エスニック

カンボジア旅行記 2日目



  1998年12月27日(日)   1998年12月28日(月)   1998年12月29日(火)
  1998年12月30日(水)   1998年12月31日(木)   1999年 1月 1日(金)
  1999年 1月 2日(土)   カンボジア旅行記表紙


12月28日(月)

 7:00頃 朝食。ビュッフェ形式だが、タイらしい料理はほとんどなく、オムレツとソーセージとパンとバターにオレンジ・ジュースそしてコーヒーといったものを食べた。それにしても、日本人と韓国人が多い。

 8:00 バスでドムアン国際空港へ。ここは団体はグループ・チェックインが基本だそうだが、先日某旅行会社でパスポートをまとめて持ち逃げされたため、添乗員が係員についていく。

11:38 タイ国際航空TG696便、B737-400は離陸。約1時間なので飲み物位しかでないかと思ったら、機内食が出た。

ポチェントン空港12:30 プノンペン・ポチェントン国際空港に到着。首都の近くでも建物が少ない。さすがに日差しが強い。迎えに来たバスは韓国の大宇製だった。日本車も多く走っている。タイは車は左側通行だが、ここは右側通行。でも左ハンドルだけでなく、右ハンドルも多い。タイや日本からの中古車かも知れない。ガイドのソー・ワンさんは日本語を勉強して3年目とのこと。その割にはうまい。カンボジア人の80%は農業で雨期に米、乾期に野菜を作っているそうだ。商売をしているのは中国系の人が多く、魚を捕っているのはベトナム系の人が多いらしい。大学はプノンペンにしかなく、大きな工場はまだない。

 まずプノンペン市内へ向かう。空港から市内へ向かう道路は1996年の夏に第1首相側と第2首相側の軍隊が衝突し、多くの血が流されたところだそうだ。

 町並みはタイの地方と同じような感じ。車の数は多くないが、バイクと自転車は多い。バイクでヘルメットをかぶっている人はいない。帽子をかぶっているのがバイク・タクシーのしるしとのこと。バイクはHONDA、SUZUKI、YAMAHAといった日本製で、1000〜1500$US位だそうで、後ろの荷台が長いシートになっている。これに3人から5人まで乗る。自転車も2人乗りは当たり前。だから荷物用以外の自転車の荷台もサドルになっている。カンボジアでは昼間暑いので、学校や仕事は朝7:00〜11:00、昼食と昼寝をはさみ14:00〜17:00だそうだ。メキシコやエジプトもそんな感じだった。

 City Centre Hotelのレストランで昼食。中華料理を日本人向きに味付けをあっさりさせた感じ。ガイドブックにあるとおり日本人に馴染みやすい味。岩海苔のスープにはびっくりした。

セントラル・マーケット セントラル・マーケットへ。ごちゃごちゃしていて雰囲気としては昔のアメ横や秋葉原といった感じ。独特のにおい。衣料品、食料品、文房具、花などいろいろなものがある。蜘蛛も食べるらしく山になって売っていた。中心部は宝石や貴金属、時計などを売っていた。薄暗い中光り輝いていて、異様な雰囲気。地雷で脚を失った人たちを多く目にした。

 バスに戻るため道路を横断したが、信号はなく、バイクや車、自転車の切れ目に強引にわたらなければならない。なかなかスリルがある。交通事故はやはり多いそうだ。

 プノンペンの名前の由来となったワット・プノンへ。ペン夫人が1372年に建立したのが起源だそうで、現在のものは1927年に再建され修復されたもの。

ワット・プノン灯籠の中の仏像
灯籠?の中にも小さな仏像があった。

王宮 続いてシルバー・パゴダ(銀寺)へ。ここは王室関係の仏教寺院。1892〜1902年にノロドム王によって創建、シハヌーク王によって1962年再建された。2086個のダイアモンドをちりばめた仏像や各国から贈られた様々な宝物があり、その床は重さ1.125kgの銀のタイルが5329枚敷き詰められている。 隣の王宮へ。1866年ノロドム王がプノンペンに遷都、1919年シソワット王がフランス人建築家に再建させたもの。意外なのは、「ナポレオン三世の館」でナポレオン三世のユージーヌ王妃からノロドム王へ贈られたものだそうだ。

 トゥールスレン博物館。ここは元は高校だったがポルポト政権時代に反革命分子と見なされた人々が捕らえられ、拷問、処刑されたところ。大勢を収容するために脚も伸ばせないほど狭い空間に煉瓦で仕切り、その中に収容した。ここでは約2万人が収容されたが、そのうち生還したのはたった6人。虐殺されたのはあらゆる職業の罪無き人々。ポルポトに忠実な党の高級幹部でさえも。発見された頭蓋骨で作られたカンボジアの地図もある。ガイドのソー・ワンさんもポルポトに家族をバラバラにされ、政府軍の軍医だったお父さんも拷問されそれが元で病死されたとのこと。説明してくれる目が潤んでいた。

独房頭蓋骨でつくった地図

 ポルポト政権時代には教師は殺され、学校はすべて無くなったのでそのころ子供だった人は識字率が低く、就職も難しいらしい。ソー・ワンさんのお姉さんは中学校の先生。月30$USの給料では生活が苦しいので、クラス50人の生徒から200リエルずつ月謝をもらっているそうだ。でもそれが払えず学校に来られない子供もいると、涙ぐんで話してくれた。そしてカンボジアの人々にとって一番大切なのは、戦争などで失われてしまうお金や品物ではなく、これからを担う子供たちだとも言っていた。

 ホテルへ向かう途中消防署があり、日本から贈られたという「横浜市消防署」「小田原市消防署」という字が残っている消防車が停まっていた。木と椰子の葉で造られた家が多いので、火事は頻繁にあるとのこと。

 インター・コンチネンタル・ホテルに宿泊。ここは世界的なチェーンのホテルでカンボジア最高の高級ホテル。日本人の若い女性スタッフもいた。ここだけ到着するとウェルカム・ドリンクが出された。ここもロビーの階はLで、その上が1階という欧米型の表示。部屋の鍵はカードで、部屋の照明や、エレベーターに乗るときにも必要。それだけ安全面に気を使っているとのこと。部屋に入るとバスタブと別にガラスで囲まれたシャワールーム。バスローブがあり、そのうえ清潔なスリッパ。なんと浴衣まで備え付けてある。海外のホテルでは初めて。テレビではCNN、MTVはもちろん、NHKの衛星放送もしっかり見ることができた。

 夕食はホテルではなく外へ。中華料理だった。もともと中国系の人も多いせいかなかなかのものだった。ホテルの入り口はクリスマスツリーなんだろうけど、全部の椰子の木にイルミネーションが。


  1998年12月27日(日)   1998年12月28日(月)   1998年12月29日(火)
  1998年12月30日(水)   1998年12月31日(木)   1999年 1月 1日(金)
  1999年 1月 2日(土)   カンボジア旅行記表紙

メール アイコン
メール

トップ

エスニック