壁新聞 かべしんぶん KABE-Shimbun (Shinbun)
0006 2010年1月6日 Hidden Clues.
Composed by 空閑洋始<kuga@tokyo.email.ne.jp>
お世話になっている方々に、遅ればせながらご挨拶のメールを送っていたら、一人の方からのご返信に「ラスベガスより」とあった。お仕事で行ってらっしゃるのか、お遊びでいってらっしゃるのかは不明だが、それを読んで私もまた行きたいな、という気持ちがふつふつと湧いてきた。
私の場合は、10年ほど前に雑誌の取材の仕事で行ったのが最初。海外旅行自体ほとんど行ったことがなかったため、随分緊張して成田を出発したが、ラスベガスに到着するやいなやすぐに、この街の底知れない魅力(魔力?)に取り込まれてしまった。
一つが何千室もの部屋を持つ超巨大なホテル群、その中に広がるいくつものカジノとゲームテーブルに群がる多くの人々。24時間鳴り続けているスロットマシンの陽気な音。あちこちで巻き起こる歓声。生バンドの演奏に合わせて踊り続ける人々。きらきらちかちか。目と耳と鼻と頭の中が慣れてくるに従い、お金さえ続けば、このおとぎの世界にいつまでも身を浸していたい気分になってくる。
もっとも、ラスベガスの魅力はそうしたぶっとんだ気分になれることというより、それも含めて、そうした世界を作り上げてしまう人間のすごさを見せつけてくれる点だと言ったほうがいいと思う。豪華な建造物、人を惑わせるカジノ、そしてさまざまなショーなども含め、人工物というもののパワー、素晴らしさ、怖ろしさ、それらが徹底的に凝縮された街なのである。人間の、ものを生み出す驚くべき力に感動できる、いやそれを通り越してあきれ果てることができる街と言ってもいい。
作家の室伏哲郎氏に、ラスベガスとカジノの魅力について取材させていただいたことがある。氏のオフィスで、昼間からお酒をごちそうになりながらという、なんとも貴重な経験であった。氏は日本カジノ学会も主宰されていた。私も参加を誘われたが、まだまだ未熟と辞退させていただいた。昨年、残念ながら逝去された。最初にお会いした時から10年近くが経ち、私も少々ラスベガスやカジノに詳しくなったつもりだったから、またいつかお話しができる機会があればいいななどと思っていた。今日はそんなことも思い出した。
ちょっとマジックの話題はお休みして左の続きでカジノの話を(ということで、動画は昨日のままで、本文とは関係ありません)。
カジノについて、「こっちが勝っていると、テクニックを持つ上手なディーラーに交代して負かされてしまう」などという話を聞く。少なくともラスベガスの大きなカジノではそんなことはない。まず、ディーラー(カードを配る人など)は毎回機械的に同じ作業をやっているだけ。そこには何の判断もない。誰がディーラーであっても同じなのだ。もっとも、話し方や態度がこちらの気に障るディーラーだったりすると、調子が狂わされ、大金を一度に賭けて負けてしまう、なんてことはある。これをディーラーの腕というなら腕かもしれない。ただもう一つ、ディーラーにはいかさまをやってまでして勝つ動機がない。いくら客が負けても、自分の給料は上がらない。そもそもトータルで見ると確率的に客は負けるようになっている。それよりカジノ側が気を付けているのは、ディーラーが例えば自分の友人が客として来た時にわざと負けること。そうやってカジノの金を仲間で懐に入れてしまおうという、これは重大な犯罪なわけだ。
英語の達者なカメラマンと海外取材に行った時のこと。飛行機の中でアテンダントが数種類のデザートを持って来た。カメラマン氏は一つを指差し「アイライクディスワン」と言った(ように聞こえた)ので私も同じように言った。でもだいぶ後になって知ったのだが「アイライク」ではなく「アイドゥライク」だったのですね。「これが好き」と「これがほしい」の、違いでした。前者だと「あっ、そう」と返事されて何もくれなさそうです。
「空談」は、「むだばなし」「根拠のない話。また、実行できない話」。「閑話」は、「ゆったりとしてものしずかな話」「むだばなし」(以上、広辞苑より)。
この2つを合わせたものが「空閑話」(くがばなし)。ウソです。