行動の記録
地図です。巨大ファイルですみません

第1日   出発からガンドルン


第2日   ガンドルンからチョムロン


第3日   チョムロンからヒマラヤ


第4日   ヒマラヤからマチャプチャレBC


第5日   マチャプチャレBC〜アンナプルナBC〜バンブー


第6日   バンブ−からシヌダダ


第7日   シヌダダからポタナ


第8日   ポタナからフェリ(終点)











第1日 12月26日 ポカラ〜ナヤプル〜ガンドルン

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 朝6時前に起床。まだ、薄暗い。顔を洗って、ホテルで普通のパンとチャー(紅茶)の簡単な朝食。 ガイドのツァンさんとシャム君は、ロビーで既に待っている。ツァンはちょうど40才、といっても、結構老けて見える。どうも彼らは、30を過ぎると急激に老けるような感じである。シャム君は、まだ22才。シャイで無口で誠実そうな青年である。 後で聞いたところによると、彼らはトレッキングに備えてポカラに常駐しているとのことであった。 
 外に出てみると、相変わらず雲ひとつない好天。アンナプルナの山々が赤く染まっている。あの山の麓に今から行くんだ。ちょっと、感激。 約束の7時少し前にタクシーがやってきた。昭和40年代のカローラで、日本では代金を払って引き取ってもらう類の自動車である。ポカラでは、この型のタクシーが幅をきかせている。荷物をトランクに積み、はて、この車にどうやって5人(運転手を含めて6人)乗るのだろうと心配していると、ツァンとシャムはひとつの座席に重ね餅で座っている。心配すると、トレッキング中何度も聞かされたツァンの言葉が返ってくる。「ノープロブレム」
 最初は、田園地帯を行く。藁で作ってある建物のような物は、なんだろうかと何度か目を凝らして、やっと牛小屋であることがわかる。ひとつひとつの水田の面積はかなり小さい。30−40平米程度であろうか。今は乾期で何も植わってない。
 途中から、山道にさしかかる。結構、急な登りで、ここをあのオンボロバスで登っていたら、かなり時間を食うだろうことを実感する。故障して立ち往生することも、そんなに珍しいことではないらしい。
 峠を登り切ったところで関門(ゲートはなんと竹製)があり、トレッキング許可書のチェックがあった。なお、ここでも車を降りると、ミネラルウァーターや果物を売りにくる。いいかげんにしてよ。
 最初は2時間程度かかると聞いていたが、1時間10分くらいでナヤプルに到着。と言っても、そこは10−20軒程度の谷間の集落であった。
 タクシーの運転手に礼をいい、いよいよトレッキングの開始である。
 道は、集落の生活道路で広めのハイキング道路と同程度である。しかし、噂通り家畜の糞はいっぱい。乾燥したものまで完璧にさけるのは到底無理である。
 最初は、モディ川右岸に沿ってほぼ平坦な道をいく。行く手にマチャプチャレの鋭角の山頂が見え隠れする。
 コースには点々とバッティ(休憩&宿泊施設)があり、なるほど水や食料は小休止するときに必要な分だけ持っておけばOKである。しかも、チャー(ミルクティー)1杯10RS.(約20円)という安さ。!! 
 10:40シャウレバザールで早めの昼食とする。(つもりだった・・・・) メニューはビニールで汚れないようにしてあるが、日本の常識ではそれを見ただけで客が出ていってしまうのではと思われるほど、黒く汚れている。(^^;)  ビールが100RS.ポカラのレストランより高いけど、日本円に換算して考えるとメチャ安い。早速注文して、トレッキング開始を祝う。
 食事は、注文して料理がでるまで結構時間がかかる。ここは比較的早かったがそれでも30分以上かかった。ヌードルとフライドライス(インスタントラーメンと焼き飯)の昼食は結構おいしい。
 我々の食事が終わってさあ出発かと思っていると、今度はガイドとポーターが昼食という。我々が食べ終わってから、彼らは食べるようにしているようだ。その間、ひなたぼっこをしているバッティの娘さんと歓談。16才の高校生ということであるが、かなり英語ができる。日本語も少し単語を知っている。私を含めて、かなりの日本人の英語の力は彼女以下であろう。日本の外国語教育はなってない!!。

