リヴァイアサン

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ポール・オースター 著/柴田元幸 訳
カバー装画 塩田雅紀
カバーデザイン 新潮社装幀室
新潮文庫
ISBN4-10-245107-2 \667

共感と意味を得られないことの悲劇…なのかな

 新聞の片隅に載っていた小さな事件。一人の男がどうやら自作の爆弾を製造中に何らかの手違いで爆死したらしい、と言う記事を目にした私は、とっさに一人の男を思い浮かべた。十五年以上も前、冬のニューヨーク。小さな朗読会のゲストに呼ばれた私は、折からの大雪で朗読会が中止になったことを会場について初めて知る羽目になる。会場に予定されていた小さなバーには私、バーテン、そして少し遅れてやってきた、ひょろりとした男だけ。彼こそが今回の朗読会のもう一人のゲスト、ベンジャミン・サックスだった。一風変わった初対面から意気投合した私たちは、その後も少々奇妙な形ではあったが、長く友情をはぐくんできた。いくつかの偶然が積み重なって起きた、あの事件が起きるまでは………。

 ポール・オースター文庫版最新刊。親本は平成十一年刊。前作「偶然の音楽」が、とつぜんわけのわからぬ不条理な状況に放り込まれた人物が、その中で何かを成し遂げようとする過程で得る小さな失望や充足を繰り返していく末に待っている、あまりに唐突な幕切れを描いて一種異様な読後感をこちらに残してくれたのに比べると、今回の本はよほどわかりやすい、といえるかも知れない。自分の依って立つところを他の人にも理解して欲しいのに、それがどうしても他人には、自分が思っているほど深いレベルでの共感を得てもらえないことに悩み、突破口を探す男の物語、といえるかな。

 物語の中核をなすのは二人の作家。一人はこの(作中で『リヴァイアサン』と名付けられた)本を執筆している私、ピーター。そしてもう一人はサックス。常に小説のことを考えるだけで手一杯のピーターに対し、常にすらすらと名文がわき出てくるサックス。だが、その遅筆が引き起こす他への手のまわらなさ故に実は多くの面でピーターは幸福であったのであり、才気煥発であるが故に常にいくらでも他のことを考える余裕ができてしまうサックスは、いつも自分のやってきたことに微妙に疑問を感じてしまう。そして彼の鋭敏な感受性はその疑問をそのままにしておけない。そんな彼(とピーター)に、何人かのこれまた特別な女性たちが複雑に絡むことによって、サックスはどんどん自分の逃げ道を狭く、険しくしていってしまう。それが自分にとって最良の手段だと信じた物事がいつも自分をさらに苦しめてしまう。それが積み重なった先に待っているのはやはり唐突な悲劇でしかない、と言うあたりの流れは「偶然の音楽」にも通じるところがあるかも知れない。

 そのあたりまでは何となくわかるのだけど、これもやはり不可解な小説だなあ。サックスを「今の自分は良くない」と感じさせる物の説得力を、こちらが行間から読みとれていない(オレの読解力不足)、と言う部分は、そりゃあるんだろうけれど、なんに対してサックスが「それじゃダメだ」と思ってるのか、ひいては著者であるオースターが「こういうのはちょっと考え物だと思うんだが、どうかね」と言いたい対象が何なのか、イマイチわからないんだな。そのもやもやした不安定な感じが、今アメリカでリベラルな知識人である、ということがどういうものであるのかを表現してるんだよ、ってことなのかも知れないけれど。

 まあね、この読後の不可解な感じこそが、オースターの本を見かけるとついつい買ってしまう原動力になっている、とも言えるんですけどね。

02/12/12

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