1998年12月27日(日) 1998年12月28日(月) 1998年12月29日(火)
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1999年 1月 2日(土) カンボジア旅行記表紙
12月31日(木)

5:30 まだ暗く、ホテルの正面には北斗七星が低く輝いていた。バスでアンコール・ワットへ。こんな時間なのに観光客も物売りの子供たちも多い。春分や秋分だと正面からみると中央塔に太陽が昇るが、今は冬至を過ぎたばかり。南側に行く。だんだん明るくなってきて、朝焼けがきれいだったが、雲が多く太陽ははっきり見えなかった。けっこうストロボをたいて写真を撮っている人が外国人にもいたが‥‥。

物売りの子供たちが一杯集まってきた。欲しいと思っていた本を持っている女の子が来たので値段を聞くと2種類で合わせて7$US。ホテルよりずっと安いので、そのまま買ってもいいけれど、試しに5$USなら買うと言うと、「だめ」、「6$US」と言うのでそれで買った。顔がそっくりの子がいたと思ったら、家族で来ているようで、後ろにお母さんもいた。学校へ行く前に稼ぎに来ているらしい。
ホテルに戻り朝食。今日も卵とパンとバターとジャムそしてコーヒーというメニュー。



9:00 午前中はアンコール・トム。南大門から入り、バイヨンへ。ここは12世紀にジャヤヴァルマン七世によって造られた仏教寺院。壁面のレリーフを見る。アンコール・ワットのレリーフとは題材も違うけれど、描き方も違う。回廊の屋根は崩れているので、太陽の光にさらされている。四面仏が並ぶ中央塔へ上る。中に占い師の人がいた。
次はパプーオン。11世紀中頃にウダヤディティヤヴァルマン一世によって建てられたヒンドゥー教の寺院。現在フランス極東学院により修復工事中。


王宮(木造なので跡しか残っていない)へ。男池のあたりで椰子の実を売っていたので、1$USで買う。今は季節はずれとのこと。鉈で上を切ってくれ、ストローを差し込んでくれた。薄い甘味でちょっと青臭い感じ。熟しているとそうでもないらしいが。
次は王宮のすぐ横にあるピミアナカス。11世紀初期、スルヤヴァルマン一世によって造られたヒンドゥー教の寺院。ここには九つの頭を持つ蛇の精が女性に姿を変えて王の前に現れ、毎晩まず彼女のもとへ行かなければ王は死ぬと信じられていた。何となく日本の九尾の狐とアラビアン・ナイトを併せたような話だけど。

三島由紀夫がここに来てヒントを得て戯曲を書いたという、ライ王のテラスへ。12世紀末にジャヤヴァルマン七世が造ったもので、もともとのテラスの外側に新しいテラスを造ったが、その両方が見られるように修復している途中だった。
その後象のテラス(これも12世紀末にジャヤヴァルマン七世が造った)をみてホテルへ戻った。


ホテルで昼食。
15:00 今度は小回りコースに出発。
まず、スラ・スラン。ここもジャヤヴァルマン七世が造った王の沐浴のための池とされる。
近くのバンテアイ・クディへ。12世紀末ジャヤヴァルマン七世がそれ以前にヒンドゥー教の寺院としてあったものを仏教寺院として改装したとのこと。あちらこちらが崩壊しかけている。ロープや柱でやっと支えている。
そして、タ・プロームへ。1186年ジャヤヴァルマン七世が仏教寺院として建てたが後にヒンドゥー教寺院に改装された。ここは自然の力を明らかにするため、樹木の除去や修復をしていない。そのため、巨大なガジュマルの木に押し潰されながらもかろうじて建っている。

タ・ケウ。11世紀初頭にジャヤヴァルマン五世によって造られたヒンドゥー教の寺院。
トマノン。12世紀初期にスールヤヴァルマン二世によって建てられた、ヒンドゥー教の寺院。
その近くにあるチャウ・サイ・テボーダ。これも12世紀初期にスールヤヴァルマン二世によって建てられた、ヒンドゥー教の寺院。このあたりで警察官が近づいてきて、認識票?を5$USだ買わないかと言ってきたことが3回あった。警察官の給料は20$USくらいだそうで、小遣い稼ぎなんだろうけれど、ちょっと怖い。外国人だから悪用されないだろうと思ってだろうが、カンボジア人の悪い人にわたれば…。


その後アンコール・トムの勝利の門から入り、バスに乗って象のテラスから王宮、パプーオンの前を通り、バイヨンを回って、南大門から出て、プノン・バケンの参道前を通り、アンコール・ワットを左に見て別れを告げこの3日間の見学を振り返りながら、ホテルへ。
「東洋のモナリザ」といわれる壁画があるバンテアイ・スレイには行かなかったが、以前アメリカ人旅行者が殺されてから危険地帯に指定され、立入禁止になっているそうだ。1日に10人以上地雷で脚を失ったらしい人を見たし、フランスの地雷処理チームのオフィスがまだあるし、タ・プロームなどは何人も警察官がいたし。まだまだ危険が残っているんだなと思った。
ホテルで夕食。今日はビュッフェ形式だった。
20:00 別棟に移動し、民族舞踊を鑑賞。クメール民族楽器の生演奏に合わせて花を投げるフラワーダンス、半分に割ったココナッツの殻を打ち鳴らすココナッツダンス、ラーマヤナ、そしてちょっとどじょうすくいにも見えるフィッシャーマン・ダンス、アプサラ・ダンス、最後はろうそくのダンスだった。地元の子供たちが中心だが、なかなか面白かった。手の表情はもちろん、顔の表情も豊か。踊り子はポル・ポト時代にほとんど殺され、振り付けなどが書かれた書物も焼かれてしまったそうで、1989年から難を逃れた数人の先生により子供たちを中心にした「舞踊教室」が始められたそうだ。






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