 シュウレバザールから急な登りとなる。水牛が寝そべったり、そこらの草を食べたりしている段々畑(田)の中を、ゆっくり登る。背後から太陽を浴びて、半袖Tシャツでも暑い。高度1600m程度で、急登は終わり、だらだらとした登りになる。
 途中、休憩中に他のテント泊トレッカーのポーター達と一緒に休憩。彼らの荷物にりかあさんとノブ氏が挑戦。歩けないことはなさそうだが、頭にかける紐の過重のかけ方に要領がいりそうである。それにしても、彼らのほとんどは草履履き(ビーチサンダル)で、我々より早く歩くのは驚異である。
 午後3時ごろガンドルンに着く。急な斜面に家が連なっている。ツァンが宿泊場所に選んだのは、ピースフルロッジという小さな見晴らしのよいロッジ。客は我々だけであった。部屋は4.5畳ほどの広さに幅1メートルほどのベットが2つ。ベットには布団はないが、マットレスは敷いてあり、寝袋さえあれば快適に眠れそうだ。




第2日  12月27日 **** ガンドルンからチョムロン ****  

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 朝5時過ぎ、目が覚める。外は真っ暗である。空には星も見えない。今日は、モルゲンロードは無理かと思っていたが、歯磨き、用足し等をしたりしている内に、雲が切れてくる。 アンナプルナサウスが、ヒュニチュリが赤く燃える。綺麗な時はもっと赤く染まるのだろうが、十分な美しさである。ただ、マチャプチャレは、見る方向の関係で余り赤く染まることは無いようだ。
 朝食は朝6時半からの予定でメニューも前日注文済みであったが、一向に準備が出来ない。ネパールの朝は早いと思っていたのだが・・。 結局、7時半になってやっとチャーが飲め、それから待つこと30分弱で朝食の用意ができたのであった。後で聞くところに依れば、ラマ教の祭りで前日夜が遅かったので、寝坊してしまったのだということであった。
 食事を終え、8時半前出発。一度、キュンリ川まで下り、それから登り返す。いかにも、峠の茶屋と言う感じのコムロンの茶屋で休憩。マチャプチャレやアンナプルナが初日に較べて大きく見える。スプライトが25RS.である。
  そこから、再びキムロン川まで下る。少し登り返したところで、トイレ休憩、ついでに昼食とする。ここでも、やはり、最初に我々の昼食、その後、ガイド氏&ポーター君の昼食となって1時間半以上の大休止となる。
 ここから、チョムロンまで結構な登りである。背中から、太陽を浴びて暑い。ゆっくり休憩をとりながら進む。たいてい、1回の休憩は20分程度となる。日本での日頃の歩き方からすれば、余りに長いので返って疲れる感じである。たぶん、彼らが長い間、重い荷物を運んだ経験から培った歩き方なのだろう。
 途中、チョムロンまでかなり登りつめた茶屋で、そこの3人姉妹とりかあさんがネパール語で会話を試みる。とりあえず、こちらの発する言葉は理解されたようだが、それの返答が全く意味不明である。我々を少々馬鹿にしているのか、ガイドのツァンも訳そうとしない。でも、なにか一声発生する度、大声で笑って、楽しそうである。 最後に、写真を送って欲しいということだけは理解でき、送付を約束して分かれる。
 このあたりはモディ川を眼下に見て、対岸は見事な段々田である。山の中腹に復路に通過する村々が一望できる。徳島の祖谷地方のスケールを大きくした感じの風景である。
 3時20分、チョムロンに到着。ツァンの選んだロッジは、本村の手前の村はずれにある、フィッシュテールゲストハウスという、小さな小屋である。その名のとおり、マチャプチャレの展望は、非常によい。翌朝の朝焼けが楽しみだ。



