企業診断を読む(2001年7月号) |
作成日:2001-08-13 最終更新日: |
「企業診断」の特集を読んで何かを書くのは久しぶりだ。ひょっとして初めてかもしれない。 さて、私はコーチングが何であるか、知らない。そこでこの特集を読んで、 少しはコーチングなるものが何かを知ろうとしているのだが、よくわからない。 そのわからなさを晒してみよう。
まず最初は、「コーチングとコンサルティング」ということで、 榎本英剛氏へのインタビューがある。どうも、難しい。「私がコーチです」という、 コーチが主役になるコーチングは、榎本氏の見解ではちょっと違うのではないか、という。 また、テクニックで信頼関係は築けない、ともいう。信頼関係を築くことが大事であり、 信頼関係があるからこそ相手は安心して自分の世界に入っていく、そこでコーチングの 効果が発揮される、ということである。
もう少し後になると、「変わる」のをサポートする、「育つ」のをサポートする、といっている。 自分で気付く、自分が行う、それが大事だといっている。なるほど。
私はある人を思い出した。ソクラテスである。ソクラテスはいろいろな人にコーチをした。 しかし、鼻っ柱の強い人にばかりやったものだから、毒杯を飲むことになってしまった。 このコーチングではそうではないだろう。相手を信頼しているのだから。
他にもいろいろ読んでいて、少なくともコーチングに向いている人は沢山いるのだ、 ということがわかった。また、私はコーチングに向いていないのだ、ということもわかった。 私が向いていないと断言する理由は、私が 「人間の可能性に関するあくなき信頼をもっている人」ではないからだ。 向いているところがあるとすれば、 『「間違ってはいけない」という強迫観念』をもっていないところだ。
次に「コーチングとコンピテンシー」を読んだ。 コンピテンシーということばは、中小企業診断士の勉強をするようになって聞くようになった。 ひょっとして compete 、競争から来ているのではないかという、いやな予感のすることばである。 このことばを説明するカギは、「特定の職種」、「高業績、高成果」、「顕在的」、 「行動力、意欲、スキル」といったことばにある。能ある鷹は爪を隠す、という奥ゆかしいことばは コンピテンシーを重視する集団にはあてはまらない、ということだ。 まして、土屋賢二氏の「私はチベット語を一言もしゃべったことはないが、 実はチベット語の達人である」という冗談もこの集団には通じないだろう。