インデペンデント
1999年11月29日
サンプラスは哀れなアガシにメッセージを送る
文:John Roberts / ハノーバー



ここ、ATP ツアー・チャンピオンシップで行われた今世紀最後の重要なシングルス決勝戦で、アンドレ・アガシ、今年1位のプレーヤーはピート・サンプラス、この10年で一番の選手に、6-1、7-5、6-4で敗れた。

昨日は、アガシからのお辞儀と投げキスはなかった。世界1位の男は自分の出来に失望し、13,500人の観客へ挨拶のスピーチをする気にもなれなかった。大会がハノーバーから別れを告げるにあたり、観客たちは2人のアメリカ人に心からの敬意を払っていたのだが。

「僕は自分のプレーに落胆していたんだ」とアガシは言った。「語るべき事は大してなかった」
ありがとう、のひと言で充分だったと思うが。あるいは「auf Wiedersehen(アウフ・ヴィーダゼン=さようなら)」でも。それはサンプラスが、簡潔なスピーチの最後に述べた言葉だった。

惨めなアガシはインタビュー・ルームにも長くは留まらなかった。「とにかく悪い日だったよ」と彼は言い、つけ加えた。「それはピートの調子とも大いに関係があった。彼はいいプレーをした」

試合は1時間46分かかったが、第2セットの1-4からサンプラスが挽回した後、競技としては事実上決していた。その後、水曜日のラウンドロビンにおいてサンプラスを6-2、6-2で破ってからアガシが述べた予言を、サンプラスは成就したのだ。

「この男が向上する様は、他の誰にも真似できないよ」と、その時アガシは言った。「ウインブルドンで、彼はまさに、どこからともなく現れたラザロのようだった。彼はもはやかつてのピートではないと信じ切った時に、彼は一度も見せた事のないようなテニスをするんだ。だから、彼にその能力がある事は疑いないよ」
訳注:ラザロ。イエスが死から甦らせた男。

ラザロが棺からラケットを拾い上げたかどうかは記されていない。しかしながら、サンプラスの回復具合はラザロにも等しかった。ハノーバーにやって来る前に、ウインブルドン・チャンピオンは3カ月で1試合しかこなしていなかった。3つのマッチポイントを逃れてスペインのフランシスコ・クラベットを破ったのは、27日前、パリ・インドア選手権での事だった。それからサンプラスは次の試合、ドイツのトミー・ハース戦を、背中の怪我のために棄権した。

それ以前に、8月20日のインディアナポリス準々決勝ヴィンス・スペイディア戦では、サンプラスは臀の筋肉を痛め、第3セットの始めに途中棄権した。USオープンでは、開幕前日の練習でサンプラスは椎間板ヘルニアになり、大会を欠場した。

今年、サンプラスが正式に完了できたのは8大会だけだったが、その内の5大会で優勝した。一方アガシは、フレンチ・オープンとUSオープンの2つのグランドスラム・シングルス・タイトルを勝ち取り、年末ナンバー 1の地位を確保した。

そういった事情を考えると、先週のハノーバーにおけるサンプラスの出来は、驚くべきものだった。とはいえ、彼自身の心の中では、今回の優勝は前年の頑張りには匹敵しないが。

その時は、ランキング・ポイントを追い求め、8週連続で試合をこなして神経をすり減らし、彼はこの大会で優勝する事はできなかった。しかし目標であった6年連続ナンバー1の記録を達成し、充分な成功を収めたのだった。

「僕にとって今週の目標は、身体的にどうかを見る事だった。もし僕がここで優勝できたなら、それはボーナスだ」とサンプラスは言った。ばつの悪いほどプレーが錆びついていた時に、ラウンドロビンでアガシにストレートで叩かれた事は、サンプラスがゲームのレベルを上げる誘発剤となった。「4日前、僕はかなり恥ずかしい思いをさせられたよ。確かに、何かを証明したかった――僕はまだ出来るってね」

昨日の第1セットでは、疑問の余地はほとんどなかった。サンプラスは、持てるすべての技能を披露してくれた。堅実なサーブ、優雅なボレーから、印象的な多種多様のグラウンドストローク、そして壮観な『スラムダンク』スマッシュまで。

アガシは、過去27回対戦した内の16回負けており、サンプラスに自信を持たせてしまうと阻止する事は不可能だと、充分に承知していた。第1セットは29分で瞬く間に終わり、アガシのサーブは0-2と1-5でブレークされた。サンプラスは自分のサービスゲームで6ポイントしか失わず、その内の3ポイントはダブルフォールトだった。

「僕は試合のリズムにイライラさせられた」とアガシは嘆いた。「彼は大いにペースを変え、そして短いポイントがたくさんあった。試合が始まって1時間くらいは、汗をかく暇もなかったよ」


その時には、既に遅きに失していた。アガシが試合に入り込む機会は、やって来て、そして去っていった。サンプラスは15本のエースを打ち、10回ダブルフォールトを犯した。それら2つのアンフォースト・エラーで、第2セットではアガシが2-0リードとなった。サンプラスはそれから2つのブレークポイントをしのぎ、危うく0-4となる場面を切り抜けた。

サンプラスがブレークバックして3-4にすると、アガシの軽快な歩みは失われ始めた。「5-5で、僕は実にひどいゲームをした」とアガシは言い、ダブルフォールトで0-40にして、対戦相手に否応無しのチャンスを提供してしまった事を認めた。「僕はただ自分に腹を立て、そして自分のヒッティングにも、集中の仕方にも、全く納得できなかった」

サンプラスはドイツで行われた最終戦に10回出場し、そのうち5回優勝して796万ドル(497万ポンド)の賞金を獲得した。



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