第3日  12月28日 **** チョムロン〜ヒマラヤホテル ****  

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 朝6時過ぎ目が覚める。トイレに行く途中、5才くらいの男の子(宿の主人の甥っ子)が台所のかまどの火の番をしているのが見える。みんなそれぞれ、子供は子供なりに出来る範囲の仕事の役割があり、それを忠実に行っている感じである。7、8才の子供が2,3才の子供を負ぶっているのはごく普通である。
 目が覚めた時は、山々はやはり雲に隠れていたがすぐに雲が晴れる。しかし、朝焼けはは思ったほど、綺麗に染まらなかった。残念。
 早くから火を起こしているので、朝食も少しは早いかなと思っていたが、結局前日同様で7時半頃になっていた。(^^;)
 8:00小屋を出発、チョムロンの本村を通過し、いったんチョムロン川まで下る。そこから、シヌワまでは、そこそこの登り。チョムロンの村から離れるにつれ、家畜の糞が少なくなる。谷間で隠れていた太陽が顔を見せると、とたんに暑くなり、Tシャツ1枚になる。途中、高校生くらいの一団が息を切らしながら我々を追い越していく。後で聞くとオーストラリアから来たらしいが、団体で来ていながら、団体でまとまって励ましながら歩くようなことはせず、各自めいっぱい歩いている感じである。文化の違いを感じる。
 峠にあるシヌワからは、「魚のしっぽ」だけになったマチャプチャレが間近に見える。アンナプルナサウス等は、手前の山の陰になってしまって見えない。いよいよ近づいてきたのを実感する。
 シヌワからクリティガルまでは、小刻みなアップダウンのある道である。クリティガルは、アンナプルナサンクチュアリに入るチェックポイントとなっており、若い役人がトレッキング許可証のチェックをしている。ロッジ等はない。
 ここから、再び、25分ほど下って、バンブーに着く。7−8軒のロッジが軒を連ねてる。今日は、ここで昼食。トレッキング最初の日から、抜きつ抜かれつしている外国人(後でイタリア人とわかる)カップルが優雅に日光浴をしている。彼らは、テント泊でガイド、ポーターを合わせて11人も引き連れてのトレッキングである。 本日の予定は、もう少し先のヒマラヤホテルまで。さすがのツァンも今日ばかりは、小屋の主人に食事を急がせている。トレッキング中、唯一1時間以内で昼食を終えたのであった。

 ここからは、だらだらとした登り道が続く。途中休憩していると、イタリア人カップルが追いついて来る。彼らは、いつもかなり早いペースで歩いており、我々は必ず追い越された。彼らが優雅に休憩中のみ、我々が追い越すのである。 聞くと、クリスマス休暇を利用してやってきたとのこと。ついでに、夏の休暇の話しになり、彼は1月、彼女は3週間の休暇があるという。われわれは、8日間のみ。それも、日本では恵まれた部類なんだとまでは、説明できなかった。途中、ノブ氏の時計をめざとく見つけて、一緒だという。なるほどカシオ製の温度、高度、方位計のついた登山用の物である。それから、日本人は金持ちだという話しになる。日本人は、バレンティノ等のブランド品を大量に買っていくが、私たちには買えないという。われわれのような貧乏な日本人もいると説明する。

 バンブーから約1時間でドバン。3軒のロッジがあるが、営業しているのは1軒だけであった。 さらに、川の流れる音を聞きながら、樹林帯の中を登って行く。途中から、霧がかかり、高度もあがってきて寒くなる。
 4時ちょうどにヒマラヤホテルに到着。ここは、ロッジが2軒しかなく、我々だけの貸し切りとはいかない。部屋にいても寒いので、ダイニングルームに行く。熱気の逃さぬようテーブルの縁から毛布が垂れ下げてあり、テーブルの下にガスストーブを置いておくネパール式の炬燵で暖を取る。 体が暖まるとビールが欲しくなり、さっそく乾杯。ここまでくると140RS.と値段が上がる。しかし、ビールは3本で品切れ。食事後は、日本から持ってきたウイスキーを少しなめただけで、おとなしく就寝。



第4日  12月29日 ***** ヒマラヤホテルからマチャプチャレBC *****

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朝は結構冷える。寒いし、どうせ早くから起きても食事ができないだろうとゆっくり構える。 完全に夜が明けてから起き出すが、それでも食事までに時間がある。ここは、谷間の展望がきかない場所で、モルゲンロードを楽しむことはできない。
 
