敢闘言

さらば偽善者たち

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日垣隆 著
カバー 花村広
文春文庫
ISBN4-16-765503-9 \667(税別)

「仮説力」という考え方

 「情報系 これがニュースだ」の日垣氏による、1993年から1999年にかけての「週刊エコノミスト」の巻頭言をメインに構成された辛口ショートコメント集。サブタイトルにもあるとおり、一見ものわかりの良異様な顔をしていながら、その実自分で考えることを止めてしまい、ただ硬直した組織や慣例の中に身を置いて、そこからの逸脱者には陰湿な嫌がらせや礼を失した行動をとることを何とも思わない現代日本の「識者」だったり「知識人」だったり「政治家」だったり、さらにはかつて佐高信が命名した「社畜」たちを鋭く批判する本。

 最近同じ事の繰り返しがとても多く、少々辟易してきた佐高信にかわってお気に入りの辛口評論家になりつつある日垣氏なんだけど、面白いのは辛口評論家ってのは、必ず自分より前の辛口評論家をくそみそにやっつけるってとこだろうな。佐高氏は本多勝一氏をどこかで批判してたような覚えがあるし、日垣氏にとってはその佐高氏も、本多氏同様くそみそにこき下ろすべき存在になってしまっている(あと、鎌田慧さんなんかも、そう)。辛口とか毒舌ってのは、同種の評論家を叩いてなんぼってな所があるんだろうか。

 もちろん古い左翼の本多、経済畑からモノを見る佐高、三面記事的分野から切り口を見出していく日垣と、それぞれに評論に対するアプローチの仕方が違ったり、思想的な立ち位置も違うのだし、なによりどんな仕事だって、長くやっていればそれなりに丸くもなるわけで、そこを後から出てきた評論家が突くのは、こりゃ当然のことなんだろう。10年もしたら日垣氏もまた、若い評論家からくそみそにけなされるのかもわからないな。とりあえず今が旬の辛口評論という意味で楽しめる。ちょっと興味深かったのは、最後の方で日垣氏が書く、「仮説力」という考え方。ちょっと長めの引用になるけど…

 この「仮説力」は、科学者の研究や、私のような凡庸な者の質問の仕方のみならず、読書においても非常に重要なパワーの源泉となる。読書でも、大小の仮説を立てながら読むことが肝要だ。いま「大小の仮説」といったが、「小」はたとえば「これはこういう意味だろう」から始まり、「大」は「私の知りたいことがこの本に書かれているのでは」と思って購入したり、その後たとえ、"積ん読"の状態でも本の背表紙を見ながら「こんな事が書かれているのではないだろうか」と想像したり、目次を眺めて「このような論理展開になっているに違いない」と推測し、また、すでにある新しい考えがまとまっているとして、それが幾多の専門的学術書でも通るかどうかを検証する。私はそれを"通らばリーチ"と読んでいる。

 "通らば"の検証がしっかりしていれば、それはそれでなかなか面白く、効果的な考え方のような気もする。まず仮説を立てる。それを検証してみる、という思考ゲーム的なアプローチなわけね。微妙に、そこから出てくるのはもしかして、最近「週刊新潮」あたりが取り入れてヒット企画になっている、短めでそれなりに刺激的な話題を矢継ぎ早に繰り出してくるような、ジャーナリズムのカタログ雑誌化みたいな風潮を加速させやしないか、と気になる部分もあるにはあるのだけれども。

02/04/25

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