1982年12月、一人娘の沙織は倉敷中央病院で元気に産まれてきました。ところが、10ヶ月で発病し、その後、京大病院でリー脳症(筋肉や呼吸機能に障害が出る難病)と診断され、私達は沙織の治療のため岡山から京都に引越してきました。
沙織は7歳で気管切開をし、それから約10年間はその大半を在宅生活で、自発呼吸のみで頑張っていました。最期となった入院で人工呼吸器が必要となりましたが、器械の力を借りることで呼吸することが楽になった沙織は、感染症も起こさなくなり、次第に体力も回復して、状態もとても安定してきました。
そんな折、担当医から退院の具体的な話があり、それまでの病院用の人工呼吸器から在宅用人工呼吸器に切り替え、退院に向けての練習を始めていました。そして、そんな矢先に医療事故が起こったのです。
「
両親手記 (これまでの経過)」より引用