壁新聞 かべしんぶん KABE-Shimbun (Shinbun)
0025 2011年5月4日 Hidden Clues.
Composed by 空閑洋始<kuga@tokyo.email.ne.jp>
社会人に対しても門戸を開いている都内の某大学大学院修士課程に通うことにした。文化の違い、言語の違いなどを研究する分野である。英語への興味が引き金だ。
本当はこの4月頭に入学式だったのだが、地震と原子力発電所の事故等の影響で、入学式は中止。授業開始も1カ月遅れの5月6日からとなった。今週末である。けっこう楽しみである。
実は妻も大学院に通っていて、この3月に無事博士課程を修了した。博士号取得だ。だが、やはり残念なことに卒業式(修了式)は中止になってしまった。四角い帽子とガウンを着けての記念撮影は、秋にあらためてその機会が設けられるかもしれないらしい。
3月は地震に加え、その直後に(地震とは関係ないが)伯父や友人の父上が亡くなった。一方で姪が高校受験に合格というハッピーなこともあった。試験後完全に自信をなくしていたようで、その分合格というのは本当にうれしかったのだろう。電話の向こうで大泣きしていた。
節電ということで、駅も空港もスーパーも暗めである。なんとなく海外の駅、空港にいるような気分もしてくる。いろんな建物でエスカレーターも停止している。
さてこれはいつまで続くのか。東京電力の電気供給力回復の話ではない。「暗くても、動かなくてもいいじゃん」となってしまう話である。電気を以前のように使わなくても売り上げダウンどころかコスト削減で利益アップになってしまう。エスカレーターを停止しても文句を言う人はいない。「前みたいに明るくする必要ないじゃん」という考えが普通になってしまうのではないか。
日本社会には(もしかしたら)バブル時代までに築き上げられた「余裕」がまだまだいろんな部分にあるのだろう。だから「なくてもだいじょぶじゃん」という部分もけっこうある。しかし、緊急対策として多くをカットするのは仕方ないが、永遠に元に戻らなくなってもいいものか。
さてさて大学院である。私の目標はどれだけ無駄なことを身につけるか。───ちょっとその言い方はひねくれすぎか。本音は、英語に関する勉強がそのうち仕事につながればいいな、などと甘いことも思っている。まあでも、何が「無駄」かは結果論であり、予測は難しいところ。電気も。
カードマジックを趣味としていると、トランプ(英語ではプレイング・カードということが一般的)をついつい必要以上に買ってしまう。同じものをたくさん買いすぎて、使う前に飽きてしまうなんてこともある。カードマジックをやってる人の中でも、マジックよりもトランプを集める方に興味が移ってしまっている人も少なくないようだ。
ただこれだけインターネットでいつでも何でも買えるようになってしまうと、いわゆる蒐集への情熱は昔ほどは維持しにくいかもしれない。商品多すぎだし、情報多すぎである。数量的には稀少だとしても、インターネットで「いつでも見る」ことができるだけで気分的な稀少性はなくなってしまうかもしれない。でもそんなことを言いながらまた別のトランプが買いたくなるのはなぜだ。これは蒐集熱じゃないな……。
最近は少なくなったのだろうか? 一時期、仕事の場でやたらカタカナ用語やら英略語が使われた。「コミットメント」「ガバナンス」「コンプライアンス」などなど。言ってる人も聞いてる人も意味を同じように認識しているのか、かなり疑問である。そういえば30年近く前、就職した頃には「コンセプト」という言葉が流行っていた。人によってだいぶ意味が違っていた。
commitは「誓う、約束する、責任を持つ」などの意味も。
会社員時代、一番最初に雑誌の編集長に任命された時。当時の社長に料亭に呼び出され、「君は清濁併せ呑める人間だから」と言われたのを覚えている。たぶんほめ言葉だったのだろうが、その後清濁ちゃんぽんし過ぎて胸焼けをおこしてしまった。