京大病院エタノール中毒死事件・両親手記

               * * * これまでの経過 * * *


                                  2004年1月26日   藤井省二

● 医療過誤の死

 1982年12月、一人娘の沙織は倉敷中央病院で元気に産まれてきました。ところが、10ヶ月で発病し、その後、京大病院でリー脳症(筋肉や呼吸機能に障害が出る難病)と診断され、私達は沙織の治療のため岡山から京都に引越してきました。沙織は7歳で気管切開をし、それから約10年間はその大半を在宅生活で、自発呼吸のみで頑張っていました。最期となった入院で人工呼吸器が必要となりましたが、器械の力を借りることで呼吸することが楽になった沙織は、感染症も起こさなくなり、次第に体力も回復して、状態もとても安定してきました。そんな折、担当医から退院の具体的な話があり、それまでの病院用の人工呼吸器から在宅用人工呼吸器に切り替え、退院に向けての練習を始めていました。そして、そんな矢先に医療事故が起こったのです。

 2000年3月2日、京大病院小児科病棟の一室で、沙織は17歳の短い生涯を閉じました。亡くなったその日、深夜にも関わらず、驚くほどたくさんの医師・看護師さん達が、わざわざ病室から車まで見送ってくれました。あまりの急変による、沙織の突然の死を受け入れられぬ私達でしたが、16年間お世話になった感謝の気持ちをやっとの思いで言葉にし、京大病院を後にしたのです。そして、その時には、沙織が医療事故で亡くなっていたとは思いもよらなかったのです。

 翌3月3日夕刻、葬儀の打合せを終えた自宅に、担当医と看護師長の二人が訪ねて来ました。そして、担当医から突然告げられたのです。「治療の過程で医療ミスがありました。人工呼吸器加湿器に蒸留水と間違って消毒用エタノールを注入していたことが分かりました。…しかし、沙織ちゃんは病気で亡くなったのです。ミスがなくても亡くなっていました」と、初めて医療事故の事実を聞かされたのです。私達は驚きを隠せませんでしたが、それでも長年お世話になった担当医の言葉を信じ、あえて責めることはしませんでした。

 病院の警察への事故届けと同時に司法解剖は避けられず、その夜、沙織は自宅から警察の安置所に連れて行かれ、沙織の居ない部屋に残された私達は言いようのない悲しみに襲われました。亡くなった後になってまで、何で沙織はこんな辛い目に遭わなければならないのか、と京大病院への不信感・憎しみさえ生まれてきました。翌3月4日夜、私達は司法解剖を終えた沙織を京都府立医大へ迎えに行きました。対面した沙織は、前日までの姿とは変わり果て、その悲痛な面持ちに体の底から怒りが込み上げてきました。そして、解剖執刀医から「血中エタノール濃度は致死量です」と、前日の担当医の「ミスがなくても亡くなっていました」との説明とは正反対の結果を知らされたのです。その後、警察から手渡された死体検案書の直接死因欄には「急性エタノール中毒」と記されていました。

 「病死…、医療ミス…、ミスはなくても亡くなっていた…、司法解剖…、致死量…、急性エタノール中毒死…」、何が何だか分からず、頭の中で直ぐには整理できませんでした。
何故、ミスが起きたのか? 何故、長時間ミスに気付かなかったのか? どうして発見したその場で知らせてくれなかったのか? 何故、事故を隠したのか? 何で事故報告が死亡の翌日なのか? 京大病院に裏切られた思いと同時に、病院への疑念・怒りが込み上げてきました。そして、沙織の苦しみ・無念の死を思うと押し潰されそうで、体中が張り裂けてしまいそうな自分がそこに居ました。

● 病院ぐるみの事故隠し

 翌2001年1月16日、京都府警は、担当医を虚偽有印公文書作成・同行使容疑で、看護師7人を業務上過失致死容疑で京都地検に書類送検しました。
 沙織の死から1年経った、この年の3月と4月に2度、京大病院側から医療事故の説明を聞く場(事故説明会)が設けられました。2000年2月28日18時頃、T看護師が人工呼吸器加湿器に注入すべき蒸留水(滅菌精製水)入りの4gタンクと消毒用エタノール入り5gタンクを取り違えて病室に持ちこみ、その後引き継いだ他の看護師らも取り違えミスに気付かないまま約53時間消毒用エタノールの誤注入を繰り返し、3月1日23時頃、別の看護師が誤注入に気付いたとのことです。そして、その翌日3月2日19時54分に沙織は亡くなり、翌3日の私達家族への報告と同時刻頃、京大病院は警察に事故の届け出をしています。

