今日の思い付き
地球上には、多くのいろんな人がいることを海外で気付く
100年前、200年前を考える機会が増えてもいいかも

 11月末にハワイから帰国。今年は4回もハワイに行ってしまった。ホノルル空港の入国の係の人に「Do you love Hawaii ?」と言われてしまった。少し不審にも思われたか?
 海外にいると、今さらながら、この地球に、同じ時間に、自分を含めていろんな人が生きているんだなあと思う。日本にいたって同じことなのだが、顔の形や、体の形や、髪の色や、肌の色や、言葉が違う人々に囲まれていると、特にそんな思いが強くなる。
 さらに考えるのは、今自分が歩いているこのストリートを、100年後は全く違う人々が歩いているんだろうなあ、などということ。もしかしたら建物も含め、風景はそれほど変わらないかもしれないが、歩いている人は今と全部違っているのか、そんなことを思う。そしてそれはハワイだけじゃなくて、地球全部で考えても同じことだ。
 またそうすると、じゃあ、100年前も今とは全然違う人々が歩いていたんだろうなあ……などとも考える(ハワイの100年前がどんな状態だったのかは全然知らないけれども)。まあ、100歳を超えている人は「わたしゃ生まれてたよ」とおっしゃるかもしれないが、地球上の人々の大半は今とは違う人々だったはずだ。今生きているほとんどの人が「いなかった」はずだ。
 一応、大学の専門が宗教学だったので、そこそこ宗教関係には興味がある。宗教学とはいえ、特定の宗教を研究するのではなく、社会と宗教との関係性を考える、まあ社会学の一分野だったと言ったほうがいい。多くの宗教は、未来を示すのに力を入れているような気がする。天国、地獄、来世、終末、最後の審判……。100年後と言わずとも、人間にとって「最期」を考えるのは怖いことであり、それだからこそそこに宗教の“優しさ”が存在価値を持つことになるのであろう。だが最近思う。100年後ではなく、100年前についてもっと考えてはどうか。あるいは200年、300年前は自分はいったいどこにいたのか。そうしたことを考えるのは、もしかしたら未来への不安を和らげ心の安寧をもたらすことにつながっていくのではないか。多くの宗教でも、前世などという言い方があるように、過去についても説明はされているのであろう。ただ、もっとその部分を時間をかけて考える機会があってもいいのではないだろうか。ハワイのまぶしい太陽の下で、そんなことを考え始めた。

Multiple Shift
with some false shuffles
トランプ手品
ウケたのかウケてないのかわからない

 ハワイの英会話学校で、各人が好きなテーマを決めて英語で発表する「プレゼンテーション」という課題があり、手品を披露した。実は前回5月に来た時も手品をやって非常にウケたからである。
 でも今回は失敗であった。いや、正確に言うと、失敗したのか成功したのかよく分からなかったのだ。前回はスペイン人やイタリア人が私の手品を見て大騒ぎしてくれたのだが、今回のクラスメイトはドイツ人はじめみなおとなしい。全然騒いでくれない。「面白くなかったのかな」と思ったので、次の日、ドイツ人の女性クラスメイトに「昨日の手品は失敗したかな?」と聞くと、「なぜ失敗したと思うの?」と禅問答のようなやりとりになってしまった。どうやら一応不思議さは出ていたようなのだが、どこまでウケたのか、測定不可能なのだ。これもまた面白い異文化接触とも言えるか?

今日の英語
make a difference【目立て!(意訳例)】

 個人、個性を大事にするアメリカ人が好きな言葉の一つのようだ。ハワイのテレビを見ていたらいくつかのCMでこの言葉が使われていた。ほとんど関係ないが、日本の翻訳コンテストなどで「something different」を「何か違うもの」と訳すと、文脈のいかんによらず減点される、といったことがあるらしい。翻訳の世界にはどうも慣習というか根拠のはっきりしない“判例”があって「この言葉をこう訳すのはシロウト」と決めたがる雰囲気があるとか。関係者の方がつぶやいていました。

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今日の日本語
トランプ

「トランプ」は本来「切り札」という意味らしい。英語では「プレイング・カード」(playing cards)と言うのが一般的だ。スペイン人の友人は「カルト、カルト」と言っていた(本人は英語でカードと言っているつもりらしい)。カルトと言われると、なるほど「かるた(歌留多)」かと、感心したりする。