企業診断を読む(2006年9月号)

作成日:2006-08-30
最終更新日:

視点

進化する TV-CM の未来、と題された論考である。

読んでみた。読みにくい。この読みにくさの理由は、外来語の多用、 もしくは濫用である。 なぜ本論考の著者は外来語を多用するのだろうか。次の個所で考えてみよう。 著者は本稿を、野村総合研究所(NRI)発行の冊子に掲載された記事への反論として 書いている。その一部は次のようである。

前出のNRIの論文においても、 今後はメディアコンテンツと広告が混然一体となった表現形態が志向されると の指摘があるが (中略) NRIは混然一体という古風な表現をしているが、 もっと現代風に解釈するならば、 広告がメディアコンテンツの雰囲気を支配する、 といったほうが感覚的に理解しやすいと思われる。

つまり筆者は、感覚的に理解しやすいことを求めている。この結果、 外来語が多用されている。

プロダクトプレイスメントという、 本稿の主題は外来語であるのはやむを得ない。しかし、 他の外来語は日本語で十分のものもある。 たとえば、視聴者のあらゆる好みを反映させる主義を、 シンクレティズムということばで紹介している。 しかし、この言葉にはわざわざ括弧書きで、諸説混合主義と解説している。 それぐらい、外来語を使いたいから使っている、ととれるほど、 外来語に溢れている。

筆者が感覚的な理解を重視するもう一つの証拠を付け加えよう。本稿では、 エンタテイメントということばが頻出している。しかし、正確な読みは、 エンタテインメントのように、ンが入る。読みが正しくないのだ。 正しさを意識していないのだろう。

そのほかにも言いたいことはある。ただ、私が感心したこともある。 LOHAS系のある雑誌への指摘である。一見反消費主義をあおる記事がある一方で、 消費主義の典型である某社が、街と緑の共生という宣伝をしている、 ということだ。この視点は鋭い。 しかし筆者は、テレビ広告でも、このような雑誌のようなことができないか、 という模索をしている。 そこをどのように、テレビ広告の受け手は考えるべきか、ということである。

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MARUYAMA Satosi