 なぜ医療事故の事実を隠したのか? 発見した看護師は、「『タンクが空になったから』と言って、(タンクの)ラベルを見せないようにして外に持ち出した」と説明会で話しています。病室に居た私達に気付かれないように、嘘を言って消毒用エタノールタンクを持ち出し、蒸留水に取り替えたのです。
 また、病院を去る時、見送りしてくれた看護師さん達の半数は事故の事実を知っていたにも関わらず、誰一人として私達にその事実を知らせてくれませんでした。この点について看護師長は、「私自身が、医療事故が起きた場合に、必ず患者さんに直ぐ知らせるというような教育は受けておらず、どちらかと言えばミスは余り喋るな、という教育を受けている。だから、無意識的に誰も言えなかったのでは…。組織の中の一人としたら、そんな簡単に何でも言えない。多分、組織の人間として動いてしまった」と述べています。
 組織としての保身の論理に縛られる中で、人としてあるべき姿を完全に見失っているのです。しかしながら、発覚時の「嘘」に始まる病院ぐるみの事故隠しから、病院とのそれまでの信頼関係は、私達の中で音を立てて崩れていきました。人と人とは感情・気持ちで繋がっています。発見のその場で直ぐに知らせてくれ、沙織にきちんと謝罪して、その後の救命に最善を尽くしてくれていたら、私達はこれほどまでに苦しまずに済んでいたでしょう。なぜ隠したのか、どうして嘘をついたのか、その事が悔しくてなりません。

 事故発見時刻のカルテ・看護記録には、エタノール誤注入事故の記載は一切ありません。担当医からは、『急性心不全』『病死及び自然死』と記された死亡診断書を手渡され、その場で、事故報告もないまま病理解剖の確認がありました。死亡診断書は患者の死亡原因を知るための手がかりでもあります。しかし、『病死及び自然死』なる死亡診断書からは死因についての疑いを持つことすらできません。もしこの時、私達が病理解剖を承諾していれば、エタノール誤注入事故は永遠に闇に葬り去られていたのでは、と思うと京大病院が恐ろしくなってきます。
 診断書・診療録(カルテ・看護記録)に記載される内容は真実でなければなりません。そこから医師(医療者)と患者・家族との信頼関係が生まれてくるわけで、これは医療の質を考える上での生命線だと思います。53時間もの長時間高濃度の消毒用エタノールが誤注入されていた事実を認識していながら、血中アルコール濃度検査も行なわず、何の根拠もなく「エタノールの影響はない」とした担当医の判断は、一般社会常識からかけ離れたもので理解できず、到底信用できません。『病死及び自然死』とする死亡診断書は、紛れもなく虚偽記載であり、消毒用エタノール誤注入事故を隠ぺいする目的で作成・交付されたものであることは明らかです。

● 看護師1人のみ起訴

 書類送検から1年9ヶ月近く経った、2002年10月4日、京都地方検察庁による刑事処分が発表されました。告訴・告発していた9人(担当医・研修医・看護師長・看護副師長・取り違え誤注入を繰り返した看護師5人)の内、取り違えたT看護師1人のみ起訴、他の8人は不起訴という、信じがたい処分結果でした。

 エタノール誤注入事故は、起訴されたT看護師の過失がきっかけとなっていますが、単なる個人のミスで終わらせてはなりません。その背景には、小児科病棟の杜撰な薬剤管理の問題があったことも明らかです。蒸留水タンクが消毒用エタノールタンクと酷似している事を知りながら採用し、患者や家族が自由に出入りできる同じ場所に両タンクは整理整頓もされずに保管され、持ち出し時の記録等もなかった点などを、説明会で看護師長自らが認めています。
 また、『病死及び自然死』とした死亡診断書が、一連の事故隠しの中で作成・交付された事も明白です。近年続発している医療過誤事件での、診療録等の虚偽記載、改ざん等の隠ぺい行為が社会問題化している中、京大病院の体質・組織ぐるみの事故隠しを不問とすることは、今後の医療事故における病院側の隠ぺい行為を容認するようなものです。
 しかしながら、京都地検は、こうした京大病院の安全システムの問題や、組織的な事故隠しは一切問わず、取り違えたT看護師1人に全ての責任を負わせて事件に終止符を打とうとしているのです。医療現場の透明性が強く求められている現在、このような処分結果は時代に逆行するものであり、到底納得できるものではありません。

● 検察審査会への申し立て、署名活動

 京都地検処分発表から3週間後の、2002年10月25日、担当医・看護師長らの不起訴処分は不当として、京都検察審査会へ申し立てを行ないました。
 京都地検の処分内容は、民事裁判(2001年10月15日提訴)で係争中の被告国(京大病院)の姿勢と何ら違いはありません。京大病院は警察への事故届けと同時に、事故の原因究明は捜査機関任せにしてしまい、エタノール誤注入事故は単に取り違えたT看護師の「うっかりミス」で片付けようとしています。一人の人間を死に至らしめた重大な医療事故を一体どのように受け止めているのか、事務的に淡々と終わらせようとする京都地検・国(京大病院)の姿勢に強い憤りを感じます。