 8:15ヒマラヤホテル出発。急登ではないが、そこそこの登りが続く。例のイタリア人カップルがあっという間に追い越していく。このあたりは、左右絶壁に視界を遮られた谷間をいく道である。 9:30デウラリに到着。3軒のロッジがある。高度が上がって、気温が低いので休憩すると、急にしんしんとした寒さを感じる。帽子、手袋、ネックウォーマーを身につける。 お茶を飲んで十分休憩したあと、出発。

 しばらくすると、太陽が出てきて急に暑くなる。このあたりから、りかあさんの足取りが重くなり、ガイドのツァンの歩きから少しずつ遅れだす。途中、ゆっくり休憩しながら進む。 マチャプチャレBCが近づき、左右の絶壁の前方に、アンナプルナ連峰の山々の白い尾根が見えるようになる。
 12:40マチャプチャレBCに到着。これまで1枚の写真に写っていた、マチャプチャレが右手、アンナプルナサウスが左手と完全に左右に分かれ、麓まで来たことを実感する。特に、マチャプチャレは、見上げるばかりの高さに見える。 無理をすれば、アンナプルナBCまでいけないことはないが、日数はたっぷりあることなので、ツァンの助言に従って今日はここまでとする。
 昼食を取って昼寝。気温は低いが太陽を浴びているので、暖かい。 しばらくして、ツァンが別のロッジに移動するという。最初のロッジの棟の陰になって見えなかったが、50メートルほど先に別のロッジが6〜7軒あった。 宿泊するロッジの部屋に荷物を部屋に入れたあと、ちょっとした丘に登って山々の鑑賞&記念撮影。 我々が、記念撮影していると、例のイタリア人カップルも登ってきた。
 ここまで、書くのを忘れていたが、彼女の方はとびっきりの美人。囲炉裏の旗を出して、まず最初にわれわれ3人で記念撮影。その後、2人も一緒になって記念撮影。 ついでに、ビデオ撮影のレポーターもやってもらう。\(^o^)/

 夕方、マチャプチャレが西日を浴びて赤く染まる。見事な光景である。来てよかったと思える瞬間である。 ロッジは別の3人組の日本人や韓国の10人ほどのパーティが一緒で、ほぼ満員。韓国人パーティのメンバーの食欲はすざまじい。ひとりひとりにあてがわれた大盛りの焼き飯が「がつがつ」と食われ、中央のキムチやポテトチップ?のような副食が瞬く間に消え失せた。「キムチ一切れ食べたいな。」3人連れの日本人の一人がしみじみといったけど、私は口に出すとよけいに食べたくなりそうだった。 我々は、あまり食が進まない。単なる蒸しジャガイモが唯一うまいと感じる。ビールも2本だけ。
 早々に部屋に引き上げ、おとなしく寝ることにする。

 この日は、周囲も騒がしく、ちっとも眠気を感じなくて寝つきが悪かった。それでも、しばらくすると寝いっていた。が、息苦しさを感じて目が覚める。時計をみると、まだ10時過ぎである。心臓が100メートル走った直後のようにドキドキして、呼吸が苦しい。必死に腹式呼吸を試みるが、なかなか息苦しさから解放されない。 しばらく、悶々としていたが、再び寝入っていた。次に目がさめると、時刻は1時。トイレに行きたくなり、外にでる。星が綺麗である。オリオン座の三ツ星の下の方の三ツ星がはっきり見える。あの4角形のなかに、あんなに星があるとは信じられない。
 ベットに戻ると、息苦しさは相変わらずである。このたりの高度になると、じっとしていてもその場にいるだけで体力を消耗してしまう感じで、あせりに似た気持ちにある。それでも、腹式呼吸を繰り返すうち、再度寝入っていた。 次に目が覚めると、4時。やっと朝に近づいた感じがしてうれしい。まどろみを繰り返して朝を迎える。

第5日  12月30日  ***マチャプチャレBC〜アンナプルナBC〜バンブー***
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 5時半起床。ホットレモンと携帯食で朝食とし、6時15分出発。
 まだ、暗い中月明かりを頼りにガイドのツァンはしっかり進む。最初の30分は勾配が急である。
 一歩一歩が苦しい。前方の暗い空に浮かぶアンナプルナ南峰が少しばかり元気をくれる。

