は出ないが綺麗なところだったので、そこに決めた。値段も日本円で1200円ぐらいとお手頃。しばらくベッドで体を休めた。

外へ繰り出すにはまだ疲れが残っていてきつかったが、ここで寝てても来た意味がないと奮い起こし、ガイドブックを手に部屋を出た。まず向かったのは、フォート・ジーザスという、かつては刑務所でもあった砦で、今は交易品や民具などの展示館となっている場所である。タクシーをチャーターし、まずフォート・ジーザスへ行って一回りしてから、海辺沿いの道路を走り、またホテルまで帰ってくるという話で値段交渉をし、乗り込んだ。

フォート・ジーザス

フォート・ジーザスに着くと、運転手の知り合いがいて、2人で何か話を始めた。どうやら、その男が案内してくれるらしい。ここでも事前に値段交渉をしてから、お願いすることにした。中に入っていろいろと見てみたが、これといって大したものはない。案内役の男の話もあまりよく聞き取れなかった。ただ、インド洋がすぐそばで、外の眺めは良かった。1時間ほどで一回りし、料金を払って案内の男とは別れた。

フォート・ジーザスを後にし、インド洋に面した海岸通りを走った。ガイドブックには、この通りを歩くと気持ちいいと書いてあったが、ものすごく距離がある。調子に乗って歩かなくて良かったと思う。有名なバオバブの木が何本か立っていた。

インド洋を臨む
バオバブの木

町に戻り、チャイ(ミルクティー)で昼食を取った後、おみやげ漁りに繰り出す。ナイロビやサファリロッジに比べると、ここの物価はかなり安い。今までに買ったのと同じ物が、5分の1ぐらいの値段で売っている所もある。そんな中で、少し目を引くものがあった。一見日本のたこやき器を彷彿とさせるその道具は、「マンカラ」と呼ばれるゲーム盤の一つであった。ゲームに関する本の中でこれについて読んだことがあったので、見つけた時は嬉しかった。かなり値が張った(確か、日本円で4000円ぐらい)が、買ってしまった。
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モンバサのシンボル、「タスクス」

ホテルの部屋に戻る前に、果物をいくつか買って帰った。道ばたで売っていたのがすごくおいしそうに見えたからだ。りんごみたいなのもあったので、フロントでナイフを借り、皮をむいて切って食べた。なかなか美味しかった。もう夕暮れが近い。今日はこれで外出することもない。またベッドに横になる。そこでガイドブックを読みながら考え始めたのだが、明日の朝、バスでナイロビに戻る。所要時間は7時間程度と書いてある。朝8時にここを出ると、ナイロビには午後3時頃に着く。明日の飛行機は午後5時15分出発。うむむ、結構ぎりぎりではないか。さらにガイドブックには、バスはよくパンクやその他トラブルに見舞われたりすることがある、などと書いてある。出発時刻の変更もおおいにあり得る。その辺り、だんだんとものすごく心配になってくる。しばらく考えた。そして、決めた。「よし、今日ナイロビへ戻ろう!」

今からナイロビへ向かうとすれば、夜行列車しかない。モンバサの駅まで走り、今日の切符があるか尋ねてみる。なんとか席はあるが、6時には出発するらしい。この時には既に5時半を過ぎていた。「買います買います!」と叫んでチケットを購入する。食事と毛布はどうするか聞かれたが、行きと同じく、毛布だけでOKと答えた。ずいぶん不思議がられ、僕がそれをよく理解していないと思ってか、何度も食事について聞いてくる。何とか説明し、チケットを手にもう一度ホテルに戻り、急いで荷物をまとめるとまた駅までとんぼ返りとなる。フロントのお兄ちゃんに、「急用で、これで帰ります」とだけ手短かに告げ、ホテルを飛び出した。駅までは歩くとそこそこの距離がある。風邪も完治していない体で、おみやげでぱんぱんに膨れ上がったバッグを引きずって走るのはきつかった。こんな時に限って、タクシーが全く通りかからない。走りながら探していたが、なかなか見つからない。道のりの半分位のところまで来て、ようやく1台見つかった。神様にお会いしたような心持ちで乗り込み、ようやく駅まで着いた。ぜいぜい言いながら改札を通ると、さっきチケットを買った時に話した駅員が立っていて、「大丈夫、まだ時間はあるよ」と言ってくれた。

コンパートメントでは、また一人だった。これでようやく安心、ホテルの部屋でバスの心配を始めた時から高鳴っていた鼓動がようやくおさまっていった。さっきの駅員が部屋にやって来た。この列車に乗り込み、一緒にナイロビまで行くらしい。もう60歳位の老人で、よく見ると車掌さんのような風貌だった。もう一度食事のことを聞いてきた後、「何かわからないことがあったら、すぐに呼んで下さい」と言って、部屋を去っていった。ともかく慌ただしかった。何のためにこの町に来たのだろうか。夜行で来て、夜行で帰る。不思議な感じだった。

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