 こうした社会の不条理を個人の問題に留めず、広く世間に訴えようと、検察処分発表後、「さおちゃんの死と真実を知ろう会」で再捜査を求める署名活動を開始しました。会員・支援者への署名用紙の発送、障害関係団体への協力依頼、街頭署名と活動を広げていき、たくさんの人達からの支援を頂き、昨年2003年10月15日までに延べ2万1008人分の署名を京都検察審査会へ提出しました。
 しかしながら、当日、進行状況を尋ねたところ、原則として受付順に審査を開始するため未だ審査に着手できず、京大病院エタノール中毒死事件以前の事案が、まだ10件以上あるとのことでした。検察審査会への不服申し立ては、刑事司法手続きに私達市民が唯一関与できる手段です。しかし、未だ審査にかかれていない点に、事件の風化が懸念されます。
 多くの人達の協力のおかげで、これまでにも予想を上回るたくさんの署名を寄せて頂いていますが、担当医らの起訴相当の議決により、再捜査・起訴に繋げ、裁判公判で真実を明らかにするためにも、更に引き続き署名提出を重ね、迅速かつ厳正な審査を要請し続ける必要性を強く感じています。

● 刑事裁判

 昨年2003年11月10日、京都地裁は、被告T看護師に、業務上過失致死罪で禁固10ヶ月・執行猶予3年の有罪判決を言い渡しました。
 私達は、公判の中でT看護師自身の言葉で、事故発見後の小児科病棟で起きたありのままの真実を声にしてほしかったのですが、公判でのお母さんの意見陳述も虚しく、最後までその願いは届きませんでした。自身の犯したエタノール取り違えの過失のみに目を向け、事件の全容、とりわけ事故発見後の事故隠し・病院対応には一切触れようとせず、被告側(弁護人)は、取り違えの背景としての病院の管理監督体制の問題ばかりに終始して、刑の軽減を訴え続けました。「真に事件に向き合い、反省しているのか」最後まで伝わっては来ませんでした。そして、判決から10日過ぎた11月21日、T看護師は京都地裁判決を不服として大阪高裁に控訴しました。

● 民事裁判

 事故から1年後の事故説明会で、担当医は私達を目の前にして、死亡翌日の私達への事故報告の内容まで平然と嘘を尽き通しました。事故発覚時の嘘、嘘の死亡診断書、事故報告での嘘、病院側記者会見の発表内容の嘘、そして、事故説明会での担当医の明らかな嘘、京大病院が私達に示したものは「嘘」ばかりです。医療事故で大切な生命を奪って(殺して)おきながら、病死としてごまかそうとする京大病院・医師らを許せません。沙織を失った悲しみの傍らで、事故後の病院側の不誠実な対応に私達は2重に傷付き苦しみました。こうした病院側の姿勢が、私達を民事裁判・提訴へと動かしたのです。

 私達が主体となる民事裁判[被告、国(京大病院) 他9名]は、提訴から早2年3ヶ月が過ぎました。しかしながら、未だ双方平行線のまま主張整理にも至っていません。これまで受け取った準備書面で、国(京大病院)・医師らは、事故説明会で一度は認めていた事柄についても翻し、更には在りもしない事まで自分達に都合良く取って付けた主張をしています。そして、私達両親だけでなく、沙織の17年間の生きた証まで貶め、重度の障害・難病をことさらに強調し、沙織の人権をも軽視した主張を繰り返しています。そうした国(京大病院)・医師ら準備書面は、全体をつなげて細かく見ていくと整合性にも欠けており、その多くが詭弁で埋め尽くされています。しかし、嘘でいくら正当化しても、嘘を重ねた分それだけ言い訳できなくなるはずです。私達は事実の証拠をこれから先も積み重ねて行くだけです。

● 安心の医療へ

 診療行為と医療事故は裏表の関係にあります。人間の行為からミスが完全に無くなることはないでしょう。病院にかかった時から誰にでもふりかかる可能性があるのです。医療者も患者も個々の意識の中で身近な問題として捉えることが大事です。そして、不幸にも事故が起きてしまった場合、医療者は事故を真剣に受け止め、人として被害者・家族に誠実に向き合い、そして、自らを正す勇気を持ってほしいのです。被害者家族として、私達は医療関係者にその事を強く望むものです。
 病院自らが、事故の徹底的な原因究明を行ない、きちんと分析した上で改善策を示し、そして、あらゆる医療機関で情報を共有することで、事故からの反省・教訓は真に生かされ、再発防止に繋がるものと考えます。しかしながら、残念なことに現在の京大病院からはそうした姿勢は何一つ伝わってきません。
 私達は、これから先の裁判で、沙織の死の真実を明らかにして行く過程で、その時々に得た事実を公表していきます。医療事故防止に向け、そして、誰もが信頼できる安心の医療の実現のためにも、私達の声がその一助にでもなれたらと願っています。

                                                 以上


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