企業診断を読む(2001年6月号)

作成日:2001-05-31
最終更新日:

リスクマネジメント最新事情

笹原さんという方が連載しているこのコーナーの第3回、標題は「労使問題」である。 この記事の「最近の新入社員」の項を読んで、がっくりきた。 どこか紋切型の意見に思えたからである。 なお、笹原さんの記事にはやたらとカギカッコが出てくるが、その意味がわからない。

まず、笹原さんは(1) 最近の若者の傾向と題して次のように書いている。

彼らの最大の特徴は、「規範的思考」と「社会慣行から逸脱した自分本位」の感覚である。

最近というからには、ここ何年のあいだのことなのかと思うが、それには特に触れられていない。 最近の若者は無礼だ、 ということばはすでにエジプトのピラミッド近くの碑文に書かれていたと聞いている。 この碑文は紀元前のものである。 笹原さんはピラミッドの碑文を書き写したのではないのだろう。いつのことだろうか。

しばらくして、次の例が持ち出される。

とくに「車」と「携帯電話」には、ことのほか固執し、 他人の意見を完全にシャットアウトして自分の殻に閉じこもる傾向がある。

車や携帯電話への固執と閉じこもりとは関係があるのだろうか。 私は車も携帯電話も嫌いだから笹原さんの心情は理解できるが、論理は理解できない。 車や携帯電話への固執は、道具としての役割以上の偏愛のことだろう。 これは若者に限らず、どの年代にも、どの時代の衆にもあることだ。 他人の意見をシャットアウトして、というのもどうか。車と携帯電話に関する話題が出ると、 他人の意見に耳を貸さない、ということなのだろうか。これはわからない。 この意見が正しいか、判断する材料を持ち合わせてはいない。

そして、次の主張が来る。

(最近の若者は)幼年期から携帯電話・ワープロ・パソコン等の製品とともに育ってきたためか、 「読むこと・書くこと・言葉の意味」といった力が著しく低下している傾向にある。

若者というのはどの年代を指すのか。20 歳としてみよう。 携帯電話の爆発的普及は5年前からではなかったか。15 歳は幼年期ではない。 パソコンの普及時期も同様である。ワープロはもう少し前からあったが、10年前だろう。 10 歳も幼年期ではない。だからここに挙げた製品のためにことばの力が落ちたというのは 意味をなさない。等、ということばにはひっかかるので、その等に含まれる製品に、 ことばの力の低下を証明するものがあるのだろうか。

仮に幼年期に上記の製品とともに育ってきたとしても、 それがことばの力の低下という現象をどうして説明できるのだろうか。 携帯電話は話すためのものである。 これは言葉を話し、聞くという意味をつけるための道具としてよいものではないか。 また、ワープロは、難しい漢字を書き取るわずらわしい作業から解放される道具ではないか。

この調子で挙げていくといくらでもありそうだから、少しだけ言っておく。

さらに、幼児期から自室に閉じこもり、ひとりでパソコン等を相手に遊ぶという成長過程が、 対人関係の問題を引き起こす原因となっている。

これはまさに私のことである。私の幼児期にはパソコンこそなかったものの、 おもちゃのピアノがあったので一人でそればかりで遊んでいた。成長してからは オルガンになったり本物のピアノになったりしたが、 ひとりで遊ぶという成長過程には変わりなかった。 そのまま社会人になったので、入社1年目で上司と衝突し2年目すぐに配置転換になった。 今でも対人関係は得意とはいえない。笹原さんはこのような私をどのように育成するのだろうか。 新入社員の教育で必要なことは、心の面での育成と笹原さんはおっしゃる。 私の心の面の育成は、どのように行うのだろうか。


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