
涌津城 わくつじょう
14世紀頃に岩淵正経によって涌津の丘陵に築かれた丘城で、1590年の「奥州仕置」で葛西氏が没落すると家臣の岩淵氏も没落し、一時は木村吉清の所領となるが、後に伊達家の所領となった。藩政時代は伊達藩士の瀬上氏の居城となった。▼遺構や見所
■ 主郭跡(御館神社) ■
丘陵の頂上には御館神社があり、この部分が主郭とされている。それほど広いわけでもないため、当時も城の守り神を祀る場所だったか?
■ 二の郭跡 ■
主郭より東側の一段低い場所で、今は半分が雑木林、もう半分が「紫舘公園」になっている。城内で最も広い郭で東の城下が見渡せるため、居館があったのは恐らくここか。
■ 腰郭 ■
丘陵の東斜面に腰郭が複数確認できる。現在、そのほとんどは耕作地になっている。
■ 紫清水 ■
丘陵の東斜面中腹に城の水の手である紫清水がある。現在、源泉は塞がれているが、源泉脇の脇に湧水口を設けている。ただし、大腸菌が多く検出されたため飲まないよう注意書きがある。
■ 水濠 ■
丘陵の斜面には堀の跡だと伝わる水濠があるが、耕作用に後から造られた溜池のようにも見えるため判断に困る。
▼歴史
- 年月日出来事城主・城代・持分・守備
- 1305年岩淵正経が奥州の高倉荘流郷に下向し、涌津北館に住んだとされる。岩淵正経
- 1344年岩淵正経が城を築いて居城としたと伝わる。岩淵正経
- 1590年「奥州仕置」によって葛西氏が没落すると家臣の岩淵氏も没落した。このためか岩淵経義は仕置後に熊野倉館へ居城を移している。岩淵経義
- 1590年頃流郷一帯が木村吉清の所領となるが、「葛西大崎一揆」後は伊達政宗の所領となる。(伊達領)
- 1617年伊達藩士の瀬上宗時が涌津村に移されて居城とした。瀬上宗時
- 1646年前年に宗時が高野山詣で帰りの京で客死したため、外孫の宗敦が瀬上氏を継いで涌津に移るが、幼少のため宗時の娘婿の富田守継が後見人となる。瀬上宗敦
- 1661年宗敦は桃生郡の中津山に新たに知行を賜ったため、中津山の在所に居城を移した。瀬上宗敦
▼詳細情報
最終訪城日 | 2017年4月22日 |
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別名 | 涌津北館、紫館、神楯城 |
前身 | 涌津北館? |
普請開始 | 1305年又は1344年 |
築城完了 | 1305年又は1344年 |
築城者 (設計者) | 岩淵正経 |
分類 | 中世丘城 |
規模 | 東西200m×南北200m |
標高 | 標高:53m、比高:約30m |
文化財指定 | - |
現存建造物 | - |
復元建造物 | - |
模擬・復興建造物 | - |
遺構 | 井戸跡、空堀、水堀、郭跡 |
標柱・説明板 | 紫公園入口に説明板あり |
現状 | 紫舘公園、雑木林、畑 |
イベント | - |
注意事項 | 紫清水は飲用禁止 |
場所 | 岩手県一関市花泉町涌津 |