虹の谷の五月

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舟戸与一 著
写真 アマナ・イメージス
AD 安彦勝博
集英社文庫
ISBN4-08-747572-7 \743(税別)
ISBN4-08-747573-5 \762(税別)

フナドの夏だ!

 みんなはおいらのことをジャピーノと呼ぶ。ほんとの名前はトシオ・マナハン。父親は日本人だけどどんな人間なのかは知らない。母はエイズで死んだ。今はセブ島のガルソボンガ地区でじいちゃんとふたり、闘鶏用の軍鶏を育てながら暮らしてる。いまだに山奥に潜んでいる反政府ゲリラたちの活動はやまないし、地区の大物たちは賄賂で動いてる。新しくやってきた牧師はどうも女より男に興味があるらしい。みんな楽な暮らしをしている訳じゃない。でもそれなりに、みんななんとかうまくやって来ていた。あの日までは…。

 その日、地区のみんなから白い目で見られたまま、日本人の老画家の妻となって日本に渡ったシルビアがガルソボンガ地区に何年かぶりに戻ってきた。メルセデスとか言うぴかぴかの車に、大きな犬を乗せ、いろんな電化製品をいっしょに持って、おべんちゃらを言い回る取り巻きたちから"クイーン"と呼ばれながら。そしてそのクイーンは、おいらに虹の谷への案内を言いつける。おいらだけが行く道を知っている虹の谷、そこにはかつての反政府ゲリラたちの英雄だったホセがひっそりと隠れ住んでいる。だけどもクイーンはなんでそんなところに行きたがるって言うんだろう。ふだんならそんなこと言われたって、おいら言うことを聞いたりしない。でも大事に育てていた軍鶏が誰かの手で殺されてしまった今、おいらもじいちゃんも金が必要なんだ。仕方なしにクイーンを虹の谷に案内することにしたおいら。それがすべての始まりだった…。

 むせかえるような暑さの中、社会の底のほうで苦しみながら生き続ける人々。そんな彼らにふりかかる微妙なきしみが徐々に大きくなって行き、最後には取り返しのつかない悲劇にまで進んでいく中、どこか頼りなかった若者が、いくつかの出会いを経て一人前の男に成長していく姿を描く、これぞ正調舟戸冒険小説。小さな、閉ざされたコミュニティがよそ者の介在によってきしみ始め、ってな展開は初期の名作「山猫の夏」を彷彿とさせるし、古びた、停滞した世界に「開発」とか「資本」みたいな言葉で代表される物が入り込んでくることで、危ういところでバランスを保っていたコミュニティが瓦解していく、なんて流れは前に読んだ「龍神町龍神十三番地」にも通じるところがあるといえる。

 その上で「竜神町…」には欠けていたな、と感じられる、弱者への優しさと共感に満ちた舟戸与一のまなざしが、久しぶりに復活している感じがしてそこがとてもうれしい。別に弱者にいい目を見せる、とかそういう意味じゃあなく、やはり厳しい運命は待っているのだけれど、それでもその運命を綴っていく著者の筆のどこかに、なにかこう暖かい物が感じられるわけで、そこら辺が実にこう、久々に舟戸冒険小説を読んだなあと思わせてくれる原因なのだろうと思う。その上でこのお話にはさらに一種のボーイ・ミーツ・ガール物の甘酸っぱさも加味されていて、お話の味わいをさらに深い物にしてくれている。舟戸作品にはちょっと珍しい、切ないけれども少しばかりもうちょっと、先に期待したいな、と思わせてくれるラストシーンもステキ。うむ、やはり夏はフナドであるよ。

03/07/05

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