「京大病院エタノール中毒死事件」フォト記録1
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医療事故報道のたびに見られる謝罪会見。
いったい誰に対して頭を下げ、謝罪しているのだろうか?

写真のタンクは、滅菌精製水(左)と消毒用エタノール(右)。
取り違えた両タンクの形状は酷似しており、
調乳室に、隣り合わせに並べて保管されていた。
更に、取り違えミスが起きた その日の小児科病棟には、
滅菌精製水の在庫が1本もなかった。
2000年、事故当時
00/03/08京都新聞(朝刊)
00/03/08京都新聞(朝刊)
2000/03/08 京都新聞 (朝刊)


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注射器を差し込んだ状態で、
呼吸器下に設置されていた。
[再現4] 注射器を差した状態で、呼吸器の下に設置
使用していた人工呼吸器
加温加湿器に注入
タンク内容物を注射器で吸い上げ・・・
[再現3] 加温加湿器に、注射器で注入
[再現2] タンク内容物を注射器を用いて吸い上げ・・・
[再現1] 使用していた人工呼吸器
エタノール誤注入事故当時(2000年)、国内のほとんどの病院では、
注射薬の計量・注入目的以外での、注射用シリンジの使用を取り止めていた。

前年の1999年2月に起きた都立広尾病院事故 (消毒剤を注射用シリンジで計量、
取り違え、体内に誤注入して患者が死亡) を教訓にしたのである。

しかし、京大病院小児科病棟では、・・・ 写真の通り ・・・・・。

5人の看護師により、53時間、エタノール誤注入が繰り返された。






2000/01/25 事故直前の病室にて
00/01/25 事故直前の病室にて
 1982年12月、一人娘の沙織は倉敷中央病院で元気に産まれてきました。ところが、10ヶ月で発病し、その後、京大病院でリー脳症(筋肉や呼吸機能に障害が出る難病)と診断され、私達は沙織の治療のため岡山から京都に引越してきました。

 沙織は7歳で気管切開をし、それから約10年間はその大半を在宅生活で、自発呼吸のみで頑張っていました。最期となった入院で人工呼吸器が必要となりましたが、器械の力を借りることで呼吸することが楽になった沙織は、感染症も起こさなくなり、次第に体力も回復して、状態もとても安定してきました。

 そんな折、担当医から退院の具体的な話があり、それまでの病院用の人工呼吸器から在宅用人工呼吸器に切り替え、退院に向けての練習を始めていました。そして、そんな矢先に医療事故が起こったのです。 
                           「両親手記 (これまでの経過)」より引用