 やがて、太陽が南峰を赤く染める。が、モルゲンロードは遠くからの方がきれいだ。

 だらだらとした登りが延々と続く。例のイタリア人夫婦があっという間にわれわれを追い越していく。
 風が出てきて、顔が冷たい。そよ風程度ではあるが、高度が高いので凍り付きそうである。


 やがて、アンナプルナBCの建物が見えて、次第にそれが大きくなり到着。(7:50)
 とりあえず、小屋に入り暖かいスープを飲み、暖を取る。

 しばらくして外へでると、日が射して先ほどの寒さがウソのようである。


 小高い丘にのぼり、無事アンナプルナBCまで登れたことを喜びあう。
 回りは、8000メートル級の山々が取り囲む。感動の一瞬。 



 目的を達して、帰りはひたすら歩くのみ。ヒマラヤホテルを通過し、バンブーまで一気に下る。

第6日  12月31日  ***バンブー〜シヌダダ***
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 今日は、宿泊地で温泉に入れる日である。
 しかし、体調は不良。
 トレッキング開始後、初めて食欲がない。。。
 醤油の味が恋しい。うどんが食べたい。冷やっこが食べたい。。。

 それでも、昼にはビールで乾杯。

 で、この日ばかりは、温泉に早く入りたい思いが強く、いつも「ビスターレ、ビスターレ」のガイドのツァンの歩きに業を煮やし、3人で先行する。すると、ツァンもやっとわれわれが急いでいるのがわかったのか、急ぎ足で歩いてくれた。
 
 午後2時半過ぎ、シヌダダに着き、歩いて15分の温泉へ。
 温泉はぬるま湯であるが、久しぶりに湯に浸かり満足。
体を丁寧に洗うが、汗とほこりにまみれて、なかなか泡が立たない。。。でも、久しぶりにスッキリ\(^o^)/。


この日は大晦日であり、われわれのガイド、ポーター、同宿のイタリア人女性、そのガイド、宿屋の手伝いなどと酒を酌み交わし、酔っぱらう。






第7日
 1月1日 ***シヌダダからポタナ***

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 もう、目的を達しての帰り道。再び遠望されるようになった、アンナプルナやマチャプチャレを振り返りながら歩く。昼の食事も、いつものネパール時間。たっぷり2時間である。



 ところが、この日はガイドの知り合いの茶屋がある、ポタナまでは、結構遠かった。

 途中のトルカでの休憩は、珍しく短い。

 デウラリでは、日本人3人の若い女性が宿泊しており、時間も午後4時半なので、ここで泊まってもいいなあと思ったが、お構いなしに次のポタナまで行ってしまった。(一番残念だったのはポーターのシャム君だったと思う。)


 ポタナの宿では、例によってガイドのツァンがロキシーを手に入れてきて、またまた宴会。
 それで、新年早々にずっこけて眉間にケガをしてしまった。軽傷だったのが、幸い。(^ ^ゞ ポリポリ。

第8日  1月2日  ***ポタナからフェリ(終点)***

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 トレッキング最終日。距離も短く、急ぐこともない。

 ダンプスでは、監視所の職員と言葉を交わす。通りかかった小学生に鉛筆をプレゼントすると、そこの職員も「私も息子にも欲しいんだか。。」残念ながら、残り少なく全員には渡せませんでした。

 しばらく行くと、結婚式に出くわす。新郎も若いが、新婦は、まだ中学生くらいにあどけない。
 ご近所衆のお祝いの踊りや、祝福の行事を見る。

 急な下りを終えると、トレッキングも終了。

 物売りの女性たちの攻勢がすさまじい。「ブツブツコウカン、OKよ」「ニホンジン、オトモダチ」
 汚れた靴下、プラスチックの水筒から、虫除けスプレーまで、要らない物はすべて何らかの物と交換となりました。

 帰りは、ツァンが用意した車。30分ほどでポカラの宿に着き、長かったトレッキングも終了となりました。


【無事を祝って】

宿に到着して、シャワーを浴び休んで。。。夜はフェリで調達した10リットルのロキシーと冷えたビールで、ホテル経営者一家、ガイド、ポーターを交えて大宴会を開催したのでした。


2 出会った人々 その1  People We met in NEPAl No1
3 出会った人々 その2  People We met in NEPAl No2
4 宿、食事、おみやげ、観光
5 トレッキングの手配


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