オーストラリアのマッコーリー大学大学院で通訳・翻訳を学び1年
少しは英語が上達したんだろうが、悔しい局面も少なくない
年に1回の更新になってしまっている。明後日は来年ではないか。それにしても、暑い夏に年末を迎えると「暮れの押し迫った感じ」が全然ない。まあ、欧米では日本ほど年末年始に特別な感慨を抱かないから、人も街もあんまり普段と表情が変わらないというせいもあるのだろう。
今年2月にマッコーリー大学大学院、通訳・翻訳コース(修士・MA)に入学し、1年が過ぎた。働きもせず、高い授業料を払って、全般的には楽しく過ごしているのだが、非常に残念でならないことがある。私の入学時から、大学の予算の都合とかで、以前はコースの目玉であった言語別クラスがなくなってしまったのだ。
1年が2セメスター(学期)に分かれており、1セメスターでは4つの授業を取る。第1セメスターでは「通訳・翻訳理論入門」「通訳・翻訳コミュニケーション」「通訳プラクティス1」「翻訳プラクティス1」を、第2セメスターでは「通訳・翻訳テクノロジー」「通訳・翻訳実践」「通訳プラクティス2」「翻訳プラクティス2」を取った。このうち、「通訳プラクティス1および2」と「翻訳プラクティス1および2」は、私たちの入学以前は、日本語と英語との通訳・翻訳ならば、学生は日本人だけ、そして日本人の先生と日本語に詳しいオーストラリア人の先生が教えていた。韓国人学生も、中国人学生も同様だった。ところが、私たちの入学時から、お金の節約のためか、人数の多い中国人クラスはそのままだが、日本人と韓国人とスペイン語学生を一緒のクラスにして、通訳・翻訳のプラクティス授業をやるという態勢に変更したのだ。「マルチリンガルクラス」などという、なんだか和製英語のような名前にして。
概論的な通訳理論・翻訳理論やテクノロジーなどの授業は、各国の学生全員一緒でもなんら問題はないが、通訳や翻訳の実践的具体的なレクチャーと練習を、3カ国語一緒にやってしまおうというのである。誰にでも分かる。できるわけはない。第1セメスターは、私たちの入学以前の授業と比べると、言語別の授業の時間は3分の1だった。残り3分の2の「マルチリンガル」の時間、命を受けた先生は頑張っているのだが、やっぱり無理があり、私たち学生は学期の半ばで通訳・翻訳コースの偉い責任者に改善のお願い文を出すなどしたが、とくに変化は見られなかった。(右上に続く)
アンビリーバボーとしか言いようが…
2学期目。さてどのようになるだろうかと思っていたら、びっくりしすぎて、本当に呆然だった。「翻訳プラクティス2」において、第1セメスターには少ないながらも存在した言語別授業がゼロになったのだ。私たちのお願いなど全く無視である。
そして1つの授業を、通訳・翻訳コースの親分(責任者)自らが、あと2人も先生を従え担当。さてどんな授業になるのかと思っていたら、授業にならない、というか、他の授業でやっていることとカブりまくりの翻訳理論概論だったり、先生たちは日本語や韓国語は全然分からないから「自分がやった翻訳を自分たちで評価せよ」などという、毎回3時間自習かい、みたいな展開。まあ、とにかく誰に話しても信じてくれないような内容の(というか内容といえる内容が無い)授業。責任者先生も途中から来なくなったりするなど(来てもあまり関係ないから、まあ、いいのだが)これでいいのか、いいわけないよな、といった状況。再度抗議文を集め、3人の先生たちと協議。でもその後も何も変わらず。
だめだ、これを書いてて、情けなくなってくる。
言葉が操れないと対抗できない
結局自分の英語力がまだまだなので、先生たちに上手に対抗することができないのだ。これまで長くサラリーマンをやってきたし、管理職もやって若干の立ち回りも経験したが、やはり英語となると全然うまくいかない。日本語だったら、話し方や話す内容で相手のだいたいのレベルや考え方が分かるものだが、英語だと全然分からない。何を話しているのかを聞き取るのがやっとで、どういう風に話を持っていけば相手の弱点を突けるかなどが全く分からない。喧嘩しようにも喧嘩できないのである(一度授業中に責任者先生と口論したが、途中から相手が何言っているのかも、自分が何言っているのかも分からなくなってしまった)。言葉がうまく出てこないもどかしさ、悔しさというものを、とても強く味わった。
と愚痴のようなことばかり書いたが、この1年間、基本的にはとっても楽しかったのである。いろんな国の若者たちと仲間になれて。来年もみんなと一緒に、たたかうの?