HOME -> 人物・氏族データ -> な行 -> 長井氏
大江広元は奥州合戦後に全国各地に地頭職を賜り、後に次男の時広には出羽国置賜郡の長井庄の地頭職を継承させた。そして時広は地頭職からとって長井氏を称したのが始まり。しかし、長井氏当主は幕府の要職を務めていたために鎌倉に出仕しており、武蔵国の横山庄の所領に居ることの方が多く、長井庄の経営は一族の代官に任せていたという。南北朝時代には伊達宗遠が置賜郡へと攻め込んで長井庄を制圧し、長井氏は出羽国の所領を失うことになった。その後、室町時代に長井氏は扇谷上杉氏の家臣となった。
城名 | 概略 |
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米沢城 | 鎌倉時代に長井時広が築いた出羽国における長井氏代々の居城とされる。実際は長井氏当主は鎌倉や京に居ることが多く、築城も管理も代官によるものと考えられている。 |
長井氏館 | 長井氏当主は代々幕府の要職にあったため、奥州に下向することはほとんど無く、武蔵国のこの館が実質的な居城だったとされる。 |
片倉城 | 長井広秀による築城説があるが定かではない。長井氏は「和田義盛の乱」で失脚した横山党の武蔵国横山庄を与えられており、横山氏の城を改修して利用したとも伝わる。伊達宗遠に奥州の所領奪われた長井広房は、その後はこの城を居城としたという。 |
初沢城 | 1504年の立河原合戦で山内上杉氏に攻め落とされた城で、この城を守っていた扇谷上杉氏家臣の長井広直は討死したという。この戦いで長井氏は没落し、長井氏の所領の多くが山内上杉氏家臣の大石氏のものとなったという。 |
姓 | 居城 | 概略 |
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長井泰茂 | 米沢城? | 一門衆。長井泰秀の弟で、鎌倉から離れられない兄に代わって家臣を引き連れて出羽国の長井庄へと下向したとされる。 |
新田氏 | 館山城 田沢城 |
長井氏家臣。口田沢の領主。平安時代に藤原経衡がこの地を領したのが始まりで、1189年に奥州藤原氏が滅亡した後はこの地の地頭となった大江氏(長井氏)の家臣となった。1380年に伊達宗遠によって新田遠江守が謀殺されるが、伊達氏が置賜郡を制圧するとその家臣となった。 |
大須賀氏 | 荒館 | 長井氏家臣。小出の領主。下総国大須賀郷の出身の大須賀長光が長井泰茂の出羽国長井庄下向に同行してそのまま土着したのが始まり。大須賀長任の代には出家して長遠寺の住職となり義昌を称した。 |
船山氏 | 小松城 | 長井氏家臣。小松の領主。長井時広の家臣の船山因幡守が鎌倉時代に置賜郡に下向し、小松に居を構えたという。 |