壁新聞 かべしんぶん KABE-Shimbun (Shinbun)
0009 2010年1月28日 Hidden Clues.
Composed by 空閑洋始<kuga@tokyo.email.ne.jp>
引き続き、文字の大きさやデザインなどの話。今回はウェブ。雑誌や本などの印刷物は、当然のことながら、誰が買って読んでも、そこにある文字の大きさや形、誌面デザインは変わらない。虫めがね使えば大きくなるけど。ところがウェブ(ホームページ)上の文字やデザインは、 見る画面(モニター)の種類、パソコンの設定、ブラウザの種類、OSの種類、どんなフォントを搭載しているか、などなど、まあとにかく、極端な言い方をすればパソコン一台一台でかなり違う。同じパソコン、モニターでも、解像度の設定やブラウザのメニュー操作で、見え方は変わってくる。
通常ウェブの作り手は、どんなパソコンで見てもできるだけ同じように見えるように苦心することになるわけだが、いずれにせよそれは「できるだけ」であって、また逆にそれによってデザインは必然的に制限されてしまう。印刷物のような、作り手のデザインへの細かいこだわりはーーそれがどこまで意味があるのかということはとりあえずおいといてーーウェブ上では表れて来にくい。
ところでこの「壁新聞」は、ウェブデザイン(というかウェブの見え方というか、情報の並べ方というか)をなんか工夫できないかと思ってこんな体裁にしている。こんなもの世界中どこにもあるまい。なぜならウェブページの特性・長所であるスクロールやリンクを極力排しているからだ(意味あるのか?)。たとえばある雑誌のサイズが1ページはA4サイズと決まっているみたいに、印刷物と同様全体の枠をわざわざ決めてしまって、1200×700ピクセル(ドットとも言ったりするが両者は正確には違うらしい)の中で文章を書いている(意味あるのか?)。HTMLのdivタグで、画面上の絶対的なピクセル位置(上から○ピクセル、左から○ピクセルの場所、といった具合)を指定して複数のコラム(欄)を好きな位置に好きな大きさで作ることができることを知った時は感動した。
文字の大きさと行間も一応ピクセルの絶対値で指定しているので、文章の大きなはみ出しなどはないはず。もっともそんなことをやってもやはりパソコンによって見え方が違うので、自分が作っているウェブページが個々のパソコンで実際にどんな風に見えているのかは分からない。雑誌の編集者としては、デザインが勝手に変化していることを思うと気持ちが悪い。
最近料理の真似事を始めた。そのうち包丁で指を切るだろうな、気を付けないとな、でも何回か切るのは仕方ないだろうな、でも気を付けないとな、と思いながら料理をしていた。トマト缶を使う料理で、缶詰を開けている時に、缶詰で指を切らないように気を付けないとな、特に缶のふたで切らないように気を付けないとな、と思っていた。
そしたら缶のふたで左手の指を切った。血がけっこう出て痛かった。
指にバンドエイドを巻いて、左手に透明のビニール手袋を付けて、料理を続けた。
最近のバンドエイド(赤川次郎の小説では「キズテープ」という一般名詞(?)でやたら出てきたのを妙に覚えている)は昔と比べると非常に性能がよく、傷の治りも早いような気がする。昔は「ずっと付けていると治りにくい」みたいに言われていたように記憶しているが、今のは付けてた方が快適で治りやすいのではないかと思ったりする。動画は特に手品というわけではない、ただのシャッフル。バンドエイド、意外と見えない?
どちらかというと、映画やドラマの中で聞く機会が多いだろうか(普段英語を使ってないから、どんな英語もそうなのではあるが…)。例えば、なかなかしっぽを出さない容疑者に対して主人公の刑事が「すぐにまた会うことになるからな」と、若干の脅しのニュアンスを込めて言ったり、など。with you を付けることも普通に多い。I'll be back. とか It has to be stopped. とか、be を含むセリフはなんだかかっこよく響く気がする。
「あきらめること」という印象が強いが、そしてそれも正しいのだが、「入念に見ること。正しく、完全に知ること」という、物事を、その本質まで正しく完全に知ることを表す言葉でもあるらしい。つまりは、本質を正しく知ると気力が失せる???
広辞苑と小学館の類語例解辞典で